清正の寝起きは良い方だ。目覚ましをかければその音でちゃんと目が覚める。流石に部屋のドアが開いた音で目を開けられる程敏感ではなかったが、声をかけられればそれで目が覚める。けれども清正は、今ほど自分の性質をうらめしく思ったことはない。

「おはようございます、"ご主人様"」

 清正はその声には応えず、のろのろと身体を起こした。すかさず横から紅茶を差し出され、その流れるような所作に毎度のことながらそれを受け取って、一口、口をつけてしまう。毎日色々と銘柄を変えてくれるのは分かるが、今まで縁遠かった分、昨日と違うような気がすると感じる程度だ。
 適当に口をつけて突っ返せば、まるでその間合いも見越されていたようなタイミングで、清正の手からティーカップが消えた。全くもってそつのない、ついでに言えば隙もない彼は、清正の"執事"というやつだ。皺一つない燕尾服を見事に着こなしている彼は、真田幸村という。その筋にはそれなりに名の知れた人物だというが、残念ながら清正はその筋の人間ではないので、彼がどれほどすごいのかは分からない。

「ご主人様はやめろって言ってんだろ。あと、過剰すぎる敬語もやめろ」
「仕事ですので、承服しかねます」
「そんなもん、臨機応変に変えろよ。俺が求めてんのは、精々ハウスキーパー程度だ。主の要望に応えんのも、お前の仕事だろ」
「…承知しました清正様」

 ああもう!と叫び出しそうになるのを何とか飲み込んで、清正はようやくベッドから出た。
 清正が海外に留学する前までは平和だった。自分のことは自分でしたし、朝っぱらから自分を起こしに来る男などはいなかった。それが、一年の海外留学を終え帰国してみれば、日本は変な方向に進んでいた。確かに、一年前には既に執事喫茶やメイド喫茶だというものがもてはやされてはいて、それほど"執事"が耳慣れない言葉ではなかったが、それは自分とは無縁の世界での話だった。それがこの一年で、日本の情勢は大きく変化した。広がり過ぎた執事・メイドブームが、本職として働いている執事たちの仕事を圧迫し始めたのだ。その手の教育をされていない低レベルの執事たちが増加し、全体の質を下げてしまった。これではまずいと国をあげての改革が成された結果、執事やメイドは国家資格とされ、試験に合格しなければ就けぬ職業となった。それである程度のレベルの低下は防げたようだが、今度はあまりにも執事人口が増えてしまった。そうして生まれたのが、執事(もしくはメイド)の雇い入れ義務である。所得が一定に達する家庭は一家に一台と言わんばかりに、配置が義務付けられている。よって、上流階級とでも言われる金持ち層のほとんどが執事やらメイドやらを所有するようになっており、今ではそう珍しいことではないらしい。このへんてこ制度のせいで、所得隠しや架空雇用の問題も噴出したようだが、まあ清正には関係のないことである。
 清正はまだ学生だが、養い親は天下の豊臣グループ、国が設けた基準に引っ掛からぬわけもなく、更に言えば、ここ一年ですっかり毒された養母が用意してくれた無駄に大きな家には執事がもれなく備え付けられていたのだ。おかしい、この国はおかしな方向へと進もうとしている…!と思うのは一年の空白がある清正だけのようで、すっかり日本国中は、これのどこかおかしいんですか状態だった。

「お顔色が優れませんが、大丈夫でしょうか?」
「大丈夫だ、全然問題ない。あと、俺は自分で起きられるから、毎日起こしに来る必要はない。紅茶もいらん。とにかく自分のことは自分で出来る。俺に構うな」
「それは承服しかねます」
「そこは承服しとけよ」
「執事法・第三条の五に抵触します。仕事ですので、ご容赦ください」

 では、御支度が済みましたら、降りていらしてください。
 幸村は微笑と共にそう頭を垂れて、ぴんと伸びた姿勢の良い背筋のまま、清正の部屋を退室したのだった。





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11/11/09