届かないその尊い哲学に 第三者から見た義トリオ


 はぁ、と甲斐姫は重々しいため息を吐いた。手摺に寄り掛かって、下の様子を眺めている。それ故のため息だった。くのいちは甲斐の肩から身を乗り出して、ひょいと彼女の視線の先を見やった。ああ、と思わず心の中で納得してしまったのは、いつの間にやら付き合いが長くなった証拠だろうか。
 この城内からは、ここ大坂で数箇所設けられている鍛錬場の一つが一望できる。眼下にはくのいちがよく知る面々が鍛錬後の談笑をしているところだった。主である真田幸村と、上杉の使いとして大坂に滞在している直江兼続、豊臣秀吉の右腕として多忙な毎日を送る石田三成の三人だ。どうやら珍しく幸村と三成が打ち合った後らしく、三成の額には汗が滲んでいた。

「あの三人って、ホンット仲良いわよねぇ。三人一緒に居るだけで華やかっていうか。眩しいっていうか」
「熊姫様としては、どの御仁が狙い目なんで?」
「そりゃあもちろん幸村様!って言いたいけど、兼続さんも結構良い線いってるっていうか。ってあんた!いい加減あたしのこと、熊姫って呼ぶのやめてくんない?」
「だってぴったりなんだもーん」
 にゃはは、と響くくのいちの笑い声に、甲斐は、このやろう、と飛び掛る。どうしても手が出てしまうところは、もう仕方がないのだ。男所帯で育てられた宿命として受け止めているが、甲斐自身もう少しおしとやかになりたい、という願望はもちろんある。幸村の所作の方が品がある、兼続の酌の方が酒がうまい、と言われたことは、実は一度きりではなかった。

「あたしだってねぇ!あんたがそうやってからかって来なけりゃあ、ここでもそこそこの良縁があったかもしれないじゃない」
「無理。無理無理。よしんば、超いいとこの、超男前の、超性格の良い人があんたを口説きに来たとして、一日も猫っかぶりはもちゃしないよ。相手に幻滅されてしゅーりょー。めでたしめでたしはまた遠ざかりました、っと」
「ほーんと、口の減らない忍びだこと。幸村様も、なんでこんな不躾で失ッ礼な忍びを重用するんだか」
「それはあたしが、優秀だってことで」
 知ってるつーの。とは口に出さず、甲斐の心の中だけに閉じ込めておいた。この忍びをこれ以上図に乗せてはいけない。

 超いいとこの、超男前の、超性格の良い人、と言われて甲斐が真っ先に思い浮かぶのは、幸村だ。石高は少ないが、信州真田家と言えば知らぬ者はいないし、豊臣秀吉の覚えめでたいとなれば、将来性はばっちりだ。男前の上に性格は文句のつけようがない程に優しい。少し野心が足りないところが欠点と言えば欠点かもしれないが、それを補って余りある魅力が幸村にはある。
 眼下の姿に、甲斐はもう一度ため息を吐いた。石高や地位ならば、その隣りにいて、今は三成に扇で風を送っている、兼続の方が有望だ。あの名門上杉家の宰相。肩書きはばっちりだ。顔は言うまでもなく、性格もあの石田三成とうまくやっている辺り、極度のお人好しに違いない。確かに、朗らかなあの笑顔は包容力が高そうだ。

「流石、イケメンの友達はイケメンねぇ」
「あんたさ、さっきから幸村様だの、兼続さんだの言ってるけど、一番のイケメンさん忘れてない?」
「は?ああ三成さんのこと?やーよ。だって、顔と仕事ぐらいしか褒めるとこないじゃない。やっぱり性格もイケメンじゃないと、疲れちゃうわ」

 大坂で暮らし始めて、慣れるぐらいの年月は流れていた。居城である佐和山には滅多に帰らずに、大坂でずっと政務をしている三成なのだが、甲斐の耳に届く噂話は、あまり良いものではなかった。誰それが三成と揉めていた、口論になった、舌戦ではやはり勝てなかった、これが本当の槍合わせならば負けなかったものを、と、三成に関してはそんなものばかりだ。確かに、二言三言を話しただけで、この男は人を怒らせる天才だな、と甲斐ですら思った程だ。あえて相手を怒らせる言葉を選択しているのでは、と思わせる程に、率直で的確な台詞には言われて痛い皮肉が込められていた。ただの天然か、分かってやっているのかは判断の難しいところだが、言われた相手の気分を損ねるのは間違いなく、性格が悪い、と甲斐に判断させるには十分な材料だった。

 確かに、顔は整っている。そこらの女性よりも造形が完成されていて、遠目で見る分にはこれ以上良い素材はない。仕事にも熱心で、仕事の為なら一日二日の徹夜も辞さないらしい。才能もあるが、それに甘んじることなく努力をしている姿は単純に格好良いとは思うが、彼の場合、その完璧さを相手にも求めてしまうのだから厄介だ。自分にも出来るのだから、他の人間も出来て当然、と思ってしまうらしい。だから、何故出来ぬ、貴様は阿呆なのか、何故努力せぬ、手を抜くな、出来ぬのなら出来るまでやれ、というのが、正論だがもきつい言葉ではある。人は、彼のように、己に厳しくというのが中々出来ぬ生き物なのだ。

「ねぇ、どうして幸村様たちは、あーんな性格きつい三成さんと仲良しなのかなあ」

 甲斐の視線の先では幸村が、汲んだ井戸水に浸した手拭いを三成に手渡しているところだ。中々汗が引かないようで、兼続はゆるゆるとした風を送り続けている。甲斐甲斐しいことだ。あんな風に大切にされて羨ましい、と、思ったことは自分だけの秘密だ。
 三成は冷たい手拭いを首筋に当てて、涼を取っている。そこへ、ほとんど汗を掻いていない幸村の手が伸び、三成の額の汗を指で掬っている。あ、ずるいな。と思ったのは一瞬で、幸村にそれをしてもらっている自分を想像して、恥かしくて居た堪れなくなった。

「そりゃあ、幸村様が綺麗なもの好きだからですぜい。感性が子どもの頃から成長してないからにゃあ。三成さんなんか、幸村様のどんぴしゃでしょ」
「綺麗なもの、ねぇ」

 確かに、横顔は羨ましくなるぐらいに整っている。この大坂で綺麗な人、と言えば、三成が上位に来ることは間違いないだろう。そう言えば、意外や意外、三成は幸村の腕を振り払わない。幸村の手の好きなようにさせている。さぞやふてぶてしい顔をしているかと思えば、照れているような、喜んでいるような、なんとも言えない幸せそうな顔をしている。あの男、ああいう顔も出来たのね、とついつい甲斐が思ってしまった程だ。

「綺麗な人だけど、可愛らしいところがあるんだって。幸村様がそう言ってた」
「可愛らしい……」

 確かに、ああいう顔をしてくれたら、可愛らしい、という表現も間違いではないかもしれないが、三成の表情で一番に思い浮かぶものと言ったら、しかめっ面か眉を寄せている険しい顔ぐらいだ。彼らに見せる表情を、もっと周りにも見せたら、良くない噂たちも少しは減るだろうに、仕事は器用にこなすくせに、不器用なのだろうか。三人の和やかな空気をこれ以上眺めているのも無粋かと思った甲斐は、その場を後にしたのだった。










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甲斐ちゃんって兼続のことどういう風に思ってるんですかね。今回は好意的に捉えてもらいました。
13/01/20