※タイトルは『ロメア』さまから拝借しました。
『正しい愛について』
真田幸村とは、とても偏った男だと佐助は思う。父に溺愛されて育ったものの、母親という存在には縁遠く、母を通して知る女性の温もりというものに、これといった記憶を持っていない。それが現在に直結する、とも言い切れないが、幼少期の軽いトラウマは矯正されることなく歪んだ形で抱え続けているせいで、今も女性の影は皆無だ。
『恋だの愛だの、よう分からん』
とは主の言だが、それが許される立場でないくせに、それが許容されていることがまず問題だ。お館様こと信玄公がそれを甘やかしている分、余計に性質が悪い。幸村も幸村で、お館様がそう仰るなら、と現状から全く前進しようとしない。
「いい加減にさ、遊郭にでも連れてった方がいいんじゃないって言われてるんですけど」
頬杖をついて主にそう諌言すれば、幸村は鍛錬の手を止めて振り返った。また馬鹿なことを、と薄い笑みを浮かべている主に向かって、佐助は文句の一つでも言ってやりたかったが、結局は飲み込んだ。迷っているならまだしも、これと決めてしまったことに対しての助言は、全くの無意味だからだ。このやり取りも決して初めてではないし、だからこそ、主も一々声を荒げることもなくなっている。悪い意味で慣れてしまったようだ。
「恋だの愛だの、よう分からぬ」
「それは前にも聞いたよ。だから、」
「遊郭なんぞ行ったとて、分からぬだろう。分かる場所なのか?」
「それは、…まあ人それぞれだろうけど」
「ならば行かぬ」
幸村の言葉は、いつも簡潔で歯切れがいい。聞いていて清々しいところもあるが、一刀両断する様は容赦がない。
「遊郭は、まあ置いといてさ、分からぬ分からぬって、子どもが駄々捏ねるみたいに言い続けるわけにもいかないでしょうが」
「その話は今はよいわ」
「だから、そうやって敬遠ばっかしてると、いつまで経っても分かんないまんまだって」
「皆はそう言うがな、」
もう鍛錬は諦めたのか、槍を担いで佐助が座っている縁側に寄った。佐助がすかさず手ぬぐいを差し出すと、幸村はさも当然のことのようにそれを受け取った。
「お前たちを愛しいと思うことが出来るのだ、それで良いではないか」
それはそうと、才蔵とお六の怪我はもう良いのか?と勝手に話題を変えてしまうものだから、佐助はそれ以上追求することができなかった。
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10/09/21