聞き慣れた足音に、源二郎はそっと目を伏せた。決してその足音は怒っているわけでも、苛立っているわけでもなかったが、その事実が余計に源二郎の心を重くさせた。足音は部屋の前でぴたりと止まった。
源二郎は小さくため息をついて、
「どうぞ、兄上。」
とだけ声を発した。足音の主は、がらりと襖を開けた。果たしてそこには、源二郎が名を呼んだ通り信幸の姿があった。
信幸は、
「少し、お前と話がしたくてね。」
と、いつもと変わらぬ笑みを浮かべたまま、源二郎の正面へと腰掛けた。
「時に源二郎、お前、上杉家へ行かねばならぬそうだね。」
「兄上はそれを言う為だけにいらっしゃったのですか?」
「可愛い弟が、どこぞの家に嫁ぐと聞き、慌ててやってきたというのに、お前はつれないね。兄の心寂しさも分かっておくれよ。」
「兄上の誇張癖には困ったものです。」
ふふ、と源二郎が笑えば、兄も同様に笑みをこぼした。父と母それぞれの血を色濃く受け継いでしまった二人は決して似た兄弟ではなかったが、それがよかったのかもしれぬ。信幸は源二郎をよく可愛がったし、源二郎もよく信幸に懐いていた。槍や刀、体術に長けていたのは源二郎だが、その優劣に僻むような兄ではなかったし、源二郎もその優劣をひけらかすようなことはなかった。むしろ家臣たちに武術を褒められる度に、これで父や兄のお役に立てると喜んでいる程であった。源二郎は兄を支えることを本望としていたし、それこそが真の姿だとも思っている。兄弟で家督争いなど愚の骨頂だ。兄のような出来物が居ながら、己が出しゃばるなどありえないとも思っている。二人は、戦国の世にはまさに理想の兄弟であった。
笑い声の合間、唐突に信幸が源二郎の手を取った。掬い上げた手の平を、ぎゅうと握る。子ども体温の源二郎には信幸の手は冷たく感じられたが、そうして互いの熱を分け合って同じ温度になっていけば良いと思えば、特に不快は感じられなかった。
信幸は、
「源二郎、」
と名を呼び、膝を詰めた。先程とは違う、真剣な目に見上げられて、源二郎は背筋を伸ばし、
「はい。」
と短く返事をした。
「お前はわたしを恨んでいるか?」
「それをわたしの口から言わせるのですか?兄上も分かっておられるのに?」
源二郎も信幸同様、膝をすすめて、互いの距離を更に縮めた。
「わたしは、父上の為、真田家の為、何より我ら兄弟の為に、見聞を広めて参ります。」
「そう…。」
信幸は源二郎の言葉にはそれ以上は触れず、パッと手を離した。まだ信幸の指先は冷たいままだ。源二郎は思わずその温度を逃すまいと手を伸ばしたが、信幸が、
「源二郎。」
と凛とした響きをもって(更に言うのであれば、次期当主としての威厳をもって)源二郎の動きを制した。源二郎は僅かに顔を顰めて、兄を見上げた。源二郎が初めて聞く兄の声であったからだ。
「お前の言葉に嘘はあるまい。お前はとても素直な子だもの。だがな源二郎、いつまでも子どもではいられない。何も知らない子どもではいられない。」
源二郎は首を傾げる。兄は哀しそうに眸を細めながら源二郎を見つめ、冷たいままの指で源二郎の頬を一撫でした。
「お前の一番が、父上でも真田家でもましてやこの兄でもないことを、お前もいつか知るだろう。」
わたしは ひとえに
お前が人の醜さと愚かさを知ってしまわないかと
そればかりに おびえている
(けれどもお前は言うだろう。『ゆえに人は美しいのだ』と)
嬉しいリクエストを折角頂いたのに、それが活かせない奴です、おおぉすいません…!うちの真田兄弟はらぶらぶ(親愛とかそういう系の意味で)なので、いちゃいちゃさせるぞ!以心伝心させちゃうぞ!と思ったのに、何かあれ?な感じになりました。弁丸時代でもいいよ、って言われたのに!時間的には、丁度上杉家へ人質に行くところです。後書きまでグダグダですね、すいません。何はともあれ、リクエストありがとうございました!この二人も今後要研究が必要だということがよくよくわかりました。
09/01/01