幸村の屋敷から帰った左近を待ち構えていたのは、例によって機嫌の悪そうな主、三成であった。機嫌が悪くなくともそう見えてしまうのだから、左近は損をしていると常々思っているのだが、それを告げた所で改善されるとも思わぬ。むしろ本当に機嫌を損ねてしまうだろう。
「何の御用で?」
三成の手には、いつものように書簡の束が抱えられているわけではない。用がなければ、左近にすら中々関わろうとせぬのが三成である。左近はきっと幸村のことだろうと思っていたが、それには知らぬ顔をして、
「まぁ、とにかく座ってください。」
と促した。三成は左近の言葉に無言で従った。横柄な態度は、流石、石田三成、と言うところであろうか。
「幸村に会ったか。」
三成は言葉少なにそう訊ねた。分かっていたことではあったが、どこか感心しているところもあった。あの石田三成が、己が主が、こうも他人に気をかけたことなど今まで見たことがない。目の下には隈が出来ている。ここ数日は確かに多忙であったが、そればかりが原因ではないだろう。目の前の男は、不器用なりに悩んでいるということだ。
「ええ会いましたよ。やはり、というか、まあ元気でした。殿のことも気にかけてましたよ。殿も随分と心配しているようですし、一度見舞いにでも行かれたらどうですか?」
「女子が眠っている部屋に押し入るのは無礼だろう。お前は武田の頃よりの仲だから、それでもいいのかもしれんが、俺はそうではない。幸村に不快な思いをさせるだろう。」
言って、三成は腕を組んで考え込んでしまった。左近は己と幸村の仲よりも、三成との仲の方が余程深いと思っているだけに、三成の言葉に噴き出しそうになってしまった。幸村がそんな些細な問題にどうこう思うわけはない、と左近は思っているが、三成はそうではないらしい。律儀と言うか、堅物と言うか。
「左近は、いつ幸村のことを知った。」
三成の口調は穏やかであった。隠し立てしていたことに、些かの憤りも感じていないようであった。それとも、こればかりは個人の問題であり、主家に伺いを立てることでもないと、彼なりに割り切っているのか。
「武田の頃ですね。その頃から、まあ、あんな感じでしたよ。」
「そうか。」
と三成は短く頷いた。それきりであった。三成はまた、眉間に皺を寄せ考え込んでしまった。
左近は三成の表情を眺めながら、ふと思った。この主は幸村が女子であったことに確かに当惑しているが、だが、それだけであった。騙していた、と怒ってもいなければ、何故打ち明けてくれなかった、と嘆いているわけでもない。ただ、これから幸村にどう接していけばよいのか、それを悩んでいるようであった。
「左近。」
思考がまとまったのか、三成は再び口を開いた。左近もそこで思考を中断させた。
「何です?」
と左近は先を促したが、三成は、
「おかしいと思ったら、そう指摘してくれ。」
と前置きをして言葉を続けた。
「責任を取りたいと思う。」
「それは、またどうやって?」
女子に対して責任を取るなどと、方法はそういくつもあるものではない。三成は、
「左近のくせに、鈍いぞ。」
と悪態を吐きながら、その言葉をはっきりと口にした。
「幸村を娶る。いや、幸村の方が良いと言ったら、だが。これは、おかしなことではないだろうか?」
おかしなことではない。自分を庇って傷を負った女子に情が湧くのは、決しておかしなことではない。だが、それを幸村は望むだろうか。女子として三成の傍に居ることを、幸村が受け入れるだろうか。左近は考えたが、いくら考えたとて答えは同じであった。否、である。幸村は未だ女子である自分を直視出来ていない。女子になれ、自覚をしろ、と促しはしたが、そんなことで変化があるとは思えなかった。
中々返事の来ない左近に業を煮やしたのか、少々強い口調で名を呼ばれた。左近は、慌てて言葉を繕う。
「、別に、いいんじゃないですかね?」
それを幸村が受け入れる受け入れないは知りませんが。そう心の内で呟く。三成は左近の応えに満足したのか、
「そうか。邪魔をしたな。」
とさっさと腰を上げた。既に自室へ戻ろうとしているのだ。左近は慌てて三成を引きとめる。
「そう言えば、怪我が治ったら一度会いたいと幸村が言ってましたよ。」
「承知した。そう幸村に伝えよ。」
そう言いながら、三成はすん、と鼻を鳴らした。時期は夏である。芳しい香りが、部屋にまで届いていた。
「この香りは何の花だ?」
「ああきっと梔子でしょう。梔子の芳香は遠くまで香りますから。確か、殿の庭に咲いていませんでしたか?」
左近の言葉に何かを思いついたのか、三成は何度も頷き、そのまま退室してしまった。左近は三成が何を思い立ったのか少々気にはなったが、逆鱗に触れるような気もして、何も追求しなかったのだった。