一夜明け、政宗、小十郎が帰って行った。幸村が入れ替わってしまったことは、極力秘密にする、という曖昧な返事を残していった。証文など何の役にも立たぬことを知っている幸村は、それが当然だと思ったのだが、佐助辺りは政宗を信用していないのか、そんな気軽でいいわけないでしょ!と雷を貰ってしまった。幸村はこちらの佐助に怒られてばかりである。幸村はそれを新鮮な気持ちで捉えていたが、佐助としては全くいつも通りの日常であった。
「佐助は怒りっぽいなあ。」
「誰のせいよ、誰の。」
「ふふ、私のせいだろうなあ。」
 幸村は面白い、と声を出して笑ったが、佐助は、それ!その笑顔!と幸村の鼻先に指をつきつけた。昨夜の場を天井裏辺りから覗いていたことなど、幸村は承知している。
「笑顔の大安売りも大概にしなよ。あれ、絶対、独眼竜だけじゃなく、片倉さんも誤解したと思うよ。」
「誤解?何を?」
「だーかーらー。独眼竜も言ってたでしょ。俺誘ってどうすんの?」
「は?誘う?誰が、何を?」
 これは駄目だ、と佐助は内心頭を抱えた。うちの旦那も問題ありだけど、この若様も大概だ。どの世界の幸村様も問題児であるようだ。
「それはそうと、佐助。地図を持ってきてもらえないか?」
「ああそうね、独眼竜さんたちのせいで、時間なくなっちゃったからね。」
 佐助も幸村に言われるだろうことを想定していたのか、部屋の隅から巻物を取り出し、その場に広げた。

 佐助の説明を一通り受けた幸村は、どうしたものか、と考え込んでしまった。情勢が、あまりにも違いすぎる。伊達政宗に上杉謙信、織田信長に豊臣秀吉。徳川の規模は小さいし、本願寺は未だ健在だ。北条も何とか生き延びているようだし、長曾我部、毛利、島津もその家を育てた梟雄たちが頂点に君臨しているらしい。何とも不可思議な情勢であるといえる。そして何より、お館様こと武田信玄が武田軍の指揮を執っている、というから、幸村の心は荒れた。もう一度会いたいと思う。その覇気を感じたいと思う。一目お会いし、名を呼び、出来うることなら、幸村、と名を呼ばれたい。けれどそれは、果たして良いことだろうか。亡くなった人ともう一度会うというのは、果たして、良いことだろうか。
「近いうちに、お館様にも会う機会はあるでしょ。隠すことでもないから言うけど、休戦もそろそろおしまいだろうし。」
「戦が始まるのか。」
 一瞬だけ、あの熱が身体に広がる。が、すぐにそれも散ってしまった。だが佐助は、その些細な幸村の変化を見逃さなかった。流石、と幸村は素直に心の中で褒めたが、佐助にとっては褒め言葉でもなんでもないだろう。お前も嫌な男を掴まされたものだ。幸村は大笑いしてやりたい衝動をなんとかこらえた。
「真田幸村って人間は、どいつもこいつも戦馬鹿だね。」
「仕方がないだろう。それが私だ。」
「戦が好きで好きで堪らないって?いい加減にしてよ、もう。」
「お前は戦が嫌いか?」
 好きだと言う人間がどこにいる。佐助の目はそう物語るが、幸村は違うと思った。好きだと、他人の目を気にせずに言うことが出来る無神経者がどこに居る、と言った方が正しい。幸村も、他人の、いや、三成の目がおそろしかった。だから、戦が好きではない、と誤魔化してきたのだ。
 佐助は幸村の問いに「もちろん!」と勢い込んで言ったが、幸村は違うな、と悟った。忍びがおそれるのは死ではない。
「お前がおそれているのは、戦によって主を失うことだろう。常に戦の先頭に立たねば気がすまぬ男ゆえ、」

「分かってるんなら、どうにかしてよ!」

 おそらく、幸村が余りに冷静に言うものだから、神経を逆撫でしてしまったようだ。佐助も己の思わぬ激情に驚いたようで、しおらしく「ごめん…」と頭を垂れている。だが困ったことに、幸村はこうやって哀願されることに慣れていたし、その言葉を理解していながら、そこに宿る心を理解できなかった。反対に、己の忍びたちに、私の心を理解してくれ、ああわがままだと知っている、捨てるなら、こんな主捨ててくれて構わない、と部下に強要するのだ。自分のことでありながら、なんてひどい主だと幸村は思う。だが、こればかりは譲れない。これがなくなってしまったら、己が真田幸村ではなくなってしまうような気がするのだ。

「佐助、」
「あーもう、恥ずかしい!今のなし、なしったらなし!」

「すまぬ な。」

 幸村の言葉に佐助が何を思ったのか。幸村は分からなかったが、佐助がひどく傷付いた顔で、真田幸村って男はそればっかだ。と言うものだから、きっとここに居た私も、同じようなことを言って佐助たちに無理を強いているのだろう、と自然に悟った。お前が主を失っては生きていけぬように、私は戦を失っては生きていけぬのだ。そう言ってやることも出来たが、佐助がこれ以上の言葉を受け付けてはくれなさそうだったから、幸村はもう一度、「すまぬ。」と繰り返すことでその言葉の代わりにしてしまったのだった。










啖呵を切る
不満が溜まってるのは、どこの苦労人も同じ