うだるような夏の日であった。座っているだけでも、額には薄っすらと汗が噴き出す。顔のほとんどを頭巾で覆っている大谷吉継などは、三成が感じている以上に暑さを痛感していることだろう。
石田三成は大谷吉継と対峙していた。二人共身じろぎをせずに、じっと見つめ合っている。見つめ合ってるというよりは、睨み合っているという方が正しいのではなかろうか。
石田三成と大谷吉継はそれはそれは仲の良い二人だったが、彼らが纏っている空気は決して穏やかとは言えなかった。顔を合わせれば、まず吉継の口から三成への痛烈な批判が飛び出す。やれその横柄な態度は何だ、もう少し愛想良くしたらどうだ、だからそなたに寄り付く者など限られてくるのだ、などなど、挨拶のように吉継はいつも似たようなことを言い、三成は三成で毎回うんうんと頷くのだが、改善された試しがない。吉継の忠告だからと毎回しっかりと耳を傾けているはずなのに、決まって最後は、「吉継が居ればそれでよい」と締めくくってしまう。吉継がそこでため息をついて、彼らの挨拶は終わりだ。そういう二人であるが、三成が吉継に遠慮して物を言えぬというわけではない。そもそも、三成はそのような殊勝さを持ち合わせていない。思ったことは口に出さねば気がすまぬ性質であった。
「秀吉様から、内々に通達があった。」
吉継はそう告げ、心底呆れたと言いたげに、わざとらしくため息を吐き出した。顔のほとんどを頭巾で覆っており、布の間から覘く目だけが三成に注がれているが、視線と声音だけで三成は吉継の感情を覚ったようだ。三成は咄嗟に眉を顰めてしまったが、吉継はもう一度、音に聞こえる程大袈裟に息をついただけで、三成への非難を飲み込んだようだった。
「於利世を信繁どのの嫁がせても良いか、真剣に考えてくれ、とな。」
「それは重畳。」
「三成。」
にんまりと笑みを作った三成をぴしゃりと言葉で押さえつける。しかし三成は嬉しげな顔を隠しもせず、朗報だ、と表情を緩めたままだ。吉継にとっては頭の痛い話である。
「そなたが秀吉様を誑かしたのだろう。信繁どのに手を貸したくなるのは分かるが、こんな方向へ向かうとは…。私は感心できん。」
「源二郎の方から言ってきたのだ。お前に惚れ込んでいるから、どうか於利世を嫁に貰えるよう手回しをしてくれないか、とな。あれに頭を下げられれば、折れるしかなかろう。」
「軽率だ。」
突き放すような口調に、流石に三成もカチンと来たようだ。むっと顔を顰めて、
「何が気に入らぬのだ。」
と、問い詰めるような調子だ。
「ほいほいと豊臣の人間を増やすのは軽率だと言ったのだ。」
「人を見境のないように言うのはやめてくれ。源二郎だからだ。秀吉様もあれの才覚には期待をしておられる。」
何をそんなに嫌がるのだ、と三成は吉継との距離を詰めて、吉継の目を覗き込んだ。しかし吉継は、本日何度目かになるため息を吐き出して、だからお前は駄目なんだ、とさり気なく目をそらした。三成の視線は、吉継にはあまりに真っ直ぐ過ぎるのだ。感情がそのまま送られているような気がして、どうも落ち着かない。三成は中々の激情の持ち主であったからだ。
「そなたも相当、信繁どのに毒されているな。過保護すぎる。彼を我らの内側に取り込んでどうする?」
「過保護、か。そうかも知れん。私は源二郎が、その他大勢に埋もれていくのは勿体ないと思っている。権力に喰われるのも利用されるのも、出来ることなら護ってやりたいと思っている。」
「自惚れるな佐吉。そなたは所詮、豊臣御家を支える一角でしかないのだ。」
「私は己の才覚に自惚れたことなど一度もない!」
三成は声を荒げて、元からきつめの視線を更に鋭くさせた。けれども吉継は慣れた様子で、三成の様を一瞥しただけだった。
「信繁どのは、お前が思っている以上に強かだよ。」
「強かであったとしても、だ。確かに賢い。必要以上に出しゃばることもないが、己の意見をしっかりと持っている。私の問いに簡潔に答弁する頭の回転の速さは私も感心している。が、あれは何も知らぬよ。この豊臣の世でどのように己の身を護るのか。親しくする人間を作るというのはどういうことなのか。真田の里でぬくぬくと生きていくのであれば、それでも良かっただろう。真田を出、兼続どのの世界を永劫受け入れたのであれば、あれはそういうものを覚える必要もなかった。だが、ここは違う。飲み込まれるだけではすまぬ。」
ここには、真田の手も届かねば、上杉家の温情もない。三成はそう言葉を荒げたが、吉継はやはり、ひやりと三成を眺めるだけだった。どっと暑さが身を襲う。興奮しすぎたせいだろうか、手の平にもじっとりと汗をかいている。不快だ。この上なく不快だ。もともと三成と吉継は、物事の見識で意見が合致する方が珍しいのだ。どこまでも主観が抜かせぬ三成と、外からの眼でしか物事を捉えられぬ吉継に、同じ結論が出るはずもない。
しばし沈黙が続いた。三成は身を乗り出して、吉継からの言葉を待っている。喉がかわく。時折吹き込む風は生温く、ゆるゆると肌を撫でていく様は、いっそ風など吹かぬ方が良い程だ。
「…お前が何を言おうと、秀吉様にお断りしようと思っている。」
「無駄だ。秀吉様も此度は乗り気だ。お前にそう訊ねただけで、腹の中ではもう決定事項だ。」
「佐吉、そなたの悪いところは、そうやって秀吉様を簡単に味方につけてしまうところだよ。秀吉様を頼るな、結局そなたは、己自身では何もできぬではないか。」
「紀之介!」
思わず掴みかかりそうになった三成だが、それよりも早く吉継の扇にぴしゃりと手首を叩かれて、己の迂闊さに気付いた。既に吉継の病は身体を蝕みつつある。他人との接触を避けたいのは当然だ。
「あの子を巻き込むものではないよ。私はそう思う。豊臣に、あの子は必要だろうか? 」
「本気で言っているのか?必要だろう、必要だからこそ、」
私が手回しをして、秀吉様を懐柔して。
けれどもその言葉は声にはならなかった。じっと己を見つめる吉継の眼の力に負けたからだ。ごくりと唾を飲み込んだ喉の音が異様に大きく感じられた。
「それがそなたの我が儘だ、佐吉。」
三成はその一言に激昂し、思わず立ち上がってしまった。吉継を剣呑な視線で見下ろし、どすどすと足音を立てて退室してしまった。
分からず屋、分からず屋!私よりうんと才覚もあって秀吉様にも認められていて、私よりずっと頭が良いくせに!流石にそう口にすることはなかったが、顔を真っ赤にした三成からそういったことを覚るのは容易かった。吉継は肩を怒らせたまま去って行った三成の背を見つめながら、深くため息をついた。三成が言ったように、最早於利世の嫁入りはどう頑張っても決定事項なのだ。よりにもよって、私に目をつけなくとも…、とこの場にはいない信繁に不満を零してみたものの、腹の中に澱んでいるしこりは一向に消えてくれそうになかった。
『 そ れ を
過 保 護
と 言 う ん で す 。 』
関ヶ原の陣中、吉継の心は静かだった。吉継の娘・利世が真田信繁に嫁ぎ、豊臣秀次が切腹をし、明への出兵が失敗に終わり、豊臣秀吉が世を去り、次いで前田利家も亡くなった。石田三成は大坂を追われ、前田家に謀反の疑いがかかり、その前田の母を人質とすることで何とか疑いを晴らしたものの、今度は上杉家へと火の粉が降り注いだ。着実に徳川の世となるべく、世情が動いていた。吉継はその流れに逆らわぬ方が良いと思っている。秀吉が亡くなった今、豊臣家を存続させる意味もない。またその力もなければ、家中をまとめるべく人材もいない。徳川の磐石な体制こそこの日ノ本を統べるに相応しいと思っている。が、そう思えぬ人物がいることもまた確かだ。吉継は本来、その人物を説得すべきだったのだ。彼の理想を受け入れてやるべきではなかったのだ。数え切れぬ程、彼に忠告してきた己が、一番に彼を甘やかしてしまった。そなたでは相手にならぬ、負ける負けるぞ、豊臣は早々に徳川に頭を下げるべきなのだ。そう言った己の舌が乾かぬ内に、吉継は彼に合力することを決めた。決めてしまった、とも、最初から決まっていたとも言えよう。吉継は三成が思っている以上に彼に恩義を感じていたし、いつか彼に報いたいとも思っていた。彼から豊臣恩顧の者たちが遠ざかって行く中、己だけは死ぬまで彼の味方であろうと確信していた。
「将軍さま(秀忠)の軍はまだ姿を見せぬのか?」
戦の喧騒に消えてしまいそうな程の小さな声だったが、側に控えていた湯浅五助はそれをしっかりと受け取ったようで、「はい、着陣の知らせはまだ届きませぬ。」と大きな声で告げた。中山道を進んだ秀忠率いる徳川本隊の、真田の足止めは成功したようだ。吉継はほとんど見えぬ眼を閉じて、そっとため息を吐いた。
(かわいそうに、私たちがあの子を巻き込んでしまった。よりにもよって、あの戦好きの父に、おあつらえ向きの理由を与えてしまった。あの時の私は、あまりに軽挙だった。彼を豊臣家に引き摺り込むのではなかった。)
三成は真田親子の力添えに純粋に喜んだだろうが、吉継はそうは思えなかった。そう死に急いでどうする。いや、違うか。彼はただ流れに身を任しているだけだ。それが死を早めようとも、信繁は一切の抵抗をしない。それが彼であり、吉継が彼を遠ざけようとした理由だ。激動の中に身を置くには、あまりに彼は物事に対して無防備すぎたのだ。
(そなたはどう思っていたか分からないが、私はあの子を気に入っていたよ。だが、身の内に取り込んでしまえば、毒でやられてしまう。そういう病魔に冒されていたからね。大切なもの程側に置きたがるそなたとは、根本的に違っていた。だからほら、そなたと私は、こうして共倒れだ。)
「五助、」
「はい。」
折り目正しく横に控えているだろう五助の軽やかな声に、吉継は笑みを浮かべた。白い頭巾で覆われた顔では誰も気付く者はいなかっただろうに、五助は吉継の纏う空気で、主の機嫌を覚ったようだった。
「そろそろ私も出るとしようか。」
「はっ。御殿の御出陣じゃ!太鼓を叩け法螺貝を吹け!大谷隊の強さ、目に物見せてくれようぞ!」
おおぅ!とわき上がった鯨波の声の頼もしさに、吉継は大きく頷いたのだった。
どんな話にしようかな、と考えてるだけでうきうきしたリクエストでした!結局、三成VS吉継→信繁なのか、三成+吉継→信繁なのか分からないままでしたが…(おおい) むしろ→向いてるの?って感じですよね、よく分かります(おま、)
あ、五助は友情出演です。あと、吉継の娘さんの名前は、とりあえず利世で。まだ試行錯誤中なので、後々変わるかもしれません。
人様と三成吉継のコンビの認識が違うような気もしますが、当家ではこんな感じです。吉継は容赦を知りません。三成は吉継の悪口(…)にも屈しません。そんな仲良しの二人。仲は良いんです。
私にしては珍しく、信繁未登場の話になりました。少しでも楽しんで頂ければ幸いです。リクエストありがとうございました!
あっと、どうしても話の中には入れられなかったんですが、どうしても書きたかった利世と信繁の話を
こちら
にぶっこんでおきますので、よければどうぞ。とりあえず、信繁はひどいヤツです。
09/04/05