幸村がマジ切れしてるので、大和撫子はそんなことしないよ!って方は戻ってください。
OK?
小田原での戦も終結し、ここ大坂に流れる空気は穏やかであった。人々の活気が城内にも良い影響を齎しているようだった。
ただその中で一人・真田幸村だけは鬱々とした日々を送っていた。今も鍛練の汗を流しながらも苛々とした気をしまいきれないようで、乱暴に己の身体を手ぬぐいで拭いている。
そんなこととは知らぬ三成は、遠回りをしてまで幸村の屋敷にわざと通り掛るようにして、幸村の屋敷の門をくぐった。手には土産の団子だ。幸村が甘味好きだというのは調査済みだ。時々はこうして幸村の屋敷を訪ねたり、城内の廊下ですれ違うように慣れぬ散歩をしたりしている。これらは一重に幸村の為である。俗に言う一目惚れであった。まだ三成に慣れぬのか、目が合う度に困ったようなはにかみを浮かべるが、それすら可愛らしいものだ。最近では特によく目が合う。彼には特別な思いなどないだろうが、三成の合図に応えてくれる様に、決して嫌われていないのだと思っている。
少々浮かれ気分で庭先に顔を出せば、案の定幸村の姿があった。この時間帯は大体鍛練をしているのだ。鍛錬が好きだけあって、幸村の身体には生傷が絶えないようだった。今も左の二の腕に包帯が巻かれている。などと幸村の身体を上から下まで眺めてから、「幸村ッ」と声をかけた。幸村はやはりちょっとだけ困ったようなはにかみで、「三成どの」と三成の名を呼んだ。
「ち、近くに来たのだが、ああ、これは土産だ。」
「はぁ、いつもいつもすいません。」
「気にするな。俺が好きでやっているだけだ。何よりついでだしな。」
三成のあからさまな言い訳に、流石に訝しんだようで僅かに表情に不審を滲ませていたが、そこは幸村だ、直接に言及することはなかった。
「今日は天気が良いな。」
「え、はい、そうですね。」
「散歩にでも行かぬか。」
強引な会話にも幸村は待ったをかけることはなかった。三成が期待をこもった目で幸村の言葉を待つ。幸村は困ったように眉尻を下げながら、
「すいません、今日は先約がありまして、」
と頭を下げた。まさか断られるとは思っていなかった三成にとって、まるで頭の上に巨岩が落ちてきたような衝撃であったが、そこは何とか繕って、そうかそうだよな、すまぬ突然に、と口早に呟いてその場を後にした。幸村が心底申し訳なさそうにしていたが、それが三成の予想していた理由ではなかったことに気付くのは、もうしばらく後の話である。
ショックを引き摺りながらも何とか自室へと帰還した三成は、出会い頭に左近を殴りつけて何とか憂さを晴らした。突然に殴りつけられ無様に畳の上を転がった左近を尻目に、三成は己の机に腰掛けた。恨みがましく三成に視線を向ける左近を冷ややかに睨み付ければ、彼からの非難はそれで止まった。
「何をそんなに荒れてるんです?幸村と会えませんでしたか?」
「会った。今日も可愛かった。」
「はぁ、そうですか…。」
呆れたようにため息をついた左近をもう一睨みしながら、積まれた書簡に手を伸ばす。全くもって、仕事をする気にならない。
「会えたなら、どうしてそう機嫌が悪いんです?鍛錬を理由に誘いを断られました?」
「お前には関係ない。」
頬杖をついて、ぼんやりと紙面に視線を落とす。そう言えば、あの左腕の傷の具合はどうなのだろう。構わずに鍛練に励んでいたのであれば、そうそうひどいものではないのかもしれないな。それにしたって無用心だ。怪我など作りおって。怪我をするぐらいなら、鍛錬など適当でも良いではないか。
「真面目なのも困りものだな。鍛練で怪我をしていては世話がない。」
「はぁ。」
「打撲や擦り傷ぐらいなら仕方がないと思うが。いや傷一つすら本当は負って欲しくはないのだがな。それにしたって包帯が必要なぐらいの怪我など、」
ほとんど三成の独り言だ。しかしある種三成への耐性がある左近は、それはおかしいですよ、と彼の独り言に横槍を入れる。三成の鋭い目が左近へと注がれた。
「真剣で鍛練しているわけでもないのでしょう。それなら、模擬戦をしていたって、そうそうひどい怪我は負いませんよ。」
左近の言葉に、三成はがたりと大袈裟に物音を立てて立ち上がった。その衝撃で机の上の墨が書面にはねたが三成は気付かなかった。何やら嫌な予感がするのだ。その勢いのまま三成は部屋を飛び出した。先程辿った道を走り抜けていく。
時間は僅かに遡る。丁度三成が幸村の屋敷から去ったところだ。鍛練の汗を流し小袖に着替えた幸村は、三成から貰った団子と対峙していた。こういう心遣いは本当ならば遠慮したいのだ。色々とよからぬ噂が立っている。噂、というよりは、極々個人的な恨み、の方が近いのだろうなぁ、と幸村はぼんやりと思う。きれいな人だと幸村は思う。姿形もそうだが、何よりその心が清廉潔白だ。だからこそ、この城内に渦巻く妬み嫉みにも気付かぬのだ。例えば、気まぐれにしろ、この大坂の主・秀吉の懐刀である三成が、しがない小大名の次男坊に入れ込んだ様が世間様ではどのように映るか、などは。分不相応だ、わたしとあの方は一生涯、隣りに立てぬであろう。だからと言って、幸村は釣り合う身分が欲しいのではない。わたしの恋はひっそりと終わっていけばよいのだ。
幸村は小さくため息を吐き出して、包みをゆっくりと剥いていく。だからこそ、こういう純粋な好意は困るのだ。断るにも罪悪感が残ってしまう。結局この日も受け取ってしまった。さて忍びたちにも配ってやるか、と手を叩いて茶を淹れてくるよう頼むついでに、召集をかけた。
結局集まったのは、くのいち、小助と望月六郎だけだった。そう言えば、もう一人の六郎には、極々個人的な用を言いつけていたことを思い出した。それを思い出すだけで腹立たしい!握り締めていた団子の串が、怒りを受けてみしりとしなった。
一口目、違和感は全くなかった。続けてもう一口、口に含み、甘みが口内に広がり、噛み砕いた団子を嚥下する、まさにその時だった。一瞬、僅かだが確かに幸村の舌に痺れが広がった。まずい!と思った瞬間からの幸村の条件反射は見事と言うほかないだろう。手にしていた団子を放り投げて咳き込めば、心得たもので、小助がちり紙を無言で幸村に握らせる。幸村はそれを乱暴に掴み取り、それに向かって口の中のものを全て吐き出す。その間に六郎は水を取りに行き、幸村に向かって湯呑を差し出す。幸村は二度三度、口の中をすすぎ、ようやくそこで大きく深呼吸をした。毒に対しては、城詰めの武将たちよりは耐性もあるし対処の方法も知っているが、完璧ではない。最早無意識だが、一口一口は小さめだ。今回もそのお陰で被害は最小限に留めることが出来たが、僅かに毒を受けてしまったようだ。舌先ばかりではなく、手足の先も痺れている。
幸村は大きく息を吸い込む。ああもう!わたしはただ、平穏とした日々が欲しいだけなのに!
「くのいち!お前はこの犯人を突き止めて来い!六郎、お前は解毒薬を作れ!そこに実物があるから簡単だろう。半刻!猶予は半刻だ!よいな、散れ!」
はいは〜い、了解!と各自、己の使命の為に部屋を飛び出す。見逃してやるはずだったのに、誹謗中傷から始まり、先日はいきなり刺客を送られ傷を負ったが、それでも幸村は寛大にも許そうとしていたのに!もう容赦などしてやるものか、真田を舐められては困る。幸村は勢いよく立ち上がった。これで大坂に居られなくなったとしても、わたしに後悔はない。
庭先から、ザッと土をこする後ずさりをする足音が聞こえた。幸村だけではなく、小助もそちらへ視線を向けた。
「三成どの、いつからそちらに?」
幸村に動揺はない。捨てる覚悟をした人は強いのだ。周りを遠慮して決して三成には向けなかった満面の笑みで三成に笑いかけながら、そう訊ねた。三成は不測の事態の連続に脳がついていけないようで、腰が引けている。今にも逃げ出しそうな体勢だが、幸村がもう一度、「いつからそちらに?」と笑みのまま訊ねれば、「お前が団子を食って噎せた辺り、」と弱々しく吐いた。あれは三成が送った団子であって、毒を混入できる人間は三成だと思われても仕方がない。弁明をしようとも、三成の口は動かなかった。幸村は三成の反応にいっそう笑みを深くして、こちらへ、と己の隣りを示した。助けを求めて辺りを見回せば、幸村の家臣の小助と目が合った。無言で頷かれては、この場に己の味方など一人もいないことに嫌でも気付かされた。三成は大人しく、幸村に促されるままに軒先から部屋へと足を踏み入れた。
三成はこんな幸村の様子を初めて見る。表情は三成が見たどの笑みよりも深いものだが、その実、目が笑っていない。怒っている、この上なく怒っている。穏やかな人間が切れた時のおそろしさを思い出して、三成は身震いをした。
「そんなにおびえなくとも、あなたが犯人でないことぐらい、わたしは承知しております。」
「え、」
「ただ、わたしも我慢の限界ですので、半刻ほどお時間をいただけますか?ああ、話は聞いていたのでしたね?」
にこり、とこんな状況でなければ三成は両手を上げて喜ぶ笑みを送ってくる。三成は言葉を失って、早く忍びたちが知らせを持ってくるのを、今か今かと待ちわびるしかなかった。
幸村は身を硬くして時が過ぎるのをひたすらに待つ三成の横顔を、ちらりと盗み見た。本当は彼を巻き込みたくはなかったし、わたしの本性を曝け出すつもりもなかった。実際、この件はわたしが我慢すればよいだけなのだ。それは分かっている。分かってはいるものの、わたしとて聖人神君ではない。我慢の限界、堪忍袋の緒が切れることだってあるのだ。ああ思い出しただけでも腹だが立つ!どうも都かぶれの方々は陰険で嫌だ。
一陣の風が通り過ぎる。背後から庭先から、同時に声がかかった。
「幸村さま!準備完了〜!」
「若!解毒剤、できました!」
幸村は後ろ手で解毒剤の丸薬を受け取り口に含みながら、くのいちの報告と共に差し出された書面に目を落とす。流石六郎、すぐに手足の痺れは引いていった。くのいちの頭を一撫でし、ご苦労、と二人に労いの言葉をかける。
「よし行こう。三成どのもご一緒に。」
立ち上がれば、遅れて三成も後に続く。くのいちがさも楽しそうな顔をしていたせいで、幸村もついついその笑みを返してしまった。蝶よ花よと育てられた方々に、我らの悪戯は少々手厳しいだろうが。と口走ったつもりはなかったが、くのいちには心を見事に読まれていたようで、彼女はきししッと笑い声をもらした。あ、と思い出したように足を止めて小助と六郎を振り返れば、承知しています、と頭を下げた。うん、優秀な忍びたちで本当に助かる。夜逃げの準備は万端だ。
幸村は三成を引き連れて大坂城のとある部屋へ向かって、わき目もふらずにずんずんと歩を進めていた(くのいちは城に入る前に別れている)。すれ違う面々が、異様な幸村の気迫に驚いて道を開けた程だ。三成どのには呆れられているだろうなぁ、と思えば、幸村の心が痛んだが、最早振り返ることも出来ぬ状態だ。何せ、わたしは本気で我慢の限界だからだ。
そして、とある部屋の前で足を止めて、
「失礼ッ!」
と高らかに宣言し、声に負けぬ鋭い音を立てて襖を開けた。そこには秀吉の小姓である数人がお茶を片手に談笑していた。見目麗しい、小奇麗な顔をした、まだ歳若い小姓たちだ。初陣は済ませているだろうが、前線に出ることなく本陣内で震えていただけだろう。
「さ、左衛門佐どの、何用ですか?そももそも、断りもなく襖を開けるのは無礼です。」
「そうですよ、そのような物々しい雰囲気で、」
「お黙りなさい。」
小鳥の鳴くような弱々しい声をぴしゃりと押さえつけて、幸村は懐へ手を突っ込み、次から次へと紙束を取り出し、彼らの輪の中へ順々に叩きつける。最後には腰に差していた小刀をぽいと放り投げた。ほとんど刀を持つことがなくなった小姓たちは、それだけで驚いて女子のような甲高い悲鳴をあげた。
「この文に見覚えはありませんか?ああ、開いて良いのですよ?」
小姓たちは手に手を取り合って怯えている。幸村はにこりと笑みを浮かべながら、その中の一つを摘み上げる。
「こちらの文には、浪人の何某という者を雇い、わたしに斬りかかるよう命じた旨が書かれております。こちらには、わたしの行動範囲や日々の日課が書かれております。まだ、しらを切りますか?」
幸村は言いながら面々を見渡したが、反応を期待していないのか、さっさと文を置いて、今度は小刀を抜き放った。血糊がついている。手入れをしていないせいで、もう使い物にならない品だ。
「こちらに見覚えは?わたしを襲った浪人の何某という者が所持していました。小憎たらしいことに、手傷を負ってしまいました。わたしもまだまだですね、よい経験になりました。」
人が良いと表現してしまいたい程の穏やかな笑みを浮かべながら、幸村は彼らに近寄った。人数の差など、幸村の気迫の前ではさほど意味を成していない。幸村はその場にしゃがみ込み、面々の顔を一人一人眺め、そして、抜き身の小刀を畳に思い切り突き立てた。後ろで成り行きを見守るしかなかった三成も、その音にびくりを身体を震わせる。
「各々方!大人気ないとは思いませぬか!城内での噂話、誹謗中傷、まぁそれぐらいなら、わたしの至らぬせいだと思うことができましたが、刃傷沙汰の挙句に毒を盛られてはどうも自己完結ができませんでした。」
幸村はそこで一度言葉を切って、深呼吸をした。
「あなた方の気持ちが分からないわけではありません。確かに、わたしに三成どのは分不相応、何の好奇心が刺激されたのかは分かりませんが、わたしによく声を掛けてくださいます。ですが誓って、わたしは三成どのに媚を売っているわけではないのです。この大坂において、わたしは異質な存在なのでしょう、それが三成どのの琴線に触れただけなのかもしれません。余所者のわたしを詰るよりもまず、己を磨いて、三成どのに気に入ってもらえるよう心がけてはいかがか?!」
言いたいことはそれだけです、と幸村は踵を返した。三成と目が合うと、悲しそうに目を細めて、小さく会釈をした。三成は彼を引きとめようとしたが、それよりも先に幸村は走り出しており、三成の声は届かなかった。何より、この場に第三者の介入のせいで、三成は完全に幸村を追うタイミングを失ってしまった。
「こらこらこらーっ、幸ちゃんいじめる噂流してるのはあんた達でしょう?!幸ちゃんを妬むのはやめなさーい!!って、あれ?三成、あんたこんなところで何してるの?」
おねね様こそ突然に何ですか!とつい返さずにはいられない己の性質が憎らしかった。
口の悪い+マジ切れ幸村が書きたかったんです、すいません。苦情もちょっとだけなら受け付けます(…)
ちなみに、くのいちは友情出演です。