六郎たちが密かに風魔の行方を探し始めて、早数日が経っていた。何度かその姿を認め、風魔の忍びが暗躍している事実を掴んだものの、その拠点となっている場所が未だ特定出来ていなかった。にわかに集められた者達である。その結束は強いとは言えなかったが、それ以上に相手方がたくみであったと言わざるを得ないだろう。依然として相手の情報は手に入らず、敵の数や目的といったものが一切不明であった。おそらくは太閤秀吉の暗殺を企てているだろうことは嗅ぎ取っていたが、それ以上のことが何一つとして判明していなかった。

 状況も膠着してきた時分であった。海野六郎たちの許に、石田方の忍びたちが執念の末、敵の拠点とも言える宿を突き止めたとの情報が入った。六郎もすぐさまそこへと駆けつけた。本来連携を取っているはずの望月六郎は本家へと使いに行っており不在であった。戦力に不安もあったが、場の主導権は石田方が常に握っていた。六郎はそれに従うまでである。
 風魔の忍びたちが拠点としていた小屋は、町を離れた場所に建っていた。確かに大坂城からは遠く離れており、見つかる可能性は低いが、何分不便である。もし六郎であったならば、わざと大坂の城下に何か商いの店を出し、そこを拠点とするだろう。人を隠すのならば人の中。懐に入り込んでしまった方が見つかりにくいこともある。だが、忍びたちが発見した忍び小屋と呼ばれる小屋は、六郎から言わせれば、分かりやす過ぎていた。これは、何か怪しい。そう六郎は思ったが、敵の本拠地を見つけ意気が上がっている皆には告げられぬ。
 六郎は場所を確認し、さて引き返そうと皆を促した。敵方にはまだ見つかっていないと思わせていた方が油断を誘えるだろう。まだ機ではないと六郎は感じていた。望月六郎がこの場に居合わせていないこともまた、六郎を尻込みさせていた。ここは常に何人かで見張り、相手の人数等情報を集めるのが上策である。六郎はそう提案したが、受け入れられなかった。折角見つけたのだ、敵が逃げ出さぬ内に小屋ごと潰してしまおう。そう言うのである。六郎に言わせれば、無謀の一言であった。また、この場から大坂城までは遠く離れていた。離れ過ぎていた。何か、嫌な予感が六郎の胸にうずくまっている。

 六郎の主張空しく、その小屋は破壊されることとなった。中の様子を伺い、戸を開けると同時に焙烙火矢を投げ込む、という単純な作戦であった。六郎はその爆音に驚いて飛び出した忍びの始末をする為、小屋から僅かに離れた場所でその機会を待っていた。六郎の夜に慣れた目が、石田の忍び達の動きを見守る。息を殺し戸に張り付き、頭が手で合図をする。導火線に火が点る。灯りの何もない中、その点が浮かび上がった。静かに、けれども素早く戸が開けられた。六郎の研ぎ澄まされた五感に、その臭いは伝わった。これは、油の臭いである。
「待、」
 小屋に油がまかれていると瞬時に判断した。六郎は声を張り上げて飛び出した。確かにあの小屋は風魔の拠点となっていただろう。だが、今ふとその考えが至った。あの小屋には、最早誰もいないのではないか。
 しかし六郎の声は届かない。戸のすき間から二つの焙烙火矢が放り込まれた。威力のあるものではない。せいぜい威嚇にしか使えぬはずだ。だが、次の瞬間、六郎の鼓膜を刺激した音は、投げ込んだ焙烙火矢が破裂した音ではありえない程の轟音であった。文字通り、小屋が吹き飛んだ。当然、その小屋に張り付くようにして中の様子を伺っていた者たちも、跡形なく消え去った。残された者が、茫然と舞い落ちる破片を見つめている。六郎はそんな者たちをそのままに走り出していた。忍びの勘である。大坂城が危ない。


 大坂城へと駆けながら、六郎は思案する。敵の狙いは秀吉であろうか。敵の数は如何ほどであろうか。計画の一部すら分からぬのはもちろん困ったが、それ以上に敵の数が皆目見当つかぬ現状が、何よりも苦しいものであった。望月六郎も今は上田へと一時帰ってしまっている。頼りになるのは己しか居なかった。
(敵の目的は、やはり太閤さまの暗殺だろう。)
 そうとしか思えぬ。石田の忍びたちを町外れに誘い出し、遠ざける為にあえて見つかったのだろう。今宵は新月である。忍びが暗躍するにうってつけの夜であった。


***


 六郎はまず幸村の許へ駆け込んだ。一番に近いのが幸村の屋敷であったからだ。幸村はすぐさま六郎の気配に気付くと、ただ事ではないことを瞬時に覚り、すぐに指示を下した。
「私は左近どのに近辺を固めるようお伝えする。お前は秀吉さまの周りを警護してくれ。」
 言うや早い、二人とも走り出していた。


 幸村は廊下を走り、左近の許へと急いでいた。擦れ違う小姓に左近の居場所を訊ねれば、三成と共にまだ仕事をしていると言う。幸か不幸か。三成にも伝えねばならないだろう。幸村は更に足を急がせた。

 曲がり角を過ぎれば、すぐに二人が仕事をしているという部屋である。息は上がっていたが、幸村は速度を緩めず更に先を急いだ。ありがたいことに、曲がり角を曲ればすぐに二人の姿を捉えることができた。障子を開け放ち、休憩をしているようであった。それとも、これから各々の部屋へと帰るのか、縁側で談笑をしている。幸村はとりあえず目的の人物が見つかったことに安堵の息を吐いた、まさにその時であった。
 闇夜である。黒い装束を纏っていては、それこそ闇と同化していると同じである。だが、忍びを従える幸村は、忍びの気配を身体が知っていた。誰か居る、と確信したと同時に、その影は動いた。闇夜にきらりと光ったそれは、抜き身の刃物であると知れた。
「三成どの!左近どの!!」
 あとは無我夢中である。忍びよりも早く、二人との距離を詰め、するりと庭先に躍り出た。突然のことに二人は驚いていたが、それよりも更に二人を驚かせたのは、影の男であった。風魔の忍びである。その男が勢いを失わず、三成へと向かって音もなく走る。その手には刀が握られている。
 ああ、三成どの!そう叫んでいたかもしれぬ、それとも強く念じただけかもしれぬ。幸村は構わず三成と男の間に己の身体を滑り込ませた。


 その頃、海野六郎もまた、自慢の健脚を頼りに走っていた。秀吉の寝室は、大坂城の一番奥に位置している。だが、その警備は忍びの技の前には無意味である。闇夜に溶けた忍びは、一人で何人もの働きをしてのける。それこそが戦忍びの真髄である。
 六郎はここ数日、誰かに見張られているような気配を感じていた。気のせいとしてしまえる程些細なものだったが、それゆえに六郎はどこか心に引っ掛かるものを感じていた。もしくは、この大坂城には六郎も知らぬ何か重大な秘密が隠されているやも知れぬ。
 六郎は駆ける。人の通らぬ道を通り、人の居らぬ道を抜ける。油断はあったかもしれぬ。誰も己には気付かぬはずだと慢心していたかもしれぬ。だが、それでも六郎は一流の忍びである。だからこそ、六郎は声を掛けられるまで気付かなかった背後の気配に、呼吸を忘れてしまった。
 その声は六郎も知っていた。知っていたが顔見知りというわけでも、親しいわけでもなかった。その人物と六郎とは身分がかけ離れていたし、この闇の中でなければ、言葉を交わすことすら無礼になるだろう。けれどその人物は、そんな些細な縁が嬉しいのか、くすくすと笑っていた。闇の中に似合わぬほがらかな声であった。
 その声は言う。秀吉を暗殺に来た忍びは己が討ち取ったと。
 その声は言う。その忍びは実はたった二人で行動していて、風魔の頭領、風魔小太郎とは全くの無関係であること。
 その声は更に言う。誤算だった、一人は確かに討ち取ったが、もう一人は三成を標的にしていて手が回らなかったと。
 六郎はそれを聞き、血の気が引いていく思いをした。今、己の主はどこに居る。左近へと事情を報告に行ったが、よもや左近は三成と共に行動しているのではないか。
 そう考えが至るのに、然程時間はかからぬ。すぐさま身体を反転させ、来た道を再び走る。
 その声はもう一度だけ口を開いた。今宵自分たちが出会ったことは、誰にも言うてはならぬ、と。もし六郎が事を露見させた場合、自分たちの計画は台無しになってしまう、お前たちを殺さねばならなくなる。だから、今宵のことは秘密にしておかねばならぬ。そう言うのだ。
 六郎は闇の中振り返った。その人物は笑っていた。笑っていたが、その脅迫が嘘偽りではないことを、六郎は十分に感じ取っていた。計画とはなんぞや。考えることすら、その人物は許さなかった。六郎は軽く会釈をし、再び足を走らせたのだった。額には薄っすらと汗をかいていた。冷や汗であった。




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