『明るい大坂の陣』
〜邂逅編〜
清正は被っている編み笠を僅かに持ち上げながら、二度三度振り返った。紀州の国に入ってから、にわかに尾行の気配が強くなった。おそらくは、尾行が本来の目的ではなく、早くこの国から出て行けと暗に警告しているのだろう。浅野家が治める紀州一帯は、彼らが慎重にならざるを得ない人物が流罪となっている。真田幸村である。彼が蟄居先であるこの山から抜け出そうものなら、御上からどんな処罰があるやも知れぬ。徳川にとっては第一級の危険人物なのだ。清正が肌で感じる緊張感から察するに、出入りの人物も厳しく監視され、逐一報告されているのではないだろうか。
己が加藤清正であることはどうやらばれていないようだが、それにしても鬱陶しい気配だ。刺すような鋭い視線に辟易して、清正はため息をこぼした。本音を言ってしまえば、すぐにでも抜刀して、一人残らず打ち倒してやりたいところだが、今は隠密活動中だ。目立った行動は慎まなければならない。清正は飛び掛りたい衝動を何とか抑えて、幸村の庵に急ぐのだった。
九度山に差し掛かった辺りだろうか。鬱陶しかった気配がぱたりと消えていた。清正は首をかしげながらも山を登って行く。
程なくして、こじんまりとした庵が見えてきた。通り抜けてきた農村よりは大きな造りだが、正直言って田舎の小金持ちの方がマシな家に住んでいるだろう。今は流罪の身といっても、元は大名家である。にも関わらず、その佇まいは粗末と言っても過言ではない。清正は予想外のことにその場に立ち尽くした。道を間違えたのだろうか。そう思い踵を返した、その時だった。
「どなたかいらっしゃるのですか?」
若い男の声だった。清正が慌てて振り返ると、声の主も丁度玄関の戸を開けたところで、彼と目があった。幸村だ。地味な色の着物を纏った彼は、まさに若隠居と言った方が相応しい程で、先の声の柔らかさと言い、武士というよりは呉服問屋の若旦那と表現した方がしっくりくる。
徳川の監視が厳しく、もちろん先に手紙などで知らせているわけではない。それなのに、幸村は驚いた様子もなく、
「お久しぶりです、清正どの。さあどうぞお上がりください。何のお持て成しもできませんが、立ち話もなんですから」
と、笑みを浮かべながら手招きしている。目的の人物と早くも出会えたわけなのだが、何だか釈然としない清正だった。
通された居間は案外にしっかりとした造りだったが、幸村の格好が馴染んでしまえる程、質素だった。花も絵も飾ってはおらず、部屋の隅に追いやられている文机が唯一の物だった。
向かい合う形で腰を下ろした二人は、しばらく相手の出方を窺っていたのか、僅かに沈黙が流れた。それを破ったのは清正だ。
「本題の前に、土産だ」
そう言って、荷物の中から金・銀の軍資金を取り出し、畳の上へ並べる。清正が訪れた目的を分かっているのだろう。幸村は何も言わず、清正の作業を眺めている。
「これは俺と、正則からだ」
そうして最後に畳に置いたのは、薩摩の焼酎が満タンに入っている酒瓶だ。今まで顔色一つ変えなかった幸村が、それを見て嬉しそうに顔を綻ばせた。
「中身はお酒ですか?」
まるで子どもが菓子を前に目を輝かせるような表情に、清正も思わず視線をさ迷わせた。
「あ、ああ。薩摩の焼酎だ。正則ですら酔っ払った、うんと強いやつだがな」
「それはありがたい。ここでの生活も、慣れてしまえばそう苦でもないのですが、唯一、酒だけは思うように手に入らず…。好きな時に好きなだけ呑めぬというのは、切ないものです」
金よりも酒に喜ぶ幸村を前に、
「そうか」
と、相槌するしかない清正だった。
実を言うと、土産を持って行けと言い出したのは正則なのだ。彼は、どこから情報を聞き出したのか、清正が幸村にお忍びで会いに行くことを知っており、
『折角会いに行くなら手土産の一つでも持って行ってやれよ』
と、提案したのだ。主・秀頼君の命を受けた、れっきとした仕事なのだが、正則はその辺りのことをあまり深く考えていないようだった。三成と友誼の深かった幸村とはもちろん顔見知りなのだが、これといった付き合いもない。当然、趣味や嗜好が分かるわけもなく、下手な物を持って行って、迷惑がられるのも癪だ。そう思ったのだが、顔を顰めた清正の内心を正確に読み取った(ひとえに付き合いの長さ故だ)正則が、
『酒持ってってやれよ、酒。あいつは三度の飯より酒好きだから、すんげぇつっよい焼酎とかで普通に喜んでくれるぞ』
と、清正が同意するよりも先に、酒瓶を強引に握らせてきたのだ。おそらくはこの酒、あまりに強いものだから、正則ですら持て余していたのだろう。幸村に押し付けるのもどうかと思ったが、流石の清正でも正則の馬鹿力には敵わないものだから、結局清正の手許に残ってしまった。決して、彼に抵抗するのが面倒だったとか、そういうことではない。きっと。
そういう経緯であるから、喜ぶ幸村の顔を見るのは、何となく心苦しい。
「それよりも本題だが、ここに秀頼様からの手紙が、」
あるからまずそれを読んでくれ。
と、続くはずだった清正の声は、障子の向こうから聞こえた声に見事に押し消されてしまった。
「茶を持ってきた!入るぞ!!」
と、どこかで聞き覚えのある、凛とした女の声がびりびりと場の空気を振動させたかと思うと、次の瞬間には切り裂くような鋭い音と共に襖が勢いよく開いた。
「立花が茶を持ってきてやったぞ!感謝しろ!」
声高々に叫び、どん!と清正と幸村の前にそれぞれ湯飲みを置いた。手つきだけを見れば零していてもおかしくはないのだが、流石というか何と言うか、畳には一滴の染みも作ってはいなかった。両手が塞がっていたから、きっと襖も足で開けたのだろう。
「お、おまえ、立花の…!」
唐突のことに驚いている清正とは対照に、幸村は実に穏やかだった。ァ千代は思わず指でさしてしまった清正を不快そうに見やり、
「人を指差すな。行儀の悪い」
と、のたまう始末だ。咄嗟に助けを求めて幸村を見たが、幸村は楽しそうに笑っているだけだった。
「おい、幸村。なんでこいつがここに、」
「ァ千代、開けたらちゃんと閉めた方がいい。あと、茶菓子を忘れているぞ。親切な俺が持ってきてやったが、残念、客人の分はなさそうだ」
ァ千代が華麗に登場した、開け放した襖の向こうから、今度はその夫が姿を見せた。左手には団子を乗せた皿を、右手には団子の串を持っており、誰がどう見たって食べながら(おそらく右手のそれは清正のものになるはずだった団子だ)のご登場も、どこからか吹く風のせいで無駄に爽やかに見えた。美形は生きているだけで、得をしている生き物なのだ。
「お、お前ら、なんでこんなとこに居んだよ!!」
口から出た言葉は多大に地に近いもので、ついうっかりと口が悪くなってしまった。けれども、それを立花両氏は気にした風もなく、
「ああ、しばらく厄介になっている」
と、飄々と言う。清正の記憶が正しければ、立花夫婦は今は京でひっそりと暮らしているはずで、大坂からの使者もそちらに向かったはずだ。幸村への使者として清正が選ばれたのは、行程の厳しさが予想されたからだ。余力があれば京へも顔を出して二人に話をしようと思っていた分、脱力するというか納得できないというか。
残り二本しかない団子(もちろん、幸村とァ千代の分だ)を挟んで幸村は一旦手を止めたが、清正が無言で顎をしゃくった意図をちゃんと理解してくれたようで、その一本に手を伸ばした。
ここで、流石に清正の様子を気の毒に思ったのか、ようやく幸村が口を開いた。
「お二人はここ数日前にこちらにいらっしゃいまして。ここの生活は暇ですから、色々と話し相手になっていただいているのです。京には家臣が残っているそうですよ」
「にしたって、なんで幸村のところに…」
「俺はたまたま幸村の顔が見たくなって、京からやって来ただけだ。ァ千代は、話をしたら勝手についてきた」
「この男は世間知らずが過ぎるからな。一人旅などさせてみろ、ここに辿り着くのに何年かかるか分からないぞ。私のお陰でここに無事到着したのだ」
そうァ千代は胸を張るが、世間知らず度は二人共そう変わりはない。元々、台所には立ち入ったことのない二人だ。家事レベルは二人仲良く底辺だったし、蝶よ花よと育てられた二人には、牢人暮らしなど粗末を通り越して新鮮だったに違いない。ああ家臣たちの苦労が目に浮かぶようだ。
病気でもないのに頭痛がしそうな状況に、清正はどっと疲労するのを感じた。別に問題はない。むしろ手間が省けていいのだが、だからと言って現状に納得しろというのは無理な話なのだ。顔が見たくなったから会いに来た?心配だから着いて来た?訪ねて来た友人を数日逗留させている?お前たちは今無職で、金に困っていて、不便な生活をしているのではなかっただろうか!
「それで、秀頼様からの文というのは?」
本題は、それだ。清正は疲れた様子で懐に手をやり、のろのろと幸村にそれを手渡した。ちゃっかり幸村の隣りに腰を下ろした宗茂は、幸村が読み終わったら回してもらう気満々なのだろう。ァ千代は興味がないのか、少し離れたところの壁にもたれかかりながら、腕を組んで座っている。なんというか、所作が一々男前なのだ。
一通り読み終えた幸村が、ゆっくりと顔を上げた。簡単に折り畳んで、当然のように宗茂に渡している。確かに、清正がここを訪れた時点で事情は筒抜けであるし、隠すことではないが、当然面をされるのは少々腹立たしい。宗茂は以前から、清正をからかって遊んでいる節があったので、これも同様の意味だろう。ああ、ああ、なんでここにこいつがいるんだか!!
「秀頼様の意志、しかと承りました。真田は秀頼様の下知に従いましょう。秀頼様御為、大坂に参ります」
「立花も従うぞ。関東のやりよう、気に食わん」
「ァ千代がそう言うのなら、俺も反対しようがないかな。俺も戦力に入れておいてくれ」
「そうか。助かる」
蓋を開ければ、呆気なく終わるものである。拍子抜けの感も否めないが、彼らならば快く引き受けてくれるだろうと予想していただけに、安堵も深い。さあ仕事も終わった、さっさと退散しようと早くも腰を上げた清正だが、幸村が清正の名を呼んだ。引きとめようとしているようだったが、正直、この庵に一泊する気になれない。特に、あの性格の悪いイケメンの前から、早く立ち去りたかったのだ。
「待ってください。もうお一人、紹介したい者が、」
「おお〜い幸村ぁ、居間に飾る絵だけどよぅ、一応描いたことは描いたんだけどよぅ、やっぱなくてもいいんじゃねぇ?」
そう気軽い空気で縁側から顔を出したのは、あの宮本武蔵である。先の徳川家康との会見の際、秀頼君がならず者達に包囲されていたところを救ってくれたのは、彼だ。秀頼は彼を召し抱えたいとすら言ったのだが、そう声をかけようと思った時には、既にその姿はどこにもなかった。その彼が、何故だか庭に居て、その手は何を描いたのか分からぬものの墨絵を持っていて、手や作務衣の汚れ具合から見てその墨絵は武蔵が描いたらしくって。
「ああ武蔵丁度良いところに。それはもう完成したのだな?ならば早速飾ろう。わたしはお前の絵が飾りたかったのだ」
そう言って武蔵に上がるように言いながら、幸村はさっさと武蔵の手の内の絵を奪い取って、懐から取り出した紐(おそらくは真田紐だろう)を壁の釘に引っ掛け、あっという間に絵をその場に括りつけてしまった。それを眺めていた宗茂は、
「少し曲がっているぞ」
と、指摘したものの、
「少し曲がっているぐらいが丁度良い。宮本の絵ならば尚更だ」
と、ァ千代が言うものだから、幸村はそのまま元の位置に再び腰を下ろした。物臭なのではないだろう、おそらく。彼は彼なりに、ァ千代の言に賛同したのだろう。きっと。
「もしかして、宮本武蔵が、二条城付近に居たのは、」
「ああ、幸村に言われて、様子見に行ってたんだ。幸村に頼まれちゃあ、嫌だって言えねぇしよぅ」
「武蔵は幸村の家臣か?」
「違いますよ。たまたま、山の中で行き倒れているところをわたしの手の者が見つけまして、保護をして今に至ります。何と言われれば困りますが、友、でしょうか」
「一宿一飯の恩は重いからな!」
貧乏生活のはずが、とんだ大所帯である。この空気に当てられては、何やら自分が自分ではなくなってしまうような気がして、すぐさま秀頼君が武蔵を探していること、出来れば召し抱えたいことを伝えてはみたものの、武蔵の返答は素っ気無かった。
「俺、この生活割かし気に入ってるし、正直、仕官とか興味ねぇもん」
とのことである。
「お前は剣豪だろう」
と、思わず反論したが、武蔵は僅かにムッと顔を顰めて、
「剣豪だからって、仕官する必要ねぇよ。俺は人を斬るだとか戦に勝つだとか、そういうもんを探究してんじゃねぇし。もっとでっかいことが、掴めそうな気がすんだ」
と、清正には理解できない話をする。おそらく、清正の考えている剣豪像と、武蔵が追い求める己とは全く別物なのだろう。
最後の最後でつれない回答だったが、首尾は上々だ。これは早く帰って報告せねば、と、再び腰を上げた清正の着物の裾を、幸村がぎゅうと引っぱった。強い力ではないが、何事だろうと幸村を見てしまってから、清正は後悔した。何と言おうか、彼はとてもイイ笑顔で清正を見上げていたからだ。
「数日後に父の法要を行うんです。清正どのも、是非とも参加してくださいませんか?」
「そりゃあいい!」
「それは名案だなぁ」
「立花がいれば不要だが、真田がそう言うのであれば」
と、それぞれに同意する面々に囲まれて、清正はいよいよ途方に暮れたのだった。
***
Q&A1
ところで、俺、どこに寝泊りするんだ?
見ての通り、手狭な庵ですから。五人で雑魚寝なんて、何だかワクワクしますね。
(え、ァ千代も一緒?)
Q&A2
そういえば、立花はここに居て、浅野家は何も言ってこないのか?
宗茂どのもァ千代どのも、既に下山しましたよ。
え?だって居るだろ?
数日前に訪問されて、その日のうちにお帰りになってます。浅野家的には。
(影武者か、影武者だろうなあ。ああああ)
ということです。
加藤清正の明日はどっちだ!(すいません、超楽しい)
久しぶりすぎて、特に宗茂さんだとか武蔵だとかの口調が分かりません。ァちゃんは結構諦めてます。
最後の幸村さんの法要云々は、九度山抜け出して堂々出陣じゃあ!!フラグです。四人はきよまっさんを巻き込む気満々です。戦力w戦力w
うちの宗茂さんと幸村は仲良しです。いいコンビです。割かし似たもの同士かもしれない。
豊臣方の快進撃が、今、始まる…!!!的な話です。
そういう意味で『明るい大坂の陣』です。
読み方の雰囲気としては、『魁!!ク○マティ高校』と同じです(…古いなぁ)
片桐且元さんは離反せず、大野さんはそこそこの地位で、都合この五人が大坂城乗っ取ります。秀頼様もノリノリです。途中で通常の大坂五人衆(−1)も加わって、徳川家康何するものぞww状態の幕開けです。
あっ、続きませんから!(…)
***
11/07/02