清正は不貞腐れたようにぶすりと顔を顰めて、玄関のドアに鍵を突っ込んだ。殴られた頬はじんじんと痛いし、膝をついた時にすれてしまった膝小僧にはじんわりと血が滲んでいた。殴られるのも痛かったが、殴り返した拳がまだ熱を持っている。同級生に比べて背の高い清正は目立つ存在だったし、目つきが悪いと上級生に難癖をつけられるのももう慣れっこだった。清正は彼らに屈するような可愛げのある性格ではなかったので、殴られたら、傷だらけになっても、倍は殴り返す性質だった。
 今日も、たくさん殴られた代わりに、いっぱい殴り返して、誰が喧嘩に勝ったのかも分からない状態だった。上級生たちが何かと口汚い文句を浴びせかけ、肩を助け合って逃げて行くのを、清正は一人で眺めていた。最後の一人までその後ろ姿を睨みつけて、放り出されていたランドセルを、蹴られて痛む背中に引っ掛けて、下校路を歩いた。

「清正さん?」

 丁度ドアノブをひねろうとしていたところだった。聞き慣れた声に振り返れば、庭から幼馴染がひょこりと顔を出していた。長兄と同じ年で、清正と二つ年の離れている。幼馴染は清正の姿に少し驚いたようで、元から大きな目を更に見開いていた。

「痛くありませんか?」
「……」

 痛いとは思ったが、そうは言わなかった。意地を張りたかっただけだ。幼馴染は困ったように笑って、「清正さんは強いですね」と清正の頬を少し強めに擦った。途端走った痛みに清正は顔を歪める。痛いところを触ってしまったのだとすぐに気付いた幼馴染は、すいません、と軽く清正の頭を撫でた。ちらりと清正の家の玄関を見て、「お母さんはまだ?」と短く訊ねる。最近では母もパートをするようになって、清正が帰宅する時間帯は留守にしていることが多い。清正の黙秘が肯定だと知っている幼馴染は、それならば、と清正の手を引いた。

「なら、うちに来てください。手当てをしましょう」

 そう言って、清正が何かを言う前に、強く手を引いて歩き出した。引き摺られるようにして清正も後に続いた。
 成長期に突入したのか、にょきにょきと伸びる長兄とは違い、この幼馴染の身長は清正に近い。自分にも、長兄のような成長期がやってきたら、きっとこの幼馴染の背など簡単に追い越すことができるだろう。
 殴った腕が痛いから抵抗できないのだ。そう思って、幼馴染が促すままに足を運ぶ。無言で着いて行く年下の清正を気遣っているのか、時々くるりと振り返って笑いかけてくる幼馴染。なんだか落ち着かなくて、清正はふいと顔を背けてしまった。

きっと、この時から――――。





 けたたましい目覚まし時計の電子音に、清正は強引に覚醒させられた。扉を隔てているというのに、長兄の部屋から聞こえる複数の目覚まし時計の音が、清正の頭に響いている。おそらく、長兄の部屋は音が反響し合ってとんでもない状態なのだろうが、そうでもしなければあれは起きないのだ。のろのろと起き上がり、着替えながら、先の夢のことを思い出していた。あれは小学四年辺りの記憶だ。というのも、幼馴染が、清正が五年生に上がる前に、外国へと行ってしまったからだ。上級生に喧嘩を吹っかけられて怪我だらけになっていた清正も、今は高校一年生だ。喧嘩もめっきり強くなって、目つきが悪いまま育ったものの、喧嘩を売られるようなことはなくなった。ちなみに、一時期にょきにょきと伸びた長兄の身長はあっと言う間に最盛期を終えたようで、今では清正の方が背が高い。だが残念なことに、にょきにょきにょきと伸びた清正よりも、次兄の伸びっぷりの方が著しい。ただし、次兄の場合、頭に回るべき栄養分も身体の方へ行ってしまった感がどうしても拭えないわけなのだが。
 夢の中の幼馴染は、当然当時のままだ。昔の自分がどう対処して良いか分からなかった幼馴染の笑顔だが、その笑顔がとてもとても遠い存在になってしまってから、清正はようやく己の思いを自覚した。俗に言う初恋である。もう会えるとも分からない存在である。未練だとか、胸が苦しくなるような情熱はないが、今でも大切な存在であることは確かだ。笑顔をぼんやりと思い出して、ああ本当に好きだったんだなあ、としみじみと感じるぐらいの執着は未だにあるのだけれど。

(今思えば、結構可愛い顔してたよなあ)

 などとぼんやり物思いに耽っている清正に、母の口から、幼馴染が帰国することを伝えられるのは、あと少し。





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12/07/15