幸村は己の意識が戻るのを感じた。朝、穏やかに目が覚める時と感覚が似ている。そっと瞼を開けたが、それ以外の動きは極力消した。困ったことに、昨夜の記憶がない。その混乱は、静かに、けれどじわじわと幸村の脳に広まった。どうして己はここで寝転がっているのだ、そもそも、己は昨夜、いつごろ寝床に入った? そういった些細な、しかし普段であれば容易に思い出せることが出てこない。何か手がかりになるものはないか、と視線を移動させる。見慣れているはずの天井に、見知らぬ染みがある。慣れきっているはずの布団の手触りが、どこか、しっくりとこない。これが誰かの、懇意にしている三成や兼続の屋敷である、という結論は早々に排除していた。確かに、ここは己が住み暮らしている屋敷である。ただ、どこか、違う。僅かな違いだ。それが何、と言われても指摘できぬ程度の、本当に些細な。
『捜索は続けて。あの行き倒れはどうにかするから。旦那が行方不明なんて、ホント笑えない冗談だって。』
障子に人影が浮かび上がる。おそらくは声の主であろうその人物は、忙しそうに隣りの部屋を動き回っていた。聞いたことのない声だ。幸村の記憶のどこを探しても、その声と同じ人物などいない。だが幸村は、咄嗟に彼の名を呼ぼうとしてしまった。身体を起こし、障子に映る影を凝視する。
『にしても、嫌な符合だね。え?言ってなかったっけ?あの男の着物にね、家紋が縫い付けてあったんだよ。ホント面倒ごとは勘弁して欲しいんだけどね。ああうん、その家紋ね、どう見ても六文銭なわけ。』
幸村は慌てて己の姿を眺めた。いつもの着物ではない。幸村が来客用に用意していた着物に似ていた。
『ああ、こっちはいいって任せといて。』
影は言いながら、障子に近付いてくる。両手が塞がっているらしく、彼は足で障子を開けようとしているようだった。
(十蔵?いや、違う。甚八、でもないようだし、)
幸村は布団から身体半分を出し、その障子に目を凝らす。誰だ、誰だ、と頭の中でぐるぐると思考が絡まっている。
「佐助、」
「はい?」
がら、と障子が開いた。幸村がその名を呼んだのは、正に同時であった。行儀が良いとは言えぬその所作だが、幸村は別段不快を抱かなかった。この場合、違うことに気を取られていた、と言った方が良いのかもしれないけれど。
二人は互い、そのままの体勢で見つめ合った。互いの出方を窺がっていたのだが、それは互い、同じであった。先に沈黙に耐えられなくなったのは、障子を開けた男である。「何?」といかにも不審そうに幸村を眺めている。幸村は己の中途半端な体勢に気付き、急いで居住まいを正した。
「確かに俺は佐助って名前ですけどね、おたく、どちらさん?」
幸村の記憶の猿飛佐助とは、随分と違う。けれど幸村は、この男が佐助であると確信してしまった。幸村は、この男が佐助だと知っているのだ。何故? それは至極全うな疑問であったが、己のことであるにも関わらず、答えは出なかった。何とはなく、私が私を自覚するのと同じように、佐助が佐助であることを知っているのだ。
幸村は、そうしてふと、
(ああ、これは夢だ。)
と悟った。段々と昨日のことを思い出してきたせいもある。数日間、季節外れの病を拾ってしまったせいで、高熱で魘されていた。ようやくその熱も下がり、三成や兼続が明日見舞いに来る、という話になっていたはずだ。数日を寝て過ごした割に身体が軽いのは、これが夢である証拠ではないだろうか。
「私は、真田幸村だ。」
その時、慌しく部屋へと忍びが駆け込んできた。佐助は疑わしげに幸村を見やったが、今はこちらよりもその忍びの報告を優先するべきだと判断し、先程のこもっていた部屋へ戻ろうとする。
「待て。」
「部外者には言えない。」
「私も当事者の一人だと思うが? 私も聞いておいた方が、後の手間も省ける。才蔵、"真田幸村"は見つかったのか?」
彼らが誰を捜索していたか、など、想像に難しくはない。これは随分と意地の悪い問いだ、と幸村は思ったが、表情には出さない。忍びは、見ず知らずの男に名を呼ばれ驚いていたが、名を間違えてはいなかったようだ。才蔵は困ったように佐助へ視線をやった。指示を仰いでいるのだ。しかし佐助は諦めたのか、それとも彼なりに思うところがあるのか、肩を竦めつつ頷いた。
「山に結界を張り気配を探っておりますが、幸村さまのお姿はどこにもありません。」
「やはり、」
思わずこぼれた言葉に、佐助が神経質そうに眉を寄せる。幸村はあえてそれを流し、下がって良い、と才蔵を任務へと戻らせた。才蔵も今度は佐助に確認することなく、さっさと退室してしまった。
「ねえ、あんた、」
「私はどういった経緯でここに寝かされていたのだ?」
佐助の問いを強引に折り、幸村はもう一度ぐるりと部屋を見回した。己が暮らしていた部屋と、本当によく似ている。似すぎている。佐助も幸村の強引な様子に諦めたようだ。
「才蔵たちに探索させてる山で倒れてたところを、俺が拾った。旦那が居なくなったと思われるところにぶっ倒れてたから、何か知ってるんじゃないかと思ってね。」
「残念ながら、私は何も知らないし、どうやらここの真田幸村ではないようだが、
同じ世界に、真田幸村は二人も存在できない、ということだろうか。」
そう幸村がこぼした時の佐助の表情があまりにも人らしくて、幸村はつい佐助に手を差し伸べてしまったのだった。
拾われる
どちらかと言えば、こちらが拾ってしまったような