「俺が憎くはないのか」
そう訊ねられたのは、一度や二度ではなかった。幸村はその度に清正の顔を真っ直ぐに見つめて、
「いいえ」
と、常と変わらぬ声音で返事をするが、その視線を向けられている清正は、いつも俯いて幸村の視線の先に気付いていない。
今まで数多の戦に出、数多の人を殺してきた。それは清正の罪であるし、幸村もまた同様のものを抱えて生きている。いや、戦場の数で言えば、幸村の方が余程多くの命を奪ってきた。
けれども、清正の心を重くし、憔悴させる程の罪の意識を抱かせる者はたった一人だろう。幸村はそれを不平等だとは思わないし、また人でなしだとも思わなかった。ただ、甘いな、とは少しばかり思った。優しさと甘さは紙一重で、幸村にとっては両方ともが同じだ。三成のそれは優しさだと幸村は思う。清正のそれは、ならば甘さと言うのかもしれない。幸村はそういった言葉遊びが苦手で、言葉の括りがいい加減なところがあった。
「清正どのは、悔いていらっしゃるのですか」
いつも通りの調子で、幸村は訊ねた。戦場の声とは異なって、幸村の吐き出す声は凛と澄んでいるのに柔らかい。打ち水をしたばかりの夏の庭を流れる、風のような爽やかさあった。そのせいだろうか、幸村が紡ぐ言葉はどのようなものであっても、あまり厳しく刺さることはない。言葉に含まれる険がなくなってしまうのだ。
清正は伏せた顔のまま、少しだけ間を空けた。悔いているのか、と訊ねられれば、『否』である。だがしかし、うまい方法だったとは清正も思わない。歳を食うにつれて取っ組み合いの喧嘩をすることはなくなったが、口喧嘩はそれこそ会う度にしていた。その割に、二人は互いの得手不得手を補い合っていたのだ。それはきっと、互いに無意識だったのだろう。だから、片割れと袂を別った時から、うまい方法が判らなくなってしまったのかもしれない。
(あいつがもし、生きていたら、)
そう思うのは清正の役割ではない。心の声を振り払うように清正は顔を上げ、ようやく幸村の問いに答えた。
「いいや、後悔は、ない」
「それは、良うございました」
幸村はにこりと笑う。清正は思わず面食らって、内心の動揺を隠そうと無表情になった。彼は三成で慣れているのか、清正がどんな険しい顔をしても物怖じすることがない。今も、変わらぬ愛想の良い顔をしたままだ。
「きっと、あなたを憎んでしまえば、わたしとあなたはそれで丸く収まるのでしょう。ただ、そうしてしまったら、三成どのの決意はどうなるのだろう、誇り高いあの方の矜持はどうなってしまうのだろう。そう思うのです。ですからわたしは、あなたを憎むことを知らぬのです」
幸村、と声をかけたかったが、喉が張り付いて声にならなかった。清正にしてみれば、彼の生き方はあまりに眩しい。これがきっと、もののふの生き方なのだろう。地べたを這いずり回り、人の生死に振り回される泥臭い自分とは大違いだ。いいや、苦悩するがこそ人であろう。幸村は、ただただ、人である前にもののふなのだ。
「三成どのは、」
清正が息を飲む音が、存外大きく響いた。幸村は一旦言葉を切ったが、すぐに続きを告いだ。幸村の真っ直ぐな目は、今も清正を見据えたままだ。睨みつけるような眼光ならまだしも、彼の眼差しは穏やかとしか言いようがなく、清正はそらすことも出来なかった。彼は一切清正をとがめていないようだったからだ。
「三成どのは、三成どのの忠義を貫かれ、清正どのは清正どのの忠義を示された。互いに義と義がぶつかり合った戦です。義戦に余人の思惑など不要。戦に人死にはつきものです。わたしも、幾度と兼続どのと刃を交えました。殺す為殺される為に槍を突き、刀を取ったのです。そこに憎悪があってはいけぬと、わたしは思います」
言うなれば、それは一昔前の時代でのことだ。一度平定された天下、平和になった天下。群雄が割拠していた時代であれば、幸村の言も間違いではない。けれども、今は最早違う。いつ死ぬとも知れぬ乱世は終わった、秀吉が、清正の主が、終わらせてしまった、変えてしまった。皆が命の厚みに気付き、人一人の死を悼むようになった。それなのに幸村は、
「お前は、こわいな」
幸村は首をかしげて、
「そうでしょうか?」
と、言う。もののふという生き物はこわい。そんな生き物と友になった三成が余程のこわいもの知らずのように思えた。あれは綺麗なものが好きだったから、幸村のまばゆい魂が好きだったのかもしれない。いいや、違うか。三成はああ見えて不器用だった。そろばんの弾き方は知っていても、大切なものを愛でる方法を知らぬ男だった。だからきっと三成は、ただただ幸村が大切だったのだろう。そこに下世話な打算も、下手な考えもなかったに違いない。ただただ、三成は幸村が大切で、幸村は幸村で三成を好きだったのだろう。だから幸村は、亡き友の誇りを今も守り続けられるのだろう。眩しい、まったくもって、自分には。
「幸村、」
死ぬなよ、と言おうとした清正だったが、思うところがあってその言葉を飲み込んだ。なんでしょうか、とでも言いたげに、幸村の目がその先を促してくる。彼にかける激励の言葉は、こちらの方が相応しいだろう。三成ならば前者を選ぶ。清正には分かっていた。けれども清正は三成にはなれない。三成のように、幸村を大切にすることはできない。不器用な彼のように、慈しむことで、愛でるだけで、幸村を完結してやることができない。
「そう簡単に負けるなよ」
幸村はきょとんと清正を見返したが、すぐに笑顔になって、
「ええもちろんです」
そう頷いた。彼の目の奥では、早くも戦の炎が揺れているようかのようだった。綺麗だな、と清正は思ったが、それを口に出すことはなかった。
***
薄暗くなる予定が、明るくなりました(えっ)
大坂の陣の清幸が明るくなるのは至極珍しいことです。私の精神状態は良好みたいです(…)
清幸っていうか、清正+幸村オプション三成みたいな。
11/09/05