声を掛けられる
無防備だと言われ続けて早○年




 上田に戻った幸村は、兄に事情を説明し身を置かせて貰っていた。政務を兄に任せきっていたようで、本拠地に戻ったというのに幸村にはやることがなかった。そもそも、真田家の人間と言っても、部外者と変わりない幸村に政治が出来るはずもなかった。幸村は一日の半分を鍛練で潰し、もう半分を領地の視察に当てていた。視察、と銘打ってはいるが、ようは町に出掛けているだけだ。その行き先も、町外れの団子屋といつも決まっている。

 そうやって数日を過ごし、さて今日も町へ行こうか、と鍛練の服装から、いつもの赤い着物へと着替える。その時であった。佐助の雷が、静かに落ちた。
「若、少々お話があるんですが、いいですよね…?」
 静かに、けれど、有無を言わさぬ佐助の様子に、幸村も頷く。こうなってしまった佐助は、言に従うしかないのだと幸村も学習している。「何の用だ?」と居住まいを正せば、佐助が声を絞り出すように、低音を吐き出した。
「俺はね、別に若を拘束しようだなんて、そんな考えはこれっぽっちも考えてないですよ?ただね、ちょっと放置できない噂話が広まっちまったものですからね、ちょっと自重して頂きたいなあ、とこう考えてるわけです。俺の言い分、分かりますよね?間違っちゃいませんよね?」
 幸村は言葉を挟まず、こくこくと頷いた。その反応に満足した佐助は、更に言葉を続ける。
「若が団子屋通いになろうが、俺は全然問題ないと思いますよ。大の男が、と思うと切ないものがないわけでもないんですが、まあ若ですから、それは全く問題ありません。ただね、流れてる噂が、ホント良くない。良くないって言ったら、良くない。」
「すまないが佐助、話の要領を得ないのだが…?」
 一々手を挙げて発言をした幸村だが、佐助はその幸村の白々しさにぷちんと来てしまったようで、今度は声を張り上げた。忍びながら色んな表情を持った男だなあ、と間違ったところを感心している。
「団子の君って何なんですか、若!」
「何だそれは。私でもちょっと…と思ってしまうような、名付けではないか。」
「はいはい、白を切りますか。でもね、証拠は挙がってるんですよ。ここ数日、赤いべべ着た美人さんが、町外れの小さな、夫婦で開いてる団子屋に、毎日団子三本食べに来るって。面白いことにその人物、何がそんなに嬉しいのか、団子を食べてる間は笑顔振りまいてるって話でしてね、ええ、その夫婦の証言では、主人は女だって主張して、奥さんは男だって言うもんだから、もう性別すら不詳。冗談みたいに付いたあだ名が"団子の君" 噂は上田周辺だけじゃなくって、隣り町にまで広まってるって話で、その団子屋はぼろもうけしてるんだと。」
「そうか、それで日に日に賑わっているわけか。しかしおかしいぞ佐助。その団子屋に毎日顔を出している私は、一度としてその人に会ったことがない。」
 行く時間が違うのだろうか、と本気で首を傾げる主に、佐助は更に声を張り上げた。
「若のことに決まってるでしょ!」
「しかし私を女子と間違えるわけがない。」
「赤い着物着てりゃ、女って間違われても仕方ないでしょ!」
 好き好んで着ているわけではない、これしかないせいだ。と幸村は反論したかったが、佐助の剣幕におされてそれも出来ない。
 このまま延々佐助の説教を聞かされるのも勘弁だ、と幸村は策がないものか…、と思案を広げる。ふと、懐に入っているあるものの存在を思い出す。護身用に才蔵が持たせてくれたものだ。よし、今しかない!と幸村は懐に手を突っ込み、確かにそれを掴んだ。
「佐助!」
 なに?と佐助がこちらへ目を向けた瞬間を見計らい、幸村は手の平に握っていたものを、思い切り佐助の顔にぶつけた。所謂『目潰し』である。才蔵特製のそれは、胡椒や山椒を粉末に混ぜてあり、効果は抜群だ。流石の佐助でも痛みで目が開けられぬはずである。
「佐助、悪いな!夕暮れには戻るから、安心しろ。土産も買ってくるぞ。」
「あ、ちょ、若!待て!」
 そう叫ぶものの、やはり痛みで目が開けられぬようだ。ふふ、悪いな佐助、といつもの笑みを浮かべながら、幸村は颯爽とその場を後にするのだった。

 幸村はいつもの団子屋で、いつもと同じように団子を三串注文し、いつもの席に座り団子を頬張っていた。噂はとにかく、あまり幸村が目立つのはよくない。今日でここに来るのも最後にしようとそう決めていた。とりあえず、今は団子を楽しむのが先決だ、と幸村は団子の味を堪能している。集中力があるのか、はたまた猪突猛進なだけなのか、幸村はこれと決めたら周りのことが目に入らない。今も、団子を食べる!と決めた以上、周りがいかにうるさかろうが、気にしていなかった。当然、幸村の隣りにどかりと腰掛けた男の存在など気付いていない。
「ねぇ、あんたが噂の団子の君かい?」
 しかし幸村は己が話かけられているとは思っていない。黙々と口を動かし続けている。こりゃ、手強いな、と頭をかいた男は、幸村の指が最後の一本に伸ばされるタイミングを見計らって、幸村の腕を掴んだ。それに驚いたのは幸村だ。団子を掴むはずが、逆に掴まれるとは。びっくりして己の腕を見た。しかし、それよりも早く男が幸村の顔を覗き込んだ。にっ、と人懐こそうな笑みを向けられ、幸村も咄嗟の反応に困った。
「俺は前田慶次って言うんだけど、」
 前田慶次!幸村はびくりと身体を反応させた。まさかこのような不意打ちで彼と巡り合うとは!予想だにしていなかった分、衝撃は大きかった。幸村も負けじと慶次をじろじろと眺め返す。
「あんた、きれいだね。」
「生憎と、私は男ですが。」
「うん、見れば分かるよ。でも、それが霞んじゃうぐらい、あんたの立ち居振る舞いはきれいだよ。表情が更にいい。男だってこともどうでもよくなっちゃうぐらいもの。あ、そうだ。あんた、恋人居る? そんだけきれいだと当然かな。恋はいいよねぇ、恋してる?」
 幸村の中の慶次とは大よそ繋がらない。可愛らしいことをおっしゃる。慶次どのの一番の恋人は松風だったのに。そう思うと、自然笑みがこぼれた。恋に恋をする、とは彼のような人を言うのではないか。

 ふふ、と声を漏らして笑えば、慶次は目を丸くして幸村の表情を凝視した。佐助が言う、人を"その気"にさせてしまう笑みである。闇夜にぼんやりと浮かび上がる朧月が何故美しいのか。儚いものを、人は美しいと言うのだ。幸村の笑みは、そういった儚さがある。気高いゆえに、己一人で立とうとするが、寄り添うように存在する儚さが、つい彼を支えたくなる。力になりたくなる。助けなどいりません、と凛と澄ました様子がまた良い。そして、そんな笑みを向けられるのは己一人だと錯覚したくなってしまう。

 饒舌に語った慶次が、今はぽかんと口を開けている。流石に不審に思い、「何か?」と問うが、慶次は「ううん、何にも!」と手を振って誤魔化している。慶次の反応が納得いかない幸村は、
「私の顔に何か付いておりますか?」
 と、慶次に詰め寄る。ふわりと、白梅だろうか、香がかおった。嗜みを忘れぬ辺り、慶次らしいと幸村は感じた。思わず表情が緩む。懐かしい、会いたい。そう思った。慶次どのに、三成どのに、兼続どのに政宗どのに。私の世界の彼らに、会いたい、と。
「あ、あのさ!」
「はい?」
 慶次は幸村の、空いているもう一方の手も掴んで、両の手の平に包み込むように握り締めた。思わぬ真摯な表情に、幸村は思わず逃げ場を求めて腰を浮かせた。が、慶次は幸村を抱き寄せるように、ことさら手に力を込めた。
「俺と恋しない?」

「はーい、そこまで!悪いね、前田の風来坊さん!この人、旦那の大事な客人だから、借りてくよ!」

 佐助である。風のように二人の間に割り込み、慶次の腕力も何のその、軽々と慶次から幸村を引き剥がし、その勢いのまま幸村を担いだ。己は米俵か何かだろうか、と幸村はその抱え方には文句をつけなかったものの、ぼんやりとそんなことを思った。
「あ、佐助、団子がまだ一本残っているのだが、」
「団子一本ぐらいで、文句言わないの。」
「そうだお前、目はもう良いのか?」
「良くないですよ。あんな危険物、直接投げつけてくれちゃって。まだ目はチカチカするし、ひりひりするし。」
「才蔵印だからな。」
「……。」
 佐助を黙り込ませることに成功した幸村は、佐助の肩越しに慶次を見た。嵐のように現れた佐助に、流石に度肝を抜かれたようだ。
「慶次どの、それでは失礼致します!」
 この日以来、団子の君は姿を見せなくなったのだった。