幸村は家の者に黙って、とある場所に来ていた。数日前、己が倒れていたと思われる場所だ。小さな崖になってはいるが、崖と言ってしまっていいものか。余程下手に飛び降りぬ限り、怪我はしないだろう。
幸村は、今の状況を、夢の中、と判断した。確かに、この地はあまりにも心地が良かった。好敵手が居り、手足となって働いてくれる部下が居り、各地に梟雄が散らばっており、戦が未だ終結の気配すら見せず、そして、お館様がみえる。だからこそ、夢であった。幸村が生きている時代は、既に戦から遠のこうとしていた。朝鮮、明への出兵も時間の問題とされていたが、どうやら幸村があちらへ渡る可能性は限りなく低い。秀吉の馬廻りに抜擢されたことが、裏目に出るとは。また、豊臣恩顧の対立も日に日に激しくなっている。穏やかだった日々が、歪みつつあるのだ。この地は、そういった歪みがない。敵と味方。それがはっきりと分かりやすく横たわっている。幸村の世界の戦は、一度秀吉が天下を統一してしまったからこそ生まれる、醜い、薄暗い戦になってしまうだろう。
確かに、夢の世界は心地が良い。けれど、いつまでも夢を見ていては、夢から覚めることができなくなってしまう。それでは、真田幸村も死んでしまうことになる。幸村の魂は、気高いからこそ幸村なのだ。
幸村は大きく息を吸い込んだ。未練がないとは言えない。もう一度だけ、お館様にお会いしたかった、と今でも思う。しかし、きっとそれは良くない。夢の中ですら冒してはならぬ禁忌のように思われた。幸村は、慶次と出会い、こちらの世界の住人でないことをはっきりと自覚をしたのだ。
幸村は崖を見下ろした。正確には、崖ではない。そんな大袈裟なものではない。気合と共に飛び降りた。つもりであったが。飛び降りようと地を蹴る、僅かに前に、その場にあった石に躓いてしまった。飛び降りるような体勢であったから、そもそも身体が支えられない。幸村は崖から転げ落ちてしまった。
(なんとも、しまらぬものだ。きっと、こちらの私も、同じようにして落ちたに違いない。)
そう思ったが最後、幸村は意識を失ったのだった。
捨てる
違うよ、元の持ち主に返してあげるだけ