届かないその尊い哲学に 第三者から見た義トリオ


 左近の主である石田三成は、とにかく気難しい男だ。素直と言えば聞こえがいいが、言葉を取り繕うことを省略したがるせいで、敵は無駄に多く、良い感情をもたれていないことがほとんどだ。人使いが荒いのは認めるが、誰よりも己に激務を課しているのは三成自身であるし、彼からの信頼はどんな褒賞にも優る得がたき対価だ。石田家の家来達は心底彼に惚れ込んで仕えている。例えかけられる言葉はきつくとも、だ。実は左近はその筆頭であり、三成からの信頼度の高さは石田家でも一番だと自負している。

 三成は常に仕事をしている。帳面の管理が主だが、雑用を押し付けられる確率も高い。それに、嫌だと文句一つ言わずに、日々黙々と机に向かって書き物をし、時々は視察に出て各地の様子を検分して来る。何故仕事ばかりしているのか、と言えば、そこに仕事があるから、というわけでもなく、ただただ仕事をすることが好きだからなのだと左近は思う。ところが、九州の戦から戻り、小田原との戦準備に追われる中、確実に休息の時間が増えた。別段仕事を押すような長時間ではない。元々休憩を取らぬ人でもあったので、家臣たちは常日頃、もっと休んでください、せめて睡眠と食事は欠かさずに、と口をすっぱくして諌言していた程だ。それに対して、問題ない、お前たちはそうしろ、と言うばかりで聞く耳を持たなかった三成なのだが、とある人物のおかげと言うのか、せいと言うのか、適度な休憩を挟むようになった。その人物の名を真田幸村という。

 左近にとって知らぬ仲ではない。気持ちの良い若武者、というのが大体の印象で、親しくしていた分、余計な修飾語がくっ付いてしまうのは仕方がないことだろう。戦の才能は左近がいくら努力しても追いつかぬ程のものを持っており、武田の戦上手たちが、それ面白いと無駄に教育を施してしまったものだから、最早手のつけようがない程に、彼の戦の手腕は磨かれてしまった。戦のことは幸村に任せておけば万事ぬかりない、というのが左近の見識だ。まだ元服を終えたばかりのクソガキだったというのに、酒には滅法強く、もう無理だとこちらが白旗を上げているにも関わらず、まだいけます、大丈夫でしょう、とにこにこと屈託のない笑顔で次々と酒を注ぐものだから、左近は何度も地獄を見た。酒宴の席での幸村は鬼だ。爽やかで、どこかあどけなさの抜け切らぬ子どものような笑顔を持った、酒好きという名の鬼だ。彼の手にかかって酔い潰された、屈強な武田家の人間は数知れない。
 我が強い、とも、押しが強い、とも違うのだ。あの笑顔でどうぞどうぞ、と言われれば、ついいやだ、と言えないのだ。あの、人の心に入り込む、染み入るような笑顔が原因だと左近は分析している。こちらから断る気をそいでしまうのだ。向けられていた笑顔が、残念です、と言いながら萎んでしまうのは、とてつもなく悪いことをしてしまったような罪悪感を覚え、彼がぐいぐいと勧めてくるわけでもないのに、断る言葉を飲み込んでしまう。

 うちの主は、そういう意味では空気を読めないし、人の顔色など窺わない人物なのだと勝手に思っていたのだが、その主をもってしてでも、真田幸村という男は強かったようだ。朝餉時、八つ時、夕餉時、幸村は決まって顔を出して、三成どの、共に食事をいただきましょう、と笑顔を振り撒く。主も少しは抵抗するのだが、明瞭な言葉にならず、いや、ううん、まだ仕事が、とごにょごにょ口許を動かすばかりではっきりとしない。幸村が駄目押しの一回とばかりに、食事にしましょうね!と言えば、うんと頷くことしか出来ないようであった。同じように酒を断れずに居た手前、左近は三成の戦力になることも出来ない。家臣一同としては、幸村が食事時に突撃してくれるおかげで、ここ最近の三成の顔色はそこそこに良好なのだ。歓迎こそすれ、追い払うことは出来なかった。

 ただ左近の中で、違和感はあった。確かに幸村はお人好しだったし、人好きのそれで、常に誰かに構われていた記憶はあったが、特定の誰かばかりを追いかけるのは至極珍しいことだった。八方美人と言っていいのか、平等だと言えばいいのか。とにかく満遍なく人付き合いをしている印象が強かったのだが、ここ大坂で、明らかに幸村は三成を贔屓している。人と人の間を上手く綱渡りしており、子どものくせに可愛げのない、と思ったものだ。そんな男であったからこそ、目の前の光景が、どことなく微笑ましい。あの石田三成を変えたのが幸村なら、あの真田幸村を変えたのもまた三成なのかもしれない。特別を作ることを無意識に避けていた男は、実に楽しげに主と談笑しながら食事をしている。

「兼続どのからの文に、書物もついていて。以前お世話になっていた頃に、ずっと探している本がある、とお話したことを覚えてくださっていたようなのです」
「ほぅ。あの男もマメだな。して、どのような本だ」
 幸村が読むものと言えば、論語か精々が軍記物で、幸村の口から出た本の名も論語の一つだった。
「それは、俺も読んだことはないな」
「なれば、後々お貸しします。ただし、仕事が落ち着いて、睡眠時間を削らなくて済むようになるまでは駄目です」
「多少寝る間を惜しんだとて構わんだろう」
「構いますよ。これ以上ご自分の身体を酷使なさるのは心配で見ていられませんし、兼続どのにも申し訳が立ちません。兼続どのも随分と心配なさっておいででしたよ」
「お前たちは、過保護だな」
「三成どのはご自分を省みませんから、我々があれこれと口喧しくして丁度良い塩梅なのだと、兼続どのも仰ってましたよ。色々と口出ししてくるわたしは鬱陶しいかもしれませんが」
「幸村、己を卑下するのはやめろ。お前たちには、その、本当に感謝しているのだ」
「それはようございました」

 幸村がにこりと笑う。三成は照れ隠しに、残っている茶碗のご飯を掻き込む。少食な三成は、完食することの方が稀だが、小鉢の和え物も焼き魚も煮物も、味噌汁までもがきれいに飲み干されている。これはすごい進歩だ、とどうしても保護者目線になってしまう左近の目頭が、ついつい熱くなる。だがしかし、日々を鍛錬で過ごしている幸村にとって、全てを平らげた膳だけは不足だったようだ。
「そのような少食ではいけません。もう一膳頂いて参ります」
 と、空になったばかりの三成の茶碗を掴み立ち上がると、それこそ女中の仕事だろうに、本当にもう一杯もらう為に屋敷の奥へと消えて行った。俺は、もう、腹いっぱいだぞ、と彼の消えて行った方へと力なく呟く三成に、ついつい抑えきれぬ笑い声が漏れた。じと目で睨み付けて来る主に、すみません、と謝りながらも、中々笑い声は止められなかった。いつもはついつい条件反射で竦み上がってしまう彼の眼光も、先のやり取りの後では迫力に欠けていた。
「良いことではないですか。大体殿は痩せ過ぎているぐらいですから、これを機にたくさん召し上がって、少しは正則さんの鼻を明かしてみたらどうですか?」
「余計な世話だぞ、左近」
 もう一度、じろりと睨まれて、左近はこわいこわい、と肩をすくめた。すっと障子が開く。駆けたような足音は聞こえなかったが、随分と戻りが早い。所作の一つ一つがきびきびとしており、背筋もぴんと伸びているせいで、印象が良い。骨格がしっかりしていて、尚、姿勢が正しいものだから、動作一つとってもメリハリがとてもよく分かるのだ。ちらりと横目で三成の様子を窺えば、幸村の動きをじっと見つめているようだった。確かに、ついつい見惚れてしまう程に、幸村の所作は整っている。
「茶漬けが良いと思いましたので、漬物を少しよそって頂きました。さ、どうぞ」
 そう言って、笑顔と共に差し出された茶碗を三成がしっかりと受け取るところを見ながら、左近は何とか笑いを噛み殺すのだった。










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ハートフルな話になりました!誰がなんと言おうとハートフル!
好きなように打ってたら、いつの間にやら左近は保護者になってました。
仕方ないか。三成の周りの人間は、三成ほっとけない病の末期だと思うので。
義トリオいちゃいちゃのはずが、全体的に三幸っぽくなってしまった。。。幸三にも見えますかね。
うーん、義トリオは奥が深い。
13/01/20