幸村が骨折していることは既に聞いていた為、三成も輿の準備をさせていた。輿と言っても上等なものではなく、戦場で足の利かぬ大将を乗せる簡易なものだ。多少揺れは大きいが、自分で動くより随分と楽になることは確かだ。だが、幸村としては輿の世話になるのは躊躇われるようで、中々諾とは言わなかった。しばらく三成と押し問答が続いたが、見兼ねた清正が強引に幸村を抱き上げ、輿の上に乗せてしまえば、幸村もそれ以上の抵抗は出来なかった。言葉の上では反論しているものの、体力は既に限界に近く、彼に触れた清正は幸村の体温の高さに眉を顰めた程だ。
数日を経て下山を終えれば、頑なに逗留していた正則と、先に帰した兵太夫たち清正の部下から熱烈な歓迎を受けた。流石に正則の抱擁なのか突進なのか分からない挨拶を受け止める体力が残っておらず、清正は正則に押し倒される形でその場に転がった。部下たちは部下たちで、寝転がっている清正を取り囲んで、涙を浮かべて、清正たちの帰還を喜んでいた。三成に保護された際、救助隊に加わらせてくれと志願したことを兵太夫から聞かされた時は驚いたが、清正だけでなく幸村を心配してのものだと教えられた時は、ついつい笑ってしまった。本当に期待を裏切らない奴らだ、と、もう少し元気が残っていたら、一人一人頭を撫で回していたことだろう。
再び行軍を開始させるには時間を要した。幸村の回復を待ってのことだ。骨折は治らずとも、怪我が原因での熱が下がるまでは移動しない方が良いだろうとの村医者の判断だった。他の面々も疲労が蓄積されており、これ幸いとしばしの休息を喜んだ。
幸村の世話はくのいちが付きっ切りで行っており、三成ですら簡単に対面することが出来なかった。もしかしたら壁一枚を隔てた先では、幸村は目の包帯を解いているのかもしれない。彼の顔を見ることは出来なかったが、布一枚を経たとは言え、その目に触れたという事実が、何とも面映かった。幸村は相当無理をしていたようで、宛がわれた部屋から出ることはなく、その姿を見ることもなかった。つい先日までは手を伸ばせば触れられる距離に居ただけに、寂しいような、物足りないような、もやもやとしたものが残った。清正自身は、一日ぐっすり眠り、徐々に食事の量を増やせば、すぐに体力が回復した。三成などは呆れるやら感心するやらで、体力馬鹿はこれだから、と早速清正に雑用を押し付けては、思う存分こき使っていた。戦では頼りになるが、雑事になると全く戦力にならない正則の面倒を押し付けられた憂さ晴らしだろう。俺は正則の保護者じゃないんだが、と零しつつも、こうしてまた他愛もないことで文句を言い合えることが嬉しかった。
既に帰国の行程は半分以上終えており、ここから羽柴の本城までは眼と鼻の距離だ。幸村の熱も下がり、兵の体力も回復した。十日の行軍を経て、清正たちはようやく帰国した。三成が小まめに早馬を走らせていたおかげで、こちらの様子は逐一秀吉の知ることとなっており、城門には人だかりが出来ていた。その中心に居るのが、秀吉とねねだ。本来ならば城の奥で清正たちの出向を待つところだが、それをしないのが羽柴秀吉という人だ。清正たちの姿を見つけるなり、満面の笑みで駆け寄ってくるところは、子どものようでもあり、ついつい笑みが零れた。こういうてらいのない振る舞いが似合うのが秀吉であり、清正が大好きな主なのだ。
輿ではなく馬に揺られていた幸村も、くのいちに教えられたのだろう、秀吉が駆け寄ってくると、くのいちに手伝ってもらいながら馬から降りた。秀吉はまず三成の手を握り、ようやってくれた、と既に目尻には涙を浮かべていた。それに満更ではなさそうな顔をしているくせに、いつものふてぶてしい声で、仕事ですので、ぼそりと呟いたのを聞いてしまった清正は、噴き出すのを我慢しなければならなかった。嬉しいならそう喜べばいいのに、それが出来ないのが三成なのだ。清正以上に三成のことを理解している秀吉は、苦笑しながら、おみゃあさんらしい、と前髪をくしゃりと一撫でして、清正の前に立った。
「…遅くなりましたが、ただいま戻りました」
「無事で帰って来たんじゃ。それだけで大功もんじゃ」
そう言って秀吉は、小さな身体を大きく広げて、清正の身体を抱き締めた。旅の汚れが付くのも構わずに、ようやったようやった、と鼻声になりながら清正の背をさする。どうしていいか分からずに、咄嗟にねねに視線で助けを求めれば、にこりと微笑まれて、よく頑張ったねぇ、と頭を撫でられる始末だった。清正良かったね、と、無理に作った女声で正則にからかわれても、秀吉の腕を振り払うことなど出来るはずもなく、三成がため息を吐きながら、秀吉様そろそろ、と声をかけるまでそれは続いた。
そして。
秀吉がようやく幸村を見た。幸村が頭を下げる。秀吉は驚いたように目を見開いたが、すぐに顔をくしゃくしゃに歪めて、喜んでいるのか戸惑っているのか分からない、色々なものがない交ぜになった表情を浮かべた。視線を下げたままの幸村の手を、泣きそうな顔で握り締める。小柄な主だが、その身体に宿る力強さに元気付けられることもある清正だ。幸村もまた、ぎゅうと強い力で手を握られて驚いたのか、視線を僅かに上げた。
「よう清正守ってくれた!ありがとう、ありがとう、幸村!おみゃーさんには、すまんことをした」
「そんな、わたしは別に、」
「ええんじゃ。悪いんは儂じゃ。よう堪えた、よう我慢した。もうええんじゃよ」
子どものようにわんわんと泣き始めた秀吉に、幸村も困惑したようで、先の清正と同じようにねねに視線を送った。けれどもねねは、先と同じように、
「お帰り幸村。よく頑張ったよ!」
と、背を伸ばしながら、幸村の頭もよしよしと撫でる。幸村は更に困ったと、視線をさ迷わせた。その先には三成も清正もおり、どちらに助けを求めたのかは分からなかったが、二人同時に、
「秀吉様」
「おねね様」
と、それぞれの名を呼んだことが、その場の空気を和ませた。思わず睨み合った二人を、頭がぶつかるのも構わず、正則が後ろからまとめてがしりと抱き寄せて、ホントお前ら仲良いよなー、息ぴったりじゃん!と野次を飛ばした。どっと沸く笑い声をよそに、大音声を耳元で聞く羽目になった二人は、うるさい馬鹿、と今度は一字一句同じ言葉を吐き出した。やっぱり仲良しじゃないですか、と、輪には加わらず安全を確保していた左近がそうまとめれば、更に笑い声が上がったのだった。