毎日、真夏日が続いている。連日最高気温を更新している程で、八月も半分を過ぎたというのに、一向に暑さがおさまる気配はない。テレビをつければ、やれ熱さ対策がどうの、節電がどうの。今日は○人が熱中症で病院に運ばれただの、効率の良い予防の仕方はこうやるだの、そういった類の特番ばかりが組まれている。例年だったら、寝る頃にはクーラーの電源を切って扇風機で乗り切るのだが、今年の暑さは夜になっても猛威を奮っており、清正も根負けしてエアコンの助けを借りている。こんな時分にエアコンを故障するやつは可哀想だな、と明日もまた暑い日になると告げるニュースを眺めながら、ビールの蓋を開けた。仕事から帰り、一っ風呂浴びた後のビールが夏の楽しみの一つだ。首にかけたタオルで缶の周りの水滴を軽く拭いながら、ぐいと半分まで飲み干した。そろそろ寝室に引っ込もうか、と腰を上げたところで、清正の携帯電話が高らかに鳴り響いた。
携帯電話のディスプレイに表示された名前に、清正は無意識に顔を顰めた。三成だった。このまま気付かなかった振りをして寝てしまおうか、と思った程だ。そろそろ日付が変わろうかという時間だったし、明日会社で小言を言われたとしても、寝ていて気付いたのは朝だったという言い訳が通用しなくもないだろう。非常識な時間にかけてくる方が悪いのだ、自分の正当性を訴えて、三成にしては珍しく長く続く電子音に背を向けた。諦めたのか、清正が用を足して戻ってくる頃には音は止んでいた。それならば、寝室で充電しておこうと、何気なく履歴をチェックしたのがまずかった。最新の履歴リストには、ずらりと三成の名前が並んでいる。かけては切ってを何度繰り返したのか、数えるのも億劫になる数だ。呆れ返っているそばから、再び着信があった。当然、相手は三成だった。
「おい!しつけぇよ馬鹿!何時だと思ってんだ!諦めろよ!!」
通信ボタンを押すなり、そう怒鳴った。少々言葉は汚かったが、何ら間違ったことを言ってはいないはずだ。だが、電話の向こうの相手も、清正同様に機嫌が悪かった。というより、清正が中々出なかったから機嫌が悪くなったのだろう。もちろん、知ったことではないが。
『うるさい、喚くな。お前がさっさと出ない方が悪い』
「それで、こんな夜更けに何の用だよ。くだんねえ用件だったら、マジ切れるからな」
そこでようやく、三成以外の声がかすかに聞こえることに気付いた。
ご迷惑ですから結構ですよ!幸い、扇風機がありますので、全然大丈夫です。
今週は熱帯夜が続くとニュースでも言っていただろう。熱中症にでもなって倒れたらどうするのだ。それに、昨日もあまり寝ていないのではないか?顔色が悪いぞ。
そんな軟弱じゃありませんよ。清正さんだって仕事で疲れてらっしゃるでしょうし、なにも巻き込まずとも、
そんなこと、お前が気遣う必要はないのだよ。あいつは最近デスクワークばかりだからな、体力は無駄に有り余っているに決まっている。
黙っていれば延々と続きそうな会話に、
「おい、」
と、ストップをかける。一緒にいるのは誰だ?なんて、訊ねずとも、声で分かってしまった。
『今から行く。幸村の実家のクーラーが昨日から壊れているのだ。お前、直るまで泊めてやれ』
「なんで、」
自分が、と思ったのは、決して迷惑に思っただとか、面倒だからだとかではない。もっと身近に相応しいやつらなどたくさんいるだろうに。例えば、仲がよさげな女性店員だとか。
『?お前はよくあの馬鹿や後輩を泊めているだろう?何の問題があるのだ?』
三成は頭が良いが、時々とんでもなくぶっ飛んだことを言うやつでもある。更に言うなら、彼は人の感情、特に色恋が絡んだものに対する洞察力があまり鋭い方ではない。おそらくは、今現在、幸村の家の近くに住んでいて、人を泊めるのに困らないやつ、という条件にたまたま清正がヒットしただけなのだろう。くそっ、余計なことを、と清正が内心舌打ちする。幸村がうちに来るのはむしろ大歓迎なのだが、それにしたって展開が早すぎる。泊めるってなんだ、泊めるって。
「…問題はないが、」
言うに言えない問題ならあるのだけれど、それを彼に訴えたところで、一蹴されるのがオチだ。
『だ、そうだ、幸村。清正の家に厄介になるといい。むしろこき使ってやればいい。早く行くぞ、お前の睡眠時間が減ってしまう』
「おい!勝手に決めんな!」
『なんだ、まだ何かあるのか?大体お前は、幸村が熱中症になっても良いと言うのか?』
「そんなことは、ねぇけど、」
『ならばお前は、幸村が泊まってもいいように、精々部屋を小奇麗にしておくのだな』
幸村がまだ後ろで反論していたが、三成は有無を言わさずぶつりと切ってしまった。ツーツー、と虚しい音が清正の鼓膜を振動する。あの馬鹿が!と相手に届かないと知っていながら電話に怒鳴りつける。三成が行くと言ったのだから、あいつは来るのだろう、幸村を連れて。思わずぐるりと部屋を見回して、妙なものが散乱していないことを無意識に確認してしまった。日頃から掃除をしておいてよかったと、この時ほど思ったことはないだろう。とりあえずは彼が来る前に、タンクトップ姿から薄手のTシャツに着替えておこうとクローゼットのドアを開けるのだった。
熱帯夜に溺れる
五分ほどで三成たちは清正宅に到着した。三成は幸村を清正の家に強引に押し込み、すぐに帰ってしまった。三成が暮らしている会社の寮は、ここから車で二十分ほどかかる。明日も互いに仕事だ。早く寝て今日の疲れを取りたいのだろう。客人を玄関まで出迎えた清正だったが、幸村はそこから中々上がろうとしなかった。三成が帰ったことをエンジン音で知ると、幸村はそのまま回れ右をして玄関のドアノブをひねった。
「おい、」
と、思わず清正が制止の声をかけると、一応は幸村も振り返ったが、完全に腰が引けている。帰る気満々なのだ。
「三成先輩は、いつもわたしを気にかけてくださるのですが、時々、その、こういう強引なことをなさる方ですから。夜分遅くにご迷惑をおかけしました。あ、口裏は合わせておいてくださいね」
「待てよ」
清正は距離を詰めて、今にもドアを開いて外へと飛び出していきかねない幸村の腕を掴んだ。泊まっていけばいい、と簡単に意思表示がしたかっただけなのに、清正の身体はとても感情に正直に出来ているようだった。まさか腕を掴まれるとは思っていなかったのだろう、幸村は驚いて身体ごと清正を振り返った。そうされると、今度は清正が困惑する。何故腕を掴んでしまったのか。そこに明確な意識はない。ただ、帰らなくていい、ここにいてもいい、いてほしい、と思っただけなのだ。
「……俺の機嫌が悪そうに見えるのは、三成のせいだ。お前が気にする必要はねぇよ」
「ですが、」
「生憎、俺の家は色んなやつらのたまり場になることが多いんだ。勝手に泊まってくやつだっている。別に迷惑だとは思わない」
幸村が一歩ドアから離れる。清正も、彼の腕を掴んでいた指をほどいた。
「それに、かなり常識はずれなやつだが、あの馬鹿に頼まれた以上、お前は放り出すことは、その、できんだろう」
上がれよ。風呂は右手のドアの先だ、タオルも着替えも自由に使ってくれて構わない。清正がそう言って部屋の奥を指差せば、幸村もおずおずといった様子でようやく靴を脱いだ。おそらく、三成と出掛けていて、そのまま清正の家に連れて来られたのだろう。これといった荷物がないのだ。休みの日ともなると、友人たちの巣窟に化す清正の家は、彼らの為の着替えが多くストックされていた。いつも、泊まるのなら自分のもんぐらい持って来い、と怒鳴りつけるのだが、ほとんどがふらっと訪れて泊まっていくようなやつらばかりのせいで、新品の下着や来客用のタオルが無駄に多い。そういったものをまとめて放り込んである棚を教えて、清正は奥へと引っ込んだ。布団の用意をする為だ。こちらは、基本皆を床に雑魚寝させるので、予備は一組しかない。三成の到着が早かったせいで準備できなかったが、幸村が風呂に入っている間に押入れから引っ張り出さなければならないのだ。
どうにか布団の準備はできたが、次の問題が浮上した。どこに寝てもらうか、だ。一番広いのはリビングなのだが、ソファとテーブルが陣取っていて、それらを移動しなければスペースはない。流石にその下までこまめに掃除しているわけではないから、深夜の大掃除は出来れば回避したい。1LDKの間取りの内、寝室に使っている洋室以外に和室が存在するのだが、寝室に物が少ない反面、物置代わりに何でもそちらに追いやっている清正だ。布団が敷けなくもないのだが、窮屈なことに変わりなく、少しでも布団からはみ出たら本棚や積んであるCDにぶつかる可能性が非常に高い。そんなところに幸村を寝かせるわけにはいかない、とは思うのだけれど、そうなれば、最後に残されたのは寝室しかない。大き目のベッドが確かに幅を利かせてはいるが、和室よりよっぽど余裕がある。これが幸村でなかったら、清正は迷うことなく寝室に布団を敷いているだろう。まあ、他の人間の場合は、一々布団を出したりはしないのだけれど。
困ったな、と、とりあえず寝室で佇んでいたところで、控えめにノック音が響いた。清正の部屋に入るのにわざわざノックをするような人間は残念ながら清正の友人にはいないし、そもそも今現在、この家には清正ともう一人しかいないのだから、相手は彼だろう。ちらりと時計を確認して、やけに早いなと思いながらも、
「どうした?」
と、ドアから顔を出した。
幸村は、
「すいません、お借りしました」
と、やたら申し訳なさそうな表情で頭を垂れた。友人たちの何倍も、むしろ比較すら出来ない程に控えめな彼の性格上、清正が指示したものを使ってくれるだろうか、と少しだけ心配だったのだが、やはり汗をかいて気持ち悪かったのだろう、彼はちゃんと替えの服を着ていた。三枚で千円するかしないかの特売品の安物Tシャツなのだが、友人たちが着るのとは違い、どこか清潔感があった。ただの平凡な柄のない真っ白のTシャツと、黒いスウェットパンツを着ているだけなのだが、制服代わりの着物を見慣れているだけに新鮮だった。清正の身体の合わせて買っているので、少しばかりサイズが大きいように見える。背丈はほとんど変わらないのだが、筋肉のつき方が違うようだ。お互い程良く引き締まってはいるものの、広い肩幅を持っている清正と、あまり筋肉質ではなくすらりと長い幸村とでは、身体の厚みが違う。痩せているだとか、細いだという印象ではなく、整っている、と表現した方が正しいだろう。
早いな、と思った通り、幸村の髪はまだ湿っていた。流石に床を濡らす程ではないが、急いで拭いてきたのだろう、いつもならば身だしなみがしっかりしている幸村の髪はぼさぼさで、ところどころ重力に逆らって跳ね上がっている。濡れた髪をそのままにして、よく風邪をひいていた男を知っている分、次の清正の行動は条件反射に近いものだったのだ。幸村の肩にぶら下がっているタオルを引っ掴み、わしゃわしゃと髪をかき混ぜる。シャンプーの香りとは別に、水の香りがふわりと鼻腔を掠めた。
「あ、あのっ、」
「なんだ?」
幸村が妙に慌てた声を出したものだから、清正は急速に自分が何をしているのかに気付いてしまった。慣れとは恐ろしい。顔は整っている癖に色々と無精な三成の髪を乱暴に乾かしてやるのも、勝手に遊びに来て勝手に風呂を使って家の床を水浸しにする正則の後始末をするのも、清正の役目だった。だから、これはその延長線のようなもので、全くの無意識だったのだ。
「わ、わるい」
そう言いながらも、手の動きは止まらない。思考と行動は、慌てている時ほど噛み合わないことが多いのだ。幸村も、流石に二十を過ぎてまで誰かに頭を拭かれる、という状況が恥ずかしかったようで、さっと顔を伏せた。風呂上りのせいではない赤に、髪の間からのぞく幸村の耳が染まっている。その羞恥は瞬く間に清正に伝播した。同じように耳を赤く染めている。蚊の鳴くような声で、
「あとは自分でやりますので、」
と、言われ、清正も彼の頭に乗せていた手を引っ込めた。何となく、気まずい空気が流れた。清正は視線を外して、幸村は幸村で少々乱雑な手付きで髪を拭っている。
「とりあえず、座れよ」
と、ソファに促してみたものの、彼がその場から動き出したのは、迷いに迷って清正がソファの端に腰掛けてからのことだった。
「今日はありがとうございました。色々と世話をかけてしまって…」
「いや、気にすんな。クーラーが壊れたのは昨日だって言ってたか?」
既に日付を越えているので、正確には一昨日だが、共通認識としては昨日と言って差し支えないだろう。
「はい。夕方から急に効かなくなってしまって。弟たちは我慢できずに友人のお宅にお邪魔したのですが、父が意地を張ってしまい…。昨日は扇風機で何とか乗り切りましたが、父もいい歳ですので、流石にぐったりしておりまして。見兼ねた兄が引き取っていきました。今頃は兄夫婦の家で快適に眠っていると思いますよ。ほら、この前お店にいらした時に、奥から顔を出した女性がいるでしょう?あの人が兄の奥さんです」
幸村がさも嬉しそうに笑う。いかにも幸村と親しげな、あの黒髪美人のことだ。清正はどう返事をしていいのか分からず、ぶっきらぼうに、うん、と頷いただけだった。
「身内のわたしが言うのも何ですが、あの二人は本当に美男美女カップルで、わたしも弟として鼻が高いんです」
「お前の兄は、お前に似てるのか?」
「はい?あ、いえ、昔から似てない兄弟だとよく言われました。兄は母親似で、わたしはどうやら父の血を色濃く受け継いでしまったようなんです」
幸村はそう言って、軽やかに笑う。兄だけではなく義理の姉をも大事に思っている様子がこれ以上はないほどに伝わってきて、清正は少しだけ戸惑う。かの女性に向けた嫉妬が全くの見当違いだったことに、今になって恥ずかしく思えたからだ。
「三成とはよく会ってるのか」
三成は、あまり人との繋がりを気にするタイプではない。素っ気無い交友関係を知っているからこそ、三成が幸村に過保護になっているところが、納得できないというか、違和感を抱くというか、要は自分の知らないところで二人が仲良くしているところが気になるのだ。
「三成先輩ですか?時々食事をしたり、休みが重なれば出掛けたりもしますが、多忙な方でしょう?今日は事前に兼続先輩がスケジュールを調節してくださって三人で食事できましたが、揃うことの方が稀なんですよ。その帰りの車で、エアコンが壊れていると口を滑らせてしまって」
兼続というのは、清正でも知っている、三成の数少ない友人にして、三成の友人の中でも群を抜いての変人だった。三成と並んでも遜色ない美形で、彼と同じぐらいに勉強熱心でもあったので、二人揃って院へ上がるものだと周囲は勝手に思っていたのだが、大学を順調に卒業した後、彼が真っ先にしたことと言えば、籍を入れたことだった。しかも神社の娘に入り婿したのだ。三成の方も周りの期待を持ち前の空気の読めなさでスルーして、自分たちの育ての親が経営する会社に入社してしまった。してしまった、という表現はあんまりかもしれないが、研究者としての才能を開花させつつあった彼らを惜しむ声は多かったという。
「三成は気難しい男だろう?融通は利かないわ、強引だわ、」
「でも、とても優しいんですよ」
「それは、」
知っている。ただそれが素直に同意することができなくなってしまっただけで。積み上げてきた長年の関係は、言葉を鈍らせるのだ。
「それに、とっても家族想いなんです。秀吉さんのことやねねさんのこと、兄弟同然に育った清正さんたちのことも、よくお話くださいます。口調は少しばかり、憎まれ口ですけどね」
年上の男性をこういうのはおかしいかもしれませんが、可愛い人だなあと思います。
幸村はさも楽しげに笑っている。よく見ているな、と思う。あれは誤解されやすい人間だ。清正は初めて、あの男を優しいだとか可愛いだとか言って誇らしげに笑っている人間を見た。これが幸村でなかったら、これからもあいつをよろしくな、とでも言えただろうか。言ったかもしれないし、そこまで自分が関わり合おうとは思わなかったかもしれない。幸村だから、言えないのだ。三成のことを理解してくれる人間がいてくれることは有り難い。が、幸村の一番が三成では、嫌なのだ。幼い感情だ、感傷だ。そういったものは、往々にして言葉を鈍らせる、思考を遅らせる、表情を熱を奪い去ってしまう。
「……そろそろ乾いたか?」
「あ、はい。お付き合いくださりすいません。明日もお仕事なんですよね?おやすみなさい」
「お前の布団も用意してある。……俺と同じ部屋になるが、いいか?」
清正はさっと顔をそらして、動揺を誤魔化すように立ち上がった。こうしてしまえば、幸村からは清正の後ろ姿しか見えないはずだ。清正と同部屋になるのは、あくまで仕方ない事情があったからで、やましい気持ちや下心からではない。けれども、清正にはその下心に直結する熱を燻らせているだけあって、とても幸村の顔を直視することはできなかった。
知り合いで更には同性だからといって、初めて家に上げた人間と同じ部屋で眠ることなど、清正にとっては初めてだった。別段おかしいことではないが、違和感がどうしても残る。それは幸村も同じだったようで、
「はぁ、」
と、情けない息を吐いた。清正の心臓が少しだけ早鐘を打つが、幸村はそんな清正の思惑をよそにぽんと手を打った。何か納得する答えに思い至ったようだ。
「節電には、一つの部屋で眠った方がいいですもんね。まったく配慮が利かず、すいません」
どこをどう見たら、幸村の姿が配慮がないとなるのかは疑問だったが、幸村はそう納得したようだ。清正はその言には返事をせず、寝室のドアを開けた。幸村が続いて入る。やはり最初に出迎えてくれるのは、水槽に設置されたエアーポンプの音だ。清正は慣れてしまったが、幸村は思わずといった様子で水槽に目を向けていた。
「これは祭りの時の?寝室に置かれているのですね。音、邪魔になりませんか?」
「すぐに慣れた。初めは気になるかもしれんが、悪い、我慢してくれ」
「いえ!わたしが差し上げたものですし、こうして大事にしてくださっているのですから!こちらこそ、ありがとうございます」
そう言われて、嬉しくない人間などいないだろう。清正は水槽に近寄って、とんとんと軽くその表面を叩いた。エサをやる時はいつもこうしていたのだ。案の定、エサが貰えるのだと思って、二匹の金魚が先を競って水槽越しの清正の指に集まってきた。幸村が、すごいですね、と感嘆の声を上げる。
「飼ってみると、案外可愛い」
思わずそのままの感想を呟いて、寝るか、と幸村を促した。清正はベッドに寝転がり、幸村も布団の中に横たわった。薄手の掛け布団を丁寧に被ったところを確認した清正は、部屋の明かりを絞った。
部屋は沈黙が降りたが、まだお互い眠ってはいなかった。なんとなく、気配で分かってしまうのだ。エアーポンプの音がやけに大きく響いている。部屋を暗くはしてあるが、幸村がトイレに行くにも困らないようにと、豆電球だけは残してある。いつもは真っ暗にして眠る清正にとって、少しの光源も眩しいようだった。幸村に背を向けて、出来るだけ光を浴びないような体勢をとった。
長い沈黙の後、ふふっと空気が揺れた。幸村が笑い声を漏らしたからだ。振り返ろうか迷った清正だったが、結局、声をかけただけだった。
「…どうした」
「いえ、本当に大事にしてくださっているのだなあと思うと、嬉しくなりまして。いえ、清正さんの言葉を信じてなかったわけじゃないんです。やっぱり、こうして目の当たりにするのとしないとでは、違いますでしょう?」
それは、お前から貰ったからだ。お前が、自分だと思って大事にしてくれ、などと言うからだ。幸村は、清正がどんな目であの金魚たちを見つめているのか知らない。言うつもりはない。この穏やかな関係が崩れてしまうのがおそろしいからだ。幸村は優しい。だからきっと、清正がこの想いの丈をぶつけても、嫌悪はしないだろう。それでも、距離が出来るだろう。それが今の清正には耐えられなかった。
「…幸村は、三成のことが好きか?」
「はい、好きです。いつも気にかけていただいて、少々過保護な時もありますけれど。友人として、嬉しく思います。ただ、清正さんには申し訳ないなあと思っているんですよ」
「……」
清正は相槌すら打たなかった。それでも幸村は少し間を空けて、再び口を開いた。
「きっと三成先輩は、わたしに気を遣うように、思い切り弟たちを甘やかしたかったんだろうなあ、と。誕生日には相手の喜ぶものを、それこそ会う度に甘いものを買い与えて、一緒に出掛けた時は相手が楽しいように下調べまでなさって。だから、その恩恵をわたしが受けてしまって、申し訳ないなあとずうっと思っているんです。ほら、三成先輩は、自慢のお兄ちゃんでしょう?」
清正はそっと目を閉じる。確かに、お互いに邪険に扱ってはいるが、それは信頼の証ではないだろうか。どのような口を聞いても、態度をとっても、あれは自分を心から疎むことなどない、と。それを幸村に指摘されたのが堪えたようだ。
目蓋を下ろせば、すぐに眠気がやってきた。仕事の疲れだけでなく、幸村がすぐ側にいることで余計な気を張っていたのかもしれない。元々、寝付きは良い方だった。幸村が口を閉ざせば、部屋に響き渡るのは、最早慣れてしまった水槽のエアーポンプの音だけだ。清正は、おぼろになっていく意識の中、ポンプ音に混ざり合うように幸村の声を聞いた。だが、その言葉の意味を理解する前に、夢の中へと意識を落としてしまった。
「だから、こうして三成先輩の好意を利用しているわたしは、先輩に憎まれてしまかもしれません」
金魚飼ってないんで分かりませんが、多分、慣れてしまうにはエアーポンプの音って大きすぎると思う。まあ、そこら辺はご都合主義ということで(…)
色々書ききれなかったので、またもや蛇足。
11/10/02