『考え事ですか。何とも不遜な。』
 幸村は政宗の前に通され、第一声にそう言い、いつもの笑みを浮かべた。会う回数は決して多くはなかったが、互いに気安さが表れる程度の会話を重ねてはいた。政宗はつい手にとっていた煙管を置き、幸村の顔を見るなり、にやりと笑った。
『そなた、わしの考えておったことが分かるのか。』
 幸村は置かれた煙管を物珍しそうに眺めながら、『政宗さまは、よく顔に表れまする。』とさらりとそう告げた。政宗は幸村の答えが予想していたものよりも胸がすく切り替えしであったから、声を立てて笑った。
 政宗の顔の皮は分厚い。親しい者であっても、その内心まではそう簡単には悟らせぬし、表情にも表さない。表情や空気をつくろうことに長けているのだ。だが、幸村はそんな政宗を分かりやすい、と言い切った。当然のこと、もしや自覚がありませなんだか。そう続ける幸村を、政宗は一度として賢しい奴だ、とは思わなかった。然もありなん。政宗にとっても幸村の感情など、その表情一つ、動作一つ、空気一つで読み取ることができたからだ。
『不遜か。』
『はい、不遜です。』
 政宗は未だ笑いの衝動が収まらぬようで、肩を震わせながら繰り返した。幸村は足を崩した政宗とは裏腹に、行儀よく正座をして政宗と対峙していた。どれを取っても対照的な二人である。
『では、問う。わしの許を訪ねる真田幸村こそ、不遜ではないのか?』
 幸村は石田三成、直江兼続と懇意にしている。特に兼続と政宗の仲が険悪であることは、周知の事実である。何がそんなに合わぬのか、と幸村が訊ねたことがあった。馬が合わぬ、の次元ではない。相手の言葉一つに気分が害される、相手の掲げる思想一つに苛立ちがつのる、相手の声、雰囲気、仕種、まとう空気。全てが全て、嫌悪の対象であった。
『奴の存在がそもそも気に入らぬ。存在していることに虫唾が走る。』
 考えることすらおぞましい政宗はそう吐き捨てた。幸村はやはりにこにことしたまま、『お二人は似たもの同士ですから、きっと同族嫌悪というものでしょう。』とのたまったのだ。政宗は二の句が告げず、ぱくぱくと口を動かし、ようやく怒鳴りつけるように『馬鹿め!』と叫ぶのがやっとであった。
 そういう経緯があったから、外面の良い幸村が兼続に何と言い訳をするのか見てみたくなった。こやつのことじゃ、理不尽に叱られようとも殊勝に頭を下げ、再びここに現れるであろう。まこと、喰えぬ男よな。
 幸村は言う。
『どうやら私は、政宗さまの中では不遜であるらしいですね。ですから、不遜である私という男は、不遜ゆえその問いに答えませぬ。』
『よう言うた!よう言うたわ真田幸村!そなたの今の顔、あの不義共に見せてやりたい程だぞ!』
『不義ではありません。不義は政宗さまの方でございましょうに。』
『他人の交流にまで口出しする馬鹿共めを不義と言わずしてどう表現する。貴様はそうやって負け犬の集団に埋もれるか。それが真田幸村の義か。』
『それが世の流れであれば、私は喜んで。』
『馬鹿め!貴様が負けを選ぶは、貴様が救いようのない阿呆であるからよ。』
『では常に勝者となします政宗さま。それならば、戦で相見えたその時、その首頂戴致し、せめてもの反骨とさせて頂きとうざいます。』
『よう言うわ幸村。その時は、わしがそのそっ首討ち取り、揺るぎない勝利の布石としようぞ。』
 会話の後には、決まって笑い声が響いた。政宗はこの言葉遊びが好きであった。あの真田幸村がこうもずけずけと物を言う様に、胸をすく思いがしたのだ。のう幸村、そなたとわしはまっこと似ておる。似ておるが、しかし、決して道は交わらぬだろう。だからこそ、わしはそなたが好きじゃ。そなたの空気が好きじゃ。そなたの不遜が好きじゃ。政宗の視線を受けても、幸村はいつもと同じようにくすくすと笑うばかりであった。政宗は、幸村もまた己と同じ思いを抱いていることを知っていた。



***



「天下が欲しいか。今更天下に乱を起こしてまで、伊達政宗は天下を欲するか。」
 家康の問いに、政宗は笑った。一頻り笑い、そうじゃそうじゃ、とからかう口調で続けた。
「ああ欲しい。わしはわしだけの為の天下が欲しい。わしが自侭にできる天下が欲しい。乱世の再来じゃ?そんなもの、関係ないわ。わしはわしの欲に従ったまでじゃ。あの男のようにな。」
 不快そうに、家康は僅かに顔を歪めた。家康が天下を取ったは、何よりも天下の為であったからだ。秀吉ならまだしも、秀頼に天下は治まらぬ。家臣団が纏まらぬ豊臣に天下の政は出来ない。その結果が関ヶ原の戦であろう。大名たちは家康の脅迫に怯えたわけでも、ねねの口添えに賛同したわけではない。そこまで、大名たちは傀儡ではない。天下を治めるに相応しいは家康しかいない、とそう判断した結果であった。
「民の為の天下であろう、世の為の天下であろう。それを、そなたは己が為と言う。それで、天下は治まろうか。」
「治まるのではない、治めるのじゃ。大衆は、誰が天下を取ろうがどうでも良いことであろう、家康公であってもよし、秀頼であってもよし、わしであってもよいのじゃ。大衆が天下人に求めるは、平穏に暮らす世であろう。」
「なれば政宗どの、そこもとは悪戯に乱を起こし、民の生活をおびやかしておるぞ。」
「欲に負けたのじゃ。」
 政宗は肩を竦める動作をした。殊勝に見えるのは、態度と言動だけだ。表情は未だ笑みが貼り付けられていた。
「家康公も不幸だのう。物言わぬ骸となった男が、今もそなたを執拗に討ち取りにやってくる。わしもそなたも、あの男の気にやられたのよ。」



***



『しばらく見ぬ内にまた雰囲気が変わったな。何じゃ、あの剣豪の影響か?』
 政宗は幸村に銃口を向けながらも、世間話のような気軽さを失っていなかった。ここは戦場である。しかも、政宗の腰の刀は、豊臣秀頼の血で汚れていた。この戦、既に勝敗は決した。秀頼は既にこの世に居ない。一矢報いん為に徳川の陣へと突き進む幸村の前に、政宗が立ち塞がった。しかし、政宗の口調はそれを感じさせなかった。数十年前、幸村が時折ふらりと立ち寄っては中身のない話をしていく、その時の政宗と何も変わらなかった。幸村は戦に浮かされた狂気をその眼に宿していた。研ぎ澄まされた刀のように澄んでいて、ああこやつこそまことの武士よ、こやつの美しさこそ、まこと武士の生き様よ、と政宗は心の中で感嘆の息を漏らした。政宗は幸村の全てを愛していたのだ。
幸村は、武器を納めぬ政宗と同様、愛用の槍を政宗に突きつけたままであった。槍は血と脂に塗れていた。この男、ようも今まで生きておったものよのう。政宗は口に笑みすら浮かべている。
『友、です。』
『友、とは、ふ、はは、はははッ!幸村、ようほざく男よ!友、友とな!青いことよ、真田幸村。友、とは、は、はははッ!』
 懲りぬ男よ、貴様も!その癖は最早治らぬ。死んでも治らぬわ!
『お笑いになるか、政宗さま。』
『笑う、笑うしかなかろう!なんじゃ、情を預けたのではないのか、その身全てを捧げたのではないのか!それを貴様は違うと言う。友じゃと!いい加減にせぬか幸村。夢を見たまま死ぬのか、それは何とも心地良いことであろうのう。』
『心地良いことなどありませぬ。あの男は私の信念を理解し得ませぬ、私の言葉などとんと届きませぬ。これの、どこが心地良いものでございましょう。』
 幸村はすらすらと言葉を紡ぐ。幸村は瞬きの合間すら厭うように、政宗をじっと見つめている。ああそうじゃ、そなたの真の理解者はわしじゃ、そして、わしをほんに理解しておるのはそなただけじゃ。
『それで尚、そなたはあの男を友と呼ぶのか。』
『ですから私は、武蔵を友と呼ぶのです。分からぬでしょう、私も分かりません。確かに苦しい、そして悲しい。理解できぬことは何よりも悲しいことだと私は知りました。ですが、それでも、私は武蔵が好きです。ええきっと、この思いは私にも理解できませぬ。ゆえに、政宗さまにも、とんと理解できぬのです。』
 そうであろう。幸村と政宗は互い、同じものを見、同じものを感じてきた。ゆえに、同じ目線で常に会話が繋がっていた。だからこそ、幸村が分からぬものを、政宗が理解できる理はない。
『そこをどいて下され。』
 幸村はやはりすらすらと言った。声だけを聞いたのであれば、先の会話の続きとも受け取れただろう。しかし幸村は、政宗が道を譲ってしまったら、一目散に家康の本陣へ攻め寄せる。政宗のことなど、もう振り返らない。背後から撃ちかけようとも、襲い掛かろうとも、ただひたすらに突き進むのみだ。真田幸村は、死などおそれぬ。常に戦場を生きた男は、そんな瑣末なものをおそれぬ。幸村は、政宗が今となっては封じてしまった欲を、未だその身に宿し妄信し、欲が突き動かすままに槍を掴んでいるに過ぎない。幸村の欲とはなんぞや。それは、家康の首をあげる以外の何ものでもない。この男は、今や天下の主となった家康の首が欲しくて欲しくてたまらないのだ。
『そなたの、欲深きことよ。』
『そう仰る政宗さまは、何ゆえその欲を己の中に閉じ込めてしまわれた?私はあなたの、欲に満ちていた黒黒とした眼を好いておりました。何ゆえ、今この瞬間、その欲を閉じ込めておられる?何ゆえ、己をつくろうとなさいますか!』
『そなたとわしとでは違う。自侭な貴様には出来るであろう。だが、わしには出来ぬ。』
 ええ、ええ!存じております、おりますとも!幸村は叫ぶように言う。
『ですが、あまりに悔しい。私ばかり、この欲のぶつけ所に困って、このようになってしまいました。それなのに政宗さまはどうです?自侭になれ、己に忠実に生きろ、それが出来ぬ人生など、なんともつまらぬことよ、そう申されたは、若気の至りでございましょうや。』
『わしがそなたに惹かれたは、そなたが真田幸村であったからだ。』
『そうですね。私があなたに惹かれたのは、あなたが伊達政宗であったからです。あなたは未だ、真田幸村を追い求めている。けれど、私の目の前には、私が惹かれた伊達政宗はいらっしゃらない。あなたは、私が惹かれた伊達政宗ではなくなってしまった。牙を失ったあなた様は、一体どなたでございましょうや!』





胡蝶の夢