石田三成は苛々していた。こちらの話を全く聞かない救いようのない馬鹿のせいで、血が出る勢いで声を張り上げねばならず、それをなんとか押し留めることに成功したかと思えば、逃げ腰ながらも聞き分けのない子どものような理屈で駄々を捏ねる馬鹿の部下の相手をしなければならなかったからだ。遭難者の捜索という地道な作業に、存在自体が騒がしく、体力が有り余っているせいで一人突っ走る傾向のある正則は、二次遭難を招く可能性があった。ゆえに、今回の捜索隊に加わらせることはしなかった。あの馬鹿――もとい、清正の部下は、捜索隊をやっとの思いで編成した矢先、保護した面々だ。食料の乏しい中、何とか三成たちに合流することの出来た彼らは、けれども下山することを良しとせず、案内役として同行させて欲しい、と言い出したのだ。道案内がいるのは非常に助かるが、既に立っていることも辛そうな彼らにそれを要求する程、三成も鬼ではない。足手まといだ、貴様らはさっさと下山して身体を休めろ、と告げたところで、どうにも反応は芳しくない。清正の部下だ、怒鳴られることに慣れているのかもしれない。一向に涼しくならない山の気候にも辟易していたところに、自分の思い通りにならない事態は、一層三成を苛立たせた。三成の不機嫌は、それが余所の隊であっても一目瞭然で、その恐ろしさに肩を寄せて合って震えていたが、その目は三成の下知に諾とは言わなかった。あの馬鹿は部下にどんな教育をしているのだろう、と言わずとも良い文句が飛び出しそうになって、彼らの中で一番年嵩の男がその場を収めて、どうにか納得してもらうことが出来た。そうでなければ、実力行使していただろうが。兵太夫と名乗った男には三成も見覚えがあった。清正の隊に勿体ない程気の利く男で、清正たちと別れた地点から、所々に目印を付けて来てくれたらしい。それがあるなら貴様らの出番などない、と切り捨てたところで、三成は捜索を再開することが出来たのだ。
清正と幸村が遭難して、七日が経過していた。救助は時間との勝負だ。一刻も早く彼らを保護する必要があったが、救助隊を編成するのにしばし時間がかかってしまった。あの土砂崩れの被害は、幸いとは決して言えないものの、彼らのみを押し流しただけであったが、隊をまとめる清正がいなくなってしまったこともあり、状況の把握に時間を要した。また、足場の狭い場所で留まっていては、いつ次の土砂崩れが起こるとも限らず、急ぎ下山する必要があったのだ。元々大きな山ではないし、行軍の為に道も整備されているので、三日程で隊の移動は完了したが、それでも遅過ぎる程であった。三成は救助隊の一切を取り仕切るように秀吉から命を受けて、山の麓の小さな村を拠点とした。すぐに編成を済ませ、三成はその先頭に立ち山に分け入った。本来ならばこの役は左近に任せ、三成は村で知らせを待っていれば良いのだが、どうにもじっとしていられず、悪態を吐きながら再び山を登っていた。元々人任せに出来ない性格で、査察から帳簿の勘定合わせまで自分でやらねば気がすまないのだ。腰の据わっている左近の方が、待つことに関しては性に合っている。
この時、自分も連れて行け、と元から大きな声を更に張り上げて主張したのは正則だった。清正が行方不明になって、じっとしていられない心境だというのは分かるが、山に分け入るという非常に体力を要する現場に、更に疲れさせる要素を連れて行く気はなかった。『連れて行け!』『断る』『連れてけって!』『断ると言っている』と、全く中身のない応酬を何十回も繰り返した。苛立ちも手伝って、気付いたら手が出ていた。喧嘩っ早い正則だが、自分から手を出すことはあまりないのだ、あの見た目で。反面、三成は何事も有利に進めたがる性質で、先手必勝も辞さない考えを持っていた。その結果、ほとんど無意識に出た三成の拳が正則の腹に鈍く当たり、彼を昏倒させることに成功した。正則と並ぶと貧弱に見えてしまう三成だが、男一人を殴って気絶させるぐらいの力は持っているのだ。正則もまさかという思いがあったようで、拳は面白いぐらい簡単に急所に入った。三成は正則の苦情処理を左近に押し付けて、逃げるように編成隊を率いて出発した。
生きているのか死んでいるのか、それすらも分からなかった当初とは違い、清正の部下たちを保護したおかげで、彼らの生存を知ることは出来一時は胸を撫で下ろしたものだが、彼らのもたらした情報に再び気をもむこととなってしまった。食料の頼りない中、骨折をして熱を出している幸村のことが、とにかく心配だった。体力をつけねばならないというのに、それすらも出来ずに、高熱で苦しんでいるだろう。痛み止めも熱冷ましも何もない状況で、痛みと戦っている幸村を思えば、自然と眉間に皺が寄った。最近では文吏寄りの立場であるものの、ほんの数年前までは清正たちに混ざって鍛錬の真似事をしていた身で、打ち身も骨折も捻挫も体験済みだ。痛み止めを飲んでいたが、ただひたすら痛みを耐えることしか出来ず、数日布団の中で呻いていたことをよく覚えている。
幸村付きの女忍びは、出会った頃の不躾な陽気さのまま三成に接していたが、その表情は晴れなかった。当然と言えば当然だったが、たかが忍びと大名家の次男坊とが強い絆で結ばれていることに、少なからず戸惑いもあった。羽柴家はねねが忍びとして諜報活動を行うおかげが、忍びへの風当たりは良い方だが、それでも自分たちと同列に扱うことはない。けれども幸村は、くのいちの暴言を平然と流し隣りに立つことを許容し、彼女の存在を一忍びではなく、一人の人間として扱っている。それが奇妙でもあったが、彼らしいとも思った。
くのいちは、遅い!と文句を言いながらも、忍びの目の良さを活かして、兵太夫が付けた印を次々と見つけて行った。流石鍛え方が違うのか、炎天下の中、三成の倍は走り回っていながら、一切疲れを感じさせなかった。
暑さと湿気で気が立っていたことも確かだ。少しでも涼しくなれ、と半ば睨むように空を眺めていたのも確かだ。だが、捜索中の雨は決してありがたくはなかった。気温は下がった。纏わりつくような湿気もすっかり洗い流されたが、足元は悪化した。今は既に止んでいるが、一歩踏み出すごとに泥が纏わりつき、歩みを鈍くさせるという弊害をもたらしていた。下山してほとんど休みを挟まずに出発したこともあり、救助隊ですら疲労が溜まっているのだ。長陣からの慌しい停戦、蒸し暑い中での行軍と、過密な日程をこなして来ている。体力に自信のある者を集めたが、それでも限界はある。もっとも、一番にへばっているのは三成だろうが。
「そろそろ、あの鉄砲隊長さんの言ってた洞窟だと思うんだけどにゃー」
「…そうだな」
「元気ないっすね、三成さん」
「……」
くのいちの軽口に一々反論していては、こちらの体力が持たない。くのいちもそれを承知でからかっているようだった。
陽は中天を過ぎ、徐々に傾きつつあった。今日発見することは難しいかもしれない、と、早めの休息も視野に入れていた三成をよそに、くのいちは急に駆け出した。好き勝手に周りを飛び回っていた勢いとは全く違う。すぐにでも見えなくなってしまいそうな背中に、三成は慌てて声をかけた。
「おい!どうした!」
「合図が聞こえたんです!幸村様に間違いない!」
「?俺には何も聞こえなかったが?」
「それは、ああもう!説明してるのもまどろっこしい!あたしは先行って見つけて来ますから、後からゆっくり来てください!」
そのまま、どろん、と唱えて消えてしまったのではと錯覚する程の早さで、くのいちは迷いなく先を進んで行った。三成も急いで彼女を追ったが、あっと言う間に見えなくなった。それでも負けじと、重い足を引き摺るように走る。情けなくも直ぐに息は上がってしまった。背後では、隊長である三成を追い掛けて、体力を振り絞って三成の後に続いている。どこまで走ればいいのだ!と怒鳴りそうになったところで、見慣れた姿を発見した。―――清正だった。
転がり込むように清正に駆け寄り、彼が呆れ顔で見下ろしているのも構わずにその場に座り込んだ。泥で尻が湿ろうとも、もう立っていられなかった。
一時は生死すら危ぶまれた男だったが、いざ再会してみれば、その邂逅は呆気ないものだった。感動するにも、怒るにしても、息が切れては出来ないのだと思い知った。一見したところ、多少やつれて目の下にくまを作ってはいたものの、元気そうだったのも要因かもしれない。
「…大丈夫か」
「…ほっとけ」
むしろ声をかけられたのは三成だった。全くいつもの構図に安心してしまった。三成だって三成なりに、清正のことを案じていたのだ。
「…お前は、案外に元気そうだな。遭難生活は楽しかったか」
「お陰様で、誰かさんよりも丈夫に出来てるんでな」
反論する気も起きず、三成はその皮肉を黙殺した。自分から振った自覚はあったが、最早条件反射のようなもので、彼との会話が皮肉の応酬にならなかった試しはないのだ。
「…女忍びが来なかったか。幸村は、無事なのだな?」
「幸村んとこの忍びだろ?お前より随分早くにこっちに来て、今は幸村と感動の再会中だ。生きてるっていう意味なら、無事だ。だが、あんまりいい状態じゃない。痛み止めと熱冷まし、後は栄養のあるもんを食わせてやってくれ」
当然だ…!と震える足に激を入れながら、何とか立ち上がる。差し出された手を思わず掴んでしまったが、清正は清正で疲労が溜まっているようだった。倒れることはなかったが、いつも憎たらしい程しっかりと己の力で立っている男が、三成の決して重くはない体重によろけた。何となくお互い気まずくなって、ぶつかった視線をふいとそらした。
「三成さーん、荷物から替えの着物もらいますねー。すぐに出発出来ると思うんで、準備してもらっててください」
洞窟の入り口ではくのいちと、彼女に支えられて立つ幸村の姿があった。まだ息は整いきってはいなかったが、それでも三成は駆け出した。そう距離があるわけでもない。今度は転がることもなく、幸村の前に立つことが出来た。
「無事か?!いや、無事ではないことは分かっている!無理に顔を見せずとも良い。座って待っていろ。ああ着物だったな、すぐに持ってこさせる。薬は飲んだか?食べ物もいるな。なに全部用意済みだ、」
「薬はあたしが飲ませました。あと、食べ物ですけど、空きっ腹に握り飯入れるわけにもいかないですから、真田特製の兵糧丸も一緒に。あ、清正さんも飲みます?お腹は膨れませんけど、栄養満点っすよ?」
面白い程にわたわたする三成をよそに、くのいちは最低限の処置を既に済ませていた。見れば、着物は泥と汗で汚れに汚れてしまっていたが、彼の目を覆う包帯だけは清潔なものだった。清正の言にもあったが、幸村の体調はあまり良いものではないことは、すぐに見て取ることが出来た。発熱しているようで顔は赤いが、唇の色は悪い。呼吸も荒く、立っていることも辛いのか、身体をほとんどくのいちに預けている体勢だ。
「悪い、俺にも貰えるか。おい三成、お前はさっさとあいつらに指示出してやれよ。あと、俺の着替えもくれ」
そのままの勢いで幸村に抱き付きかねない三成を押し退けて、清正はばらばらと追いついてきた三成の部下たちを指した。清正に文句の一つも言いたかったが、三成はそれを舌打ちで堪えた。
「幸村、大丈夫とは言えぬ状態だろうが、こうしてまた会えて良かった」
「はい、本当に。これも清正どのが事細かに支えてくださったおかげです」
つい、清正を睨んでしまった。清正は清正で、何か文句があるのか、と鼻を鳴らす。それにふいと視線を外して、幸村に向き直った。
「話は追々聞くとしよう。とりあえず、ここを離れる準備をするぞ。しばし待っていてくれ」
そう幸村に丁寧に告げて、離れて事の成り行きを眺めている部下たちへと近付き、命令を飛ばすのだった。