BGMはアリプロの『修羅と/蝶』です。
暗い方の大坂の陣で、敗戦濃厚な辺り。
※少々血みどろ表現があります。
※色々倫理的にひどい表現があります。
『血を流した 涙の代わりに
何故それを愛と
名付けようと思うのだろう』
どすどすと重い足音が廊下に響き渡る。それに合わせて、ぽたりぽたりと何かが滴る音が断続的に続いた。幸村は曲がり角の先から近付く音に足を止めて、短く呼気を吐き出した。血のにおいが強い。己からか、もしくは、近付いてくるかの人のものだろうか。
「幸村、」
と、曲がり角から姿を見せた男は、そう幸村を無感情に呼んだ。幸村は僅かに微笑んで、
「ひどい有様ですね」
と、自分のことは棚に上げてそう言った。互いの鎧に付着している、既に泥だか血だかよく分からぬ汚れは、彼らが動き回る度に廊下に跳ね回っているが、誰も彼もそれどころではない。清正は無表情に幸村を見つめ、
「怪我は、」
と、短く訊ねた。連日の戦で疲れているはずなのに、感覚が麻痺しているのか、その気配は全くない。怪我はしているかもしれない。よく分からない。痛いだとか苦しいだとか、疲れているだとかもう逃げたいだとか、そういった感覚がひどく遠い。ただ意識だけがはっきりとしていた。
「よく分かりません。ただ、鎧を脱いだらもう駄目でしょうね。使いものにならぬでしょう。今休んでしまったら、もう二度と起き上がれぬような気がします」
ああ、と清正が相槌を打つ。あるいは同様の想いだったのか。清正はまた一歩距離を縮めて、床に赤いような茶色いようなよく分からぬ染みを作った。
「戦況は、」
「芳しくありません。軍勢を整えたら、わたしもすぐに出ます。甲斐どのは負傷して、今は奥で手当てをしています。少し、傷が深いようです。出陣は無理でしょう」
「、正則は、」
「残念ながら、何も知らせが届いておりません。前線で踏ん張っているのか、あるいは、」
幸村は最後まで言わない。清正も、そうか、と呟くだけで怒りもしなければ嘆きもしなかった。そうしている間すら惜しい。
「俺もすぐに出る。幸村、」
そう呼ばれたかと思えば、次の瞬間には唇に噛み付かれていた。まさに、そう表現する方が正しい。接吻をしているというより、虎の牙に食い付かれているような心持ちだった。乱暴だ、強引だ。幸村は抵抗せず、かと言って応えるようなこともせず、ただされるがままに唇を差し出していた。血のにおいが濃い。己のものなのか、彼のものなのか、返り血なのか己の身から滴るそれなのか、最早分からない。彼の牙が己の皮膚を破ったのかもしれない。分からない、分からないのだ。痛いだとか、苦しいだとか、愛おしいだとか、生きたいだとか勝ちたいだとか、そういったものの意識が遠い。ただただ血のにおいだけがはっきりとした感覚だ。
いつの間に開放されたのか、清正はやはり無感情の表情のまま、幸村を見つめている。幸村もその眼を見つめ返しながら、もしかしたらかの人の牙には己の赤い血が付いているかもしれない、と妄想した。応も否もなかった。そうであるかもしれない、そうでないかもしれない。確かめようのない事実は、幸村にとってどうでも良いことの一つでしかなかった。
「幸村、勝てよ」
「ええもちろん。清正どのこそ。ご武運を、」
死ぬなとは言わない。それは良く分からないことの一つだからだ。戦の最中だ、死という概念は遠い彼方に行ってしまった。わたしはこの手に槍を握り、ただ迫り来る塊を突いて薙いで弾いて刺して、それを繰り返すだけだ。それは清正も同じだろう。そこにあるのは、無心だ。それを恐ろしいとは思わない。けれども、正常だとも思わない。戦狂いと同様だ、働きに大差ない。けれども、戦狂いではない。わたしたちはわたしたちの意志で、理性で、冷静な心で、その道を選び取っているからだ。
わたしたちは、戦争をしているのだ。
***
きよ、ゆき…??
大坂の陣のあの負け戦の空気がたまらなく好きなので(…)、そういう空気にしました。どうして日本人は、悲劇と呼ばれるものが好きなのか。
11/07/10