浅井が滅び、武田が滅び、織田が滅び、藤堂高虎は巡り巡って豊臣の家臣となっていた。浅井は主の気質を現したような朗らかな家だったが、豊臣家は城の一角であっても賑わしかった。やかましいな、と思った程だ。その喧騒に、高虎は慣れることが出来ない。活気があることはむしろ好ましいことである。けれども、華やかさを必死になって演出しようとしているわざとらしさが、どうしても高虎の目につく。これは自然のものではない。無理矢理により集めて、権力でもって何とか形に収めた結果だ。こんなものは、すぐに綻びが生じて、ばらばらに崩れてしまうだろう。

 無意識に静けさを探して歩いていたら、茶室の側まで来ていたようだった。ここ数年で急速に流行り出したワビサビとかいう精神のおかげで、茶室はどこか物寂しい雰囲気を漂わせており、豊臣家の賑々しさには似合わない。その中にぽつねんと、まるで浮かび上がるように一人の男が立っていた。幸村だった。幸村は戦場とは関係のない場所でありながらも、その立ち姿は凛と張り詰めていた。彼自身は、竹箒を片手に松の木を見上げているだけなのだろうが、彼の纏う空気がそうさせるのだ。相変わらず姿勢が良い。年齢の割りに地味な色の着物を着ているせいで、この場の空気によく合っていた。豊臣家所有の茶室、というよりも、彼の為に設えられた別荘のように思えた。この庵の主人だとしても、そこに何の違和感もない。

「幸村」

 と声をかければ、幸村はゆっくりと振り返った。驚いた素振りはなかったから、誰かが歩み寄って来ていたことに気付いていたのかもしれない。幸村は高虎を認めて、にこりと微笑んだ。数年前と変わらぬものだ。結局高虎は、三方ヶ原の戦いの後、すぐに武田家を去った。もう会うことはないだろうな、と思った割りに素っ気ない別れであったし、だからだろうか、再会した時も呆気ないものだった。まるで数日を留守にしていただけの、あまりにも重みのない、長い年月を感じさせない気軽さだった。白々しいとは思わなかったし、薄情だとも思わなかったが、唐突に真田幸村という男を思い知ったような気分になった。

「仕事中か?」

「さぼり中です。折角立派な松があるのに、この城の人々はそれを知らぬものですから。勿体ないなあ、とここに来るたびに思います」

 高虎は隣りに立ち、幸村に倣い松を見上げた。自然に生えているように見えるが、これは緻密な計算の上、手入れされているのだ。ほとんどの人の目に留まることはなく、気まぐれに催される茶会の、ほんの一瞬の虚勢のために。その無駄を、高虎は好きになることは出来ない。悪趣味だなとすら思う。

「豊臣は活気があるな。商業を奨励しているからか、人も物も溢れ返っている。そういう国は、確かに豊かになる。うまい治世の方法だ。だが、どうも俺には居心地が悪い。賑やか過ぎる。乱雑過ぎる。ここは、俺の性には合わん」

「わたしもですよ」

 幸村はゆっくりと高虎を見、再び松を見上げた。豊臣秀吉という男は悪趣味だと、今ほど強く思ったことはないだろう。秀吉が幸村を気に入って側に置きたがる理由は、この松を気まぐれに整えるのと、大差がないように思えたからだ。

「でも、もう離れ難くなってしまいました」

 少しだけ寂しそうに、幸村は言った。飼い慣らされている、と自覚しているようだった。ここでは、幸村の戦が出来ない。数の不利すら覆して、己の槍を頼りに己の手勢を頼りに戦を繰る、美しいあの戦を。歯がゆいと思う。戦がなくなれば、それでいい。高虎は戦の後の治世こそ重要だと思っているが、それでも、この男から戦を取り上げるのはあまりにむごい所業のように思えた。美しく散る、その決意をしてしまっている男にとって。

「何故?」

「きっとあなたもそうなのでしょうけれど。大事なものが出来ました。守りたいと思います。許されるなら、ずっと側にありたいと思います。そう願う存在が、出来ました」

 まるで、出来てしまった、と嘆くように。幸村は確かに笑っていたが、その笑顔はどこか寂しげで苦しげだった。彼は、大事な存在が出来たことを誇らしく思うことすら知らないのだ。


 次の言葉が見つからず、会話に隙間が生まれてしまった。幸村は、高虎からの言葉を待っているようにも見えたし、どうでもよいと松を眺めているようにも見えた。幸村にはそういう素っ気のないところがあった。独り善がりなのだ。この男と親しくしたいと思っている人間がいることなど思いも付かぬに違いない。この男の特別になることができたら、と思う人間がいることに、まったっくまったく気付いていない。鈍い、と言葉でまとめてしまうのは容易いが、それは僅かに違う。幸村は、己自身に何の価値も見出していない。戦場に立つ己こそ全てで、それ以外はただの付属品なのだと思っている節があった。
 それならば、この場を取り繕う言葉は不要だろうか。高虎は言葉探しを諦めて、ようやく見つけた静寂に目を閉じた。のだが、まるで豊臣の喧騒の象徴のような三人組が、この静けさを呆気なく壊してしまった。幸村を探しに来た、島左近命名の三馬鹿の登場だった。


 石田三成と福島正則の言い合いに挟まれている幸村から離れて、加藤清正は三人の様子を眺めていた。巻き込まれてはたまらない、と高虎も三人を遠巻きにしている。清正は他の二人に比べたら物静かな性質だが、三成と言い合いをしている時などは、正則を上回る喧しさだ。激情家であることが、余計に二人を熱くさせるらしい。

 遠慮のない清正の目が、高虎をじろじろと眺めている。なんだ、と視線で訊ねれば、うろたえることなく、ふてぶてしい態度で言葉を発した。豊臣の人間は好きになれない。誰も彼も、馴れ馴れしいし厚かましいし、勝手に人の心にずかずかと上がり込もうとするし、そうすることが正しいのだと信じ込んでいる。ああ、好きになれないのは、豊臣秀吉という人そのものか、と高虎は主を盲信している清正を睨み返しながら思った。

「幸村とは親しいのか」

「さあ?どうだろうな。今日はたまたまだ。ここに幸村がいるとは知らなかった」

 清正でも、誰と誰が親しいだとか懇意にしているだとか、そういったことが気になりもするのか、と少し失礼なことを高虎は思った。三成ほどではないにしろ、この男も決して人との交流が多いというわけではない。ただ、人に好かれやすい性質であることは知っていた。余計なことは話さない賢明さがあったし、嘘を嫌う真摯さがあった。

「幸村と親しくなるには、相当に骨が折れる。違うか?」

 少なくともお前よりは幸村のことを知っているぞ、と言葉の端に匂わせれば、清正はあからさまに眉間に皺を寄せて、不機嫌を表した。本当は大差のない優位を気取られぬように、高虎は口許に僅かに笑みを乗せる。
 あんたの心の内に居たいと思う人間はここにも居るのというのに、あんたはその事実にすら見向きもしないんだろうな。高虎がそう独白すると、高虎の内心を読めたわけもないはずなのに、幸村はまるで高虎に反論するかのように、視線を向けたのだった。





***
12/12/02