遭遇する
知らない。けれど、知っている。
「はいはい。あなた様が真田幸村様で、俺が知ってる旦那は、今この時にはどっか違うとこ、例えば真田幸村様が元々居たところに居るか何かして、ここには居なくって、そもそも、ここは真田幸村様の夢の中だから、俺たちはな〜んにも慌てる必要はないってこと?」
「ひどく気にかかる言い方だが、まあ大概そんな感じだろう。」
幸村がうんうんと頷けば、佐助が大きくため息を吐いた。失礼なやつ、と幸村が視線を向けても、すいませんねぇ!と悪びれた様子もない。
「冗談は置いといて。何となく、それは分かりますよ。あんたは旦那じゃないけど、旦那と重なって見える。声も姿形も、何もかも違うはずなのに、動作とか空気とか、何かそんなのが旦那だ。」
「私も、何となく、お前が佐助であることが分かった。そのようなものだろう。」
適当っすね、と佐助が言えば、そういう性格だ、と幸村が返す。幸村は三成のように几帳面でもなければ、兼続のように白黒つけたがる性格でもなかった。そういうこともあるだろう、という、柔軟性があるとも、いい加減ともとれる性質であった。確かに、この辺りも、重なる部分があるのだろう。
「でも、旦那の捜索は続けさせてもらうよ。」
「ああ、仕事に支障の出ぬ程度で頼む。」
「それで、若のことだけど、」
幸村は動きを止め、わか?と己を指差した。佐助からそう呼ばれるのは、慣れていない。
「今更幸村様って呼ぶのもなんかなあ、と思ったし。やっぱり旦那とは区別したいし。まがいなりにも俺も、あんたを幸村様って認めたわけだから。苦渋の決断ってやつ?」
言いにくそうに告げた佐助に、幸村はそんなものか、と思いながらも、分かった、と頷く。忍びという人種は、もののふ以上に人の感情に敏感であるらしい。確かに、彼らが慕っていた真田幸村と己は違う人間である以上、それを区別したいと思うのは当然であろう。その理屈が幸村には通用しないことが、理解に苦しむ理由でもあるが。
話の腰を折られた佐助だが、幸村が一応の納得をしたことで、それで、と続きを紡ぐ。
「この際、若は信幸さまってことにしておいたらどう?幸い、信幸さまは上田城を護っておられるし。若ほどは、名前が通ってない。武田の家臣には通用しないと思うけど、他国の人にはそれで十分だと思うよ。」
「兄上が上田城を?すまぬが世の情勢がどうなっているのか教えてくれないか?」
幸村が急かすように言えば、佐助は心得たもので、はいはいと言いながら腰を上げる。精密な地図は未だ存在しないが、大まかの勢力を掴む程度なら問題はないだろう。
しかし、佐助が戻るよりも早く、繋ぎの者が部屋へと訪れた。佐助の機転か、この部屋へ繋ぎに来るものは才蔵か、もしくは他の十勇士の誰かとなっていた。いらぬ混乱は少ないほうが良いということだろう。
「幸村さま。客人がお見えですが、どう致しましょう?」
「客人?」
はて、三成どのか、兼続どのか。慶次どの、という可能性もある。が、幸村はその名を口には出さなかった。己の生きる世界とは明らかに違う情勢であることを感じ取っている。いたずらに混乱を招くのは歓迎すべきではない。
「どなたが見えたのだ?」
「それが、」
才蔵が名を告げるよりも早く、障子が勢いよく開かれた。
「Hey!幸村ァ!取り次ぎなんざ、まどろっこしいことしてんなよ!」
座ったままの状態であったから、丁度幸村が見上げる体勢だ。傲岸な態度、斜に構えているように見せかけて、その実、隙がない、何より、彼の右目を隠している眼帯こそ、彼が誰なのかを如実に物語っていた。伊達政宗であろう。なれば、背後に影のようにして寄り添っている男は片倉景綱であろうか。幸村が目を見開いてその男を見極めようとしていたように、その男も目を細めて幸村を見下ろしている。鋭い眼光は、片目であってもその迫力を損なわない。
「ん?真田幸村はいねぇのか?」
「わたし、は、」
さなだゆきむら、だ、と名乗ろうとしたのだが、佐助が二人の間に飛び込んできた。片手には、幸村が頼んでいた地図が握られている。
「ちょーっと待って!独眼竜の旦那!旦那は今留守なの、留・守!悪いけど帰ってくれる?片倉さんも、どんな教育してんの?取り次ぎ無視して上がり込むなんて、礼儀がなってないんじゃない?」
佐助の登場に、明らかに政宗は機嫌を悪くした。あからさまな舌打ちは幸村にまで届いた程だ。
「その男は何者だ。」
「真田信幸さまだよ。旦那の兄上さま。」
「似てねぇ。」
「あの子と私は、母が違うから。」
政宗が再び幸村に視線を向ける。同時に、佐助も、ここは黙ってて!と振り返った。その二人の反応に曖昧に微笑みながら、
「見ての通り、弟は不在ですので、ここはお引き取り願いたいのですが、」
そう努めてにこやかに返答をする。ここまできっぱりと言ってやれば、聞き分けの良い政宗どのだ、きっとお帰りになるに違いない。そう思った幸村だが、政宗は幸村の思惑通りにはいかなかった。楽しそうに口許に笑みを浮かべ、幸村に近付いてきたのだ。
「その嘘はいただけねぇなあ。なあ、真 田 幸 村 。」
幸村は、その名を呼ばれても動揺はしなかった。
「見事な慧眼で。」
否定はしない。やはり佐助が抗議をしたが、幸村が仕方がないだろう、と笑えば佐助も口を噤んだのだった。