「…呑み比べ、ですか?」
苦々しく告げた三成の言葉を鸚鵡返しに訊ねれば、表情はそのままに三成が大仰に頷いた。不本意だと表情が物語っている。事の始まりは、いつまで経っても仲違いしている三成と清正・正則の仲介に入ったねねが発案なのだが、こうなったらとことん行き着くところまで喧嘩をしてしまえ!ということで、喧嘩の方法をねねなりに悩んだ結果、呑み比べに辿り着いたらしい。三成にしてみれば、どこをどうひねったらそうなるのかが分からないのだが、ねねに反論することすら知らない清正が反対するはずもなく、酒が呑めるとあれば正則も賛成の色を示した。仲が良いとは言えぬ三人だが、付き合いは長い。三成が下戸であることを二人は知っている。間違っても負ける勝負ではないと意気込んだ結果が現状である。その三成の救済策として、二つに分かれての団体戦となった。互いに酒豪自慢の仲間を集って競い合おうではないか、というのが全容だ。
さて、呑み比べ当日。三成の助っ人として参加したのは、三成の友人だと豪語する兼続と、酒に誘われて付き添った慶次。その慶次が気まぐれに声をかけたのが政宗で、流石に一人で参加するわけには…と強引に付き合わされている孫市、そして参加する面々から代わる代わる声をかけられた幸村、強制参加の左近を入れて六人だ。豊臣恩顧と呼ばれる面々を引き連れた清正・正則たちと比べると人数は少ないが、揃いも揃って酒好きの酒豪集団である。勝負は意外にもつれるのではないか、というのが三成の見解だったが。
三成の予想はあっさりと破られることになる。呑み比べが始まってから一刻ほど。既に勝負という名目はどこかへ行ってしまって、単なるどんちゃん騒ぎとなっている。元々、三成・清正・正則間での仲違いであって、この三人以外にしがらみなどはない。酒が入って陽気な空気となった場では、三成側・清正側の垣根を飛び越えて、話に花を咲かせている。慶次と正則などは、既に浴びる程の酒を呑んで、肩を組み合って大笑いをしている。政宗も孫市の影に隠れながらも、豊臣恩顧の者たちとの親交を育んでいるようだった。政宗の場合、その笑顔の下にどんな思惑があるか分からないが。
幸村は酒のにおいが充満した部屋を一望して、苦笑を浮かべた。おねね様の企みが成功したのか否なのか。これで正則の肩を組む相手が三成であったのならば、彼女もまた策士だなぁと幸村も関心するところだが、三成は皆の視線を逃れて、部屋の隅でぼんやりと部屋の様子を眺めている。序盤に、兼続と慶次に強引に酒を呑まされて以来、ずっとあの調子だ。三成どのは酒が弱かったのだなぁ、とのんびりと思いながら、隣りで世間話をしていた豊臣恩顧の方々に一礼をして立ち上がった。周りに煽られて、三成ならば目を回さんばかりの量を呑んでいる幸村だが、生憎と酔う兆しすらない。しっかりとした足取りで三成に近づいた幸村は、控えめに、三成どの、と声をかけた。
三成は緩慢な動作で幸村に視線を向けた。酔っている。焦点が中々定まらないらしく、眉を寄せたり眉間の皺を増やしたりと、目元の迫力だけが増している。だが、女のように白い頬が赤く染まっている様とのちぐはぐさに気圧される幸村でもない。大丈夫ですか?部屋に戻りますか?と丁寧に訊ねれば、少しの間をおいて、子どものようにこくりと頷いた。本来ならば三成の世話をするのは左近の役割なのだが、序盤に三成の代わりにと酒を次から次へと呑まされて早々に潰れてしまっている。左近も酒に弱いわけではないのだが、その時の相手であった正則は彼以上の酒豪で、流石の左近も負けを認めざるを得なかった。既にその勝負自体が曖昧になってしまったけれども。
「立てますか?」
と、幸村が手を貸しながら三成を立ち上がらせようとするが、酔いが全身に回っているようで力が入らないようだった。ほとんど幸村にもたれかかるようにして三成は一応立ち上がったが、幸村が肩を抱きかかえるようにして支えていなければ、ふにゃりとへたり込んでしまうだろう。幸村は友人の可愛い痴態に微笑を浮かべながら、歩きますがよろしいですか?と再び訊ねる。顔にかかった髪がいかにも邪魔そうだったので出来れば除けてやりたかったが、片方は三成の肩を、片方は三成の手をしっかりと握っているものだからそれも叶わない。退席をするのだから、誰かに声をかけなくては、と再びぐるりと部屋中を見回したが、誰も二人には気付いていないようだった。一瞬の逡巡の後、自分はすぐに戻ってくるつもりだから、と言い聞かせて、その場を後にしようとした。その時だ。
「幸村」
と、背後から声をかけられ、幸村は首だけをひねって声に応えた。声の主は清正だった。彼もしこたま呑んでいるだろうに、顔が僅かに赤くなっているだけで酔っているようには見えなかった。
「なにか?」
「代わろう」
短い返答に、すぐには分からなかった幸村だが、ああ、と内心で声を上げた。誰も気付いていないと思っていたが、このどんちゃん騒ぎの中、清正は幸村たちのやり取りを見ていたようだ。言葉も少なく、どこかぶっきら棒なところがある清正だが、よく周りが見えている。さり気ない気配りが出来る人なのだと、幸村も知っていた。今回も、明日も仕事のある三成をそのままにしておくには忍びないと、機会を待っていたのだろう。そういう心遣いを真っ直ぐに表現すればいいのに、と幸村は思うのだが、口に出したことはない。自分がとやかく言ったところで、改善されるとは思っていないからだ。
清正はいつもの仏頂面のまま、手を差し出している。代わるから、そいつをよこせ、と言うことらしい。幸村は腕の中の三成と清正の腕を交互に見比べて、静かに、
「いいえ、ここはわたしが」
と、穏やかな口調の中に、きっぱりとした拒絶を表した。断られることを考えていなかったのか、清正は僅かに眉尻を上げて驚いた表情を作った。三成と比べ、あまり清正と会話する機会のない幸村だ。清正の中の認識に、間違いがあったかもしれない。
「だが、」
「構いませんよ。それに、あなたがいなくては、寂しがる方もいらっしゃるでしょう?」
ちらりと視線で促せば、その先には慶次とそれに巻き込まれた政宗となにやら楽しげに話している正則の姿があった。清正がいないと気付けば、どこに行った?!と騒ぎ出すだろうことは想像に容易い。正則だけでなく、彼らの応援に駆けつけた者たちも同様だろう。豊臣恩顧の兄のような存在であり、何かと皆に頼られる清正だからだ。清正もそう考えが至ったのか、「そうかもな」、と相槌を打ったが、「だが、」と言葉を続けた。
「お前だって、そうだろう」
同意を求めているわけではなく、確信に近かった。幸村はその言葉を、そうでしょうか?と誤魔化してしまった。三成が居心地が悪そうに身じろぎをした。二人の会話がどこまで届いているのか、微妙なところだ。清正は僅かに不機嫌そうに眉を顰めたが、それこそ幸村は見なかった振りをして、では失礼します、とその場を後にした。
広間を抜け、廊下を進めば、そこは夜の気配に満ちていた。静まり返った屋敷の中、遠くで彼らの騒ぎ声が聞こえるような気がするが、三成の部屋近くまで来てしまえば、その声すら届かない。静寂が支配した空気の中、二人の不規則な足音と三成の吐息だけが響いている。庭の片隅には薄が茂っている。寝所から用を足しにと廊下を歩く身であったのなら夜風も冷たく感じるだろうが、今はそのひんやりとした空気が心地良い。場の熱気でほてった身体には丁度良い程であった。
会話もなく、ゆっくりと廊下を進んでいた二人だが、突然に、「幸村、」と声をかけられ、幸村は足を止めた。顔を赤くした三成が、居心地が悪そうに幸村の袖を引いた。顔が赤いのは酒のせいばかりではなく、今の状況に対しての羞恥であったのだが、幸村は気付いただろうか。
「どうしました?お加減でも悪いですか?」
「少し、酔いを覚ましたい」
三成の言葉を受けて、そっとその場に座らせようと手の位置をずらす。三成の部屋に程近い。座り込んでいても、深夜のこと、邪魔にはなるまい。
「夜風が冷たくはありませんか?」
「心地良いぐらいだ」
壁にもたれかけさせ、手足を放り投げて子どものように三成を座らせた幸村は、ようやくその頬にかかっている髪を除けることに成功した。三成は一瞬驚いたものの、幸村の行動の意図に気付いたのか、すぐに顔を伏せてしまった。幸村も三成の隣りに、同じように座り込む。板目の冷たさが、肌には気持ち良かった。
しばらくは無言が続いた。幸村は口を開かなかったし、三成は何を言ったものか、と酔ったせいで靄がかかってしまった頭で必死に考えていたせいだ。気まずい空気にならなかったのは、幸村が横で穏やかに笑っているからだろうか。醜態をたくさん見せたというのに、幸村はそんな三成に幻滅した様子もなかった。不思議な男だ、と三成自身思う。平素は物静かで穏やかで、好青年の見本のような男だ。頑固で融通の利かない三成とは違い、冗談もそこそこに通じる、人に好まれる性質だ。戦働きも目を見張るものがあり、秀吉さまも幸村にはとても期待していることを、本人の口から聞いた。平時は好青年、戦場では鬼のような。それでいて、左近に発破をかけられて軍略を語った時などは、子どものようにあどけなく笑っていた。不思議な男だと、つくづく思う。時々、子どものようにあどけない表情を見せるのは、純粋さゆえだろうか。
そよそよと流れる風が頬を撫でて行く。ああ、心地良いな、と三成はのんびりと思う。そう言えば、先程幸村が髪を払ってくれた時、僅かに触れた指先も冷たかった。酒を呑んでいるだろうに、酔っ払った様子は微塵もない。
「お前は、酒が強かったのだな」
悩んだはずなのに、飛び出た言葉はそんな他愛ないことだった。三成のぼんやりとした視線が、庭の片隅で揺れる薄に注がれている。もう秋か、と脈絡なく思った。
「あまり、自慢にはなりませんが」
「俺は羨ましい程だがな」
幸村自身、あまり誇りとは思っていないようだった。酒が好きだが弱い三成にしてみれば、羨ましい以外の何ものではないのだが、幸村の声には言葉以上のものはなかった。静かに、幸村の言葉が心に沈んでいく。
「いくら呑んでも酔えない性質なようでして、酒が勿体ないと言われたことがあります。わたしも、そう思います。その為の酒なのに、わたしにはちっとも利きやしない」
その為の?と三成は問い、酔っ払う為の、と幸村は短く応えた。酔っ払う、というよりも、酔っ払って騒いで泣いて怒って、そうして誤魔化すことができないのだと言っているように聞こえた。酒の席での戯言を、幸村は知らないのだ。あんなもの、酔っ払った振りをすればいいのに。ああ、酔ったことがないから、酔っ払いの振りもできないのか。
「幸村、」
「はい」
「最後に泣いたのはいつだ?怒ったのは、叫んだのは?ああ戦場で、というのはなしだぞ。あれは、日常の範囲を超えている」
三成はゆっくりと視線を幸村に移したが、幸村は先の三成と同じように、庭へと顔を向けていた。横顔には憂いも嘆きも悲しみも映っていなかった。三成どの、部屋に戻りましょう、と己に手を差し出した微笑がそのままそこにはあった。
幸村は少しだけ考えるように首を傾けたが、答えが見つからなかったのか、「思い当たりません」と告げた。そこには嘘をにおわせるものすらなかった。本心なのだろう、偽りなき言葉なのだろう。それを三成はさびしいな、と感じた。激することを知らぬ幸村を悲しいな、と。
「この前、正則に口悪く罵られていたではないか、あれはどう思う」
「あれはわたしの身を思ってのこと。忠告に感謝こそすれ、何かを思う程でもありません」
「では、この呑み比べはどうだ。結局、勝敗なぞつかなかった。馬鹿騒ぎに付き合わされては溜まったものではないだろう」
「いえ、久々に酒が呑めましたし、皆さんとも話が出来ました。誘っていただき、ありがとうございます」
「…ならば!今の状況はどうだ!折角うまい酒を呑んでいる最中、俺のせいで中座させられてしまったではないか!」
「わたしが勝手に申し出たことですし、それに、こうしてのんびりと三成どのと話すことができましたし。わたしこそ、勝手に連れ出してしまってすいません」
しまいには、頭を下げる始末だ。三成は慌てて頭を上げさせて、それならばいいのだ!幸村には感謝している!と口早にそう告げた。幸村が嬉しそうに微笑むものだから、三成は照れ隠しに顔を背けなければならなかった。
「それにわたしは、あまり感情が豊かではないようですので。怒ったりだとか泣いたりだとかは、そうですね、子どもの頃の話になってしまいます。わたしは、もののふとしか生きられぬ男ですので」
悲しい、と思うのは、幸村のこういうことを聞いた時だ。悲しい、と言うよりは、物悲しいとでも言うのか。悲しい、さびしい。幸村の淡白さは、己にはないもので、だからこそ、さびしいと思うのだろうか。この男が衝動のままに激怒する様を見てみたい、感情のままに罵る様を、子どものように泣き喚く姿を。見たいというよりは、誰でもいい、己でなくともいい、そういった自分の全てをさらけ出せる人に出会って欲しい、と思う。だって幸村の横顔は、こんなことを告げた時ですら、穏やかに笑っているのだから。
「そんな生き方をしていては、長生きできんぞ。もののふなどという生き様は、戦場でのみ通用するものだ。平時にまでそれに縋ってどうする」
言ってから、ああ違う、こういうことを言いたいのではない、と内心頭を抱えた。酔いが回って、悪い方へ作用しているようだった。思考が鈍い。
何も難しいことを彼に説きたいわけではない。お前も豊臣の人間になってくれ、俺や清正たちが、豊臣をおれたちの家だと言うように、お前の家も豊臣になってくれればいい。本当に、それだけなのだ。それだけでいいんだ。
「、幸村、おれは、」
「三成どの」
何か言わなければ、と絞り出した声は、幸村のはっきりとした声にかき消されてしまった。遮るように、その後を言わせまいとした意思を持った声に、三成は面白いように動揺してしまった。頭が真っ白になる、言いたい言葉どころか、何を言いたいのかすら分からない。しっかりとした幸村の声が、余計に三成を混乱させた。幸村に三成の焦りも困惑もうつることはなかったからだ。
「酔っておいでです。酒の力で口が軽くなっているのでしょう」
三成自身より、幸村の方が三成の思考を知っているような口ぶりだった。おれは臆病者なのだ、酒の力でも借りぬ限り、お前の心を破るようなことなど言えるわけもないだろう。幸村の裾を縋るように握れば、幸村の手がそっと重なった。三成は咄嗟に顔を上げて幸村を見上げたが、幸村は庭先に顔を向けていて、三成からは横顔しか見えなかった。
「明日、寝て起きて、今と同じように思ってくださるのでしたら、その時に聞きます。今は、いけません。お互い、冷静ではない」
冷静、ではないか。お前は、俺がうらめしく思う程に。そう視線で訴えてみても、ぎゅうと裾を握り締めてみても、幸村は知らん顔をして、そろそろ帰りましょうか、冷えてきましたね、と、置いた手を支えに三成を立ち上がらせたのだった。
書きたいことを詰め込んだら、幸三になった。更に言うなら、幸三←清になった。本人は三幸のつもりですから!いや、正確には、幸村総受けのつもり。どこがだ!ということで、おまけ。
09/12/31