幸村は父への手紙をたくした後、部屋から出、庭を歩いていた。左近と連絡を取りたかったが、先程会った様子では何やら仕事を抱えていることが窺い知れた。どうしたものか、と考え込んでいるのだ。出来ることなら早い内に左近の耳にだけでも入れておきたいが、それが公になってしまうと困ってしまう。いっそのこと、三成に直接話してしまおうか。そうも思ったが、なにせ左近以上に多忙な人物である。夜だとしても時間が空いているか、甚だ疑問であった。
そこへ突然の来訪者である。
「人がいなかったから上がらせてもらったぞ。」
と悪びれた様子もなく言い放つ彼は、直江兼続であった。兼続は幸村が無類の甘味好きだと知って、よく城下におりたついでに団子や饅頭を購入し、幸村に届けていた。今日もその用向きであるらしい。そして、そうやって甘味を持参した日は決まって、未だ女子を自覚せぬ幸村をなじっていくのだ。今日も顔を合わせて一言目に、
「ぼんやりとしていて、襲ってくれと言っているようなものだぞ。」
と冗談を言うのだ。幸村は未だにどうやって返答をするべきか分からず、曖昧に笑うばかりだ。
「そのように考え事とは珍しいことだな、幸村。なんだ意中の男でも出来たか?」
「兼続どのはいつもそのような冗談ばかり。色恋など、私には無縁ですよ。」
「愛はいいぞ幸村。お前もいつかは人の親になるのだからな、無縁などと言うものではないよ。」
幸村が人の親になる時は、子を産んだ時であろうか、授かった時であろうか。幸村はそんな日が永遠に来ないと思っている。己の腹から、己と同じ人が産まれるのだと言う。幸村はそれが信じられない。人の営みのことを指しているのではない。この自分が、誰かと交わり、子を成すなど、鳥肌が立つ話であった。
兼続の言葉にも幸村の表情は晴れず、兼続はいらぬ世話を焼いてしまったか、と早々に話を切り上げた。
「だが、お前が難しい顔をしていたことは事実だ。私に話して解決するのなら、打ち明けておくれ、と言いたいが、残念ながらこれから三成のところに行く予定でな。またの機会にしよう。ああ、今日持ってきた団子は日持ちせぬから、早めに食べてくれ。」
「兼続どのは、三成どののところへ行かれるのですか?」
団子云々は幸村の耳に入っていない。先程から悩んでいたことが、まさに兼続の出現で解決の糸口が見つかったのである。幸村は一瞬言葉を考えるように、口を閉ざした。幸村の真剣な様子に、兼続の表情も引き締まる。これは、ただ事ではない。兼続が思わず身を乗り出すのと、幸村が口を開くのとは同時であった。
「もし、もしです。お会いしたらでよいのですが。」
「うん?何だ、言ってみなさい。」
「左近どのに言付けをお願いしてもよろしいでしょうか?」
兼続にしてみれば意外な人物の名が出たのであろう。少々驚いていたし、違う意味でもまた、びっくりしていた。どうやら兼続の認識では、色恋沙汰に近い誤解があるようだ。幸村が口ごもるように、戸惑うようにその名を出したことが更にそれを煽っているのだろう。幸村は兼続の心中など知らず、
「お頼みして、いいでしょうか?」
と真っ直ぐに兼続を見据えたまま、返答を待っている。幸村が左近に話があることは事実であるが、幸村が打ち明けようとしている内容は、兼続が思っているような色のある話ではない。邪推もいいところである。しかし兼続の誤解を知らぬ幸村は弁解することすら念頭にない。もちろん、兼続の目からすれば、恋に悩む女子そのものにしか映っていないだろう。
「今宵子の刻、以前と同じように屋敷の戸を開けておきます。もしご都合がよろしければいらして下さい。お話したい事がございます。くれぐれも内密に。三成どのにも見つからぬようにして下さい。」
確かに女子の熱烈な恋文の一節とでも取れるだろう。だが幸村の頭には、既に風魔忍びのことでいっぱいであった。兼続が目を爛々と輝かせながら、
「その役目、この直江兼続が承った!」
と妙に生き生きしていた様子ですら、幸村は頼もしいお人だ、としか思ってはいなかった。幸村は子の刻まで、左近が現れるのを待つのであった。