あまり声を大にしては言えぬことだが、三成ほどではないにしろ、清正もあまり初対面の人間に馴れ馴れしくできる性質ではなかった。更に言えば、警戒心も高く、よろしくと言われたからと言って気軽に同じ言葉を返すことが、例え社交辞令であったとしても出来ぬ性質でもあった。こういったことが得意なのは、今日に限って仲間外れにされてしまった福島正則なのだ。あの強面は、あの面にも関わらず人懐っこいところがあり、他人との距離感が近い。もしここに正則が居たのなら、立ち上がりかけた体勢から勢いよく立ち上がって、幸村の前に立つや、よろしく!と全く相手を気遣わない大音声で手を差し出しただろう。居ないものだから、どうにもならないのだけれど。正則が同行しない仕事に当初は喜んでいたはずなのだが、今ばかりは彼の不在がうらめしい。空気を壊すことは得意でも、和やかな空気を作ることには不得手な清正なのだ。三成に期待しないのは、彼が清正以上に他人との交流がド下手くそだからだ。にも関わらず、外交には三成を同行させることも多い秀吉に疑問を抱いていないわけではない。

「幸村、ちょっと所用が出来たから、二人と一緒に出掛けてくるよ」

 現実逃避に走りかけていた清正の思考を戻したのは、そうした半兵衛の言葉だった。ああそうだ、自分は彼を引き摺ってでも主の前に引き合わせなければならないのだ。清正同様、三成も任務を思い出したようで、中腰の体勢からようやく二人は立ち上がった。
 声をかけられた幸村はというと、はぁと気のない返事と共に僅か顔を傾けた。城に居た時からそうだが、調子が良かろうが悪かろうが、滅多に散歩に出かけない半兵衛だ。珍しいこともある、と思ったのかもしれない。

「ですが、あと半刻もすれば雨が降ります。通り雨だと思いますが、丁度下山される最中でしょう。お身体に障ります」

 幸村の顔は正面の半兵衛に向けられているが、その表情までは分からない。目は口ほどに物を言うとは中々に真理だったようで、幸村自身は穏やかな口調であるにも関わらず、目が見えぬだけで何を考えているのか分からなくさせている。

「それは困ったなぁ。春先と言っても、雨に濡れるのは嫌だなあ、病弱な俺はこごえてしまうよ。三成、清正、出立は雨が過ぎてからにしようか」
「雨が降るなど信じられません。そうやってはぐらかされて、しまいには出掛けるのは嫌だと言うのではありませんか」
「でも幸村の予想はよく当たるんだよ。通り雨らしいし、少しぐらい待ってよ」

 三成は忌々しそうに舌打ちをした。予定が狂うのを何よりも嫌う奴だ。三成の気持ちも分からなくはない清正だが、ここでこちらの我を通して半兵衛にヘソを曲げられても困る。三成が不機嫌にしていようが清正には関係のないことだが、不機嫌な軍師を秀吉の前に明け渡すのは憚られた。

「おいあんた、幸村、つったか。それは本当なんだろうな」

 決して丁寧とは言えぬ呼びかけだったが、幸村は驚いた様子もなく、声の方向を頼りに清正に顔を向けた。清正とは違い、ちゃんと切り揃えられた黒々とした髪だとか、すっと伸びた鼻筋だとか、お上品な言葉しか知らないような清廉な口許だとか。そういったものが包帯のせいで霞んで見えた。こいつはどんな顔をしているんだろう。ふいに過ぎった疑問は、けれどもここでは場違いに思えて、余計に乱暴な言葉遣いになってしまった。それでも幸村は怯んだ様子もなく、淡々としている。見本のような所作のせいで軟弱な印象が強かったが、案外に図太い人間なのかもしれない。ぴんと伸びた背筋が見ていても気持ちが良い。

「雨のにおいがします。ここでの生活も長いですから、間違いはないと思います」

 ふん、とつまらなさそうに三成が鼻を鳴らす。そういうところをいい加減こいつは直した方がいい、と清正は思うのだが、自分も大差ないことを知っているから、それを口にしたことはない。殊勝な石田三成というものも、それはそれで薄気味が悪いし。

「なら、時間が来るまで待つしかないな」
「清正、お前信じるのか」
「仕方ないだろう。旅支度もある、すぐに出立は無理そうだ」

 流石に寝巻き姿で馬にまたがれ、というのも無理な話だろう。ちらりと視線を半兵衛に向ければ、清正は話が早くて助かるよ、とでも言いたげな軍師がにんまりと笑みを浮かべていた。ああ胡散臭い。

「そういうわけで半兵衛様。しばらく時間ができましたが、何か手伝えることはありませんか」

 清正の言に、三成はあからさまに顔を顰めた。そんな面倒事に付き合えんぞ、と全身が訴えている。清正にしてみれば、時間潰しついでに明らかに人手がなさそうなこの屋敷の足しになれば、と思ったのだが、三成はとことん慈善事業が嫌いなようだ。

「う〜ん、何かあったかなあ。ここのみんなはよく働くからねぇ。幸村、何かあるかい?」
「薪が足りないとあれがぼやいてはいましたが、」
「じゃあ決定。薪割りね、薪割り。男手が足りなくてね、薪を量産しといてもらえると助かるかな。あれは結構な重労働だし、女の子には酷な仕事だもの」
「半兵衛様、客人に何もそのようなことを頼まずとも」
「どうせ暇だろうし、清正も元気有り余ってるだろうし。幸村はいつまで経っても、人を使うことだけは身につかないなあ」
「俺は断るぞ」

 二人の会話に割って入ったのは三成だ。最近は政務に関わっているせいで、更に体力が落ちたようだ。元々三成は不器用な性質で、あまり薪割りだとか細々とした雑仕事が得意ではない。正直な話、字も綺麗とは言えない。

「なら書庫にこもってればいい。ここの暮らしは楽だけど暇でね、結構な蔵書になってるよ。幸村、二人の案内をよろしく」
 あ、はい。と、幸村は立ち上がった。目が全く見えないはずなのに、襖までの間隔や方向に対する足取りに迷いがない。視覚を失って久しいのか、その所作は慣れたものだ。三成がこの立場だったらこうはいかないだろうな、と渋々立ち上がった三成をちらりと眺めながら思う。丁度その時、三成と目が合って無意味に睨み合ってしまった。自分も中々の無愛想だとは思うが、これは自分の上を行く凶悪面だと清正は思う。もちろん、相手がそう思っていることまでは考えにのぼっていなかった。


「それにしても、器用なもんだな」
 前を歩くは幸村だ。その後ろに清正、三成と続いている。こうして並んでみると、清正とそう変わりのない長身で、だからこそ、目が見えないことが勿体ないように思えた。鍛えれば、さぞ立派な若武者になったろうに。きびきびとした所作を極々自然にこなしているからこそ、余計にだ。幸村は足の進みはそのままに、少し身体を捻って振り返った。頭を少しかしげて、そうでしょうか?とでも言いたげな様子だ。
「本当に見えていないのか、分からない程だ」
「ああ。もう慣れました。案外どうにかなるものですよ」
「その目は戦で?」
「はい。丁度目の辺りを一閃されて、この有様です。もう痛みはないのですが、傷跡が醜く残ってしまって、それを隠す為の包帯です。見苦しくて申し訳ありません」
「いや。気丈なもんだと感心してる」
 清正の言に、幸村は、はぁ、と先も聞いた気のない呼気を零した。失明をして、それをこうも明るく語ることの出来る者もそうはいないだろう。それを含めて、清正は幸村のことを褒めたつもりだったのだが、幸村は気付いていないようだった。変な奴、と清正は心の中でこぼしたが、悪い気はしなかった。所作が一々整っているから、しっかりと武家の教育を受けた者だというのは分かるのだが、彼の纏う空気は穏やかだった。出自がどうしても劣る清正を見下していた者たちのような、鼻持ちならない態度も感じられない。

「真田と言ったが、お前は武田の人間ではないのか」

 空気を裂くように、尖った声を出したのは三成だ。清正が一瞬、息を詰める。武田と言えばつい数年前まで戦をしていた相手方で、当主を討ち取り、事実上断絶された家だ。彼が先程言った戦での負傷とは、長く続いた対武田との戦での最中だったのだろうか。だがしかし、清正の記憶に真田という名はない。それもそのはずで、上杉・北条などの辺りでは真田はそこそこの有名人だが、全国的に見ればまだまだ無名に近い。三成が知っているのも、武田旧臣の名簿を秀吉に見せられて記憶しているからであって、それ以上のことは知らない。精々三成も、信州沼田辺りを拠点としている小大名、ということを知っている程度で、略歴などの情報は皆無に等しい。
 だが、それにしても、三成の指摘する武田と直結する真田であったのならば、それだけで不審である。武田家は、秀吉の主家である織田と徳川の連合軍が打ち滅ぼしたばかりだ。そのような家の者が半兵衛の側にあるのは、不穏の種のように思えた。半兵衛は知らないのか。いや、三成たちとは違い、設楽原の戦にも出陣していた彼のことだ。彼や秀吉が幸村の出自を知らないという可能性は限りなく低い。

「はい。真田家はわたしの祖父の代から武田に仕えておりました。わたしも設楽原の戦に武田の兵として参加しました」
「ならば何故、ここに居る。復讐か、逆恨みか」
「まさか。そのようなことをしても、既に主家はありませぬゆえ」

 まるで呼吸するかのように、幸村はその言葉を吐いた。幸村の声は変わらず穏やかで、語った言葉との落差が激しかった。その声には欠片の動揺もない。あの三成も思わず口を閉ざした。幸村の纏う空気とは裏腹に、場には暗い沈黙が流れた。けれども、場に似合わぬ穏やかな声が、その沈黙をすぐに打ち消した。立ち止まって扉を示している。
「ああここです。ええっと、」
「…三成だ、石田三成」
「では三成どの。中のものはどうぞお好きに見ていただいて結構です。ただ、分類わけはされていませんので、読みたいものが探しにくいかもしれません。わたしが読んだ順に積んでありますので」
「…読めるのか?」
「読むというよりは、辿ると言った方が正しいです。墨の跡を指でなぞって判断するので時間はかかりますが」
 幸村は言いながら戸を開けた。劣化を防ぐ為に光は差し込まぬ造りになっている。締め切っているせいで埃っぽく、一気に紙と墨のにおいが清正の顔にかかったが、三成は慣れているのか気にならないのか、躊躇うことなくその中に足を踏み入れた。では、時間になったら人を遣わせます、と幸村がその背中に話しかければ、三成は居心地が悪そうに、それでも見知らぬ者にしてみれば横柄に頷いた。三成相手に、怒りもしなければ怯えもしない人間というのも珍しいことだった。


「では、薪割り場に案内しますね。わたしが出来ればいいんですが、」
「やめておけ。俺でも反対するぞ」
「慣れてしまえば、大丈夫だと思うんですが」
 幸村は自分がいかに重大な障害を負っているのか全く自覚がないようで、唇を僅かに尖らせていた。面白いヤツだな、と、つい清正から笑みがこぼれる。何を笑われているのかやはり分からない幸村は、清正を振り返って首をかしげている。

「お前、変なヤツって言われないか」
「…秘密です」

 幸村はそう言って再び歩き出した。これは図星だったかな、と幸村の反応を勘繰りながら、その背に話しかける。無口ではないが、人との馴れ合いが得意ではない清正にとっては珍しいことだ。彼は、清正たちにとって、珍しい性質の男だった。

「兵として戦に加わってた、と言っていたが、得物は何だ?」
「色々と学びましたが、一番の得意は槍でした。これでも、少しだけ自慢だったんですよ」
「そうか。是非とも手合わせしてみたかったな」
「もう昔のことです。ここ数年、槍は手にしていません。わたしはもう、もののふとして生きることができませんから」

 やはり幸村は淡々と言う。まるでもののふとして生きられぬ自分に、何の価値があるのだろう、と自問しているような口振りだった。清正は口をつぐむ。これ以上、この話をするものではないと思ったからだ。

「そう言えば、雨が降ると言っていたが本当か?俺達が外にいた時分にはそういった気配は全くなかったんだが」
「おそらくは。雨のにおいが近かったのは本当ですし、この時期に通り雨は珍しいことではありません。でも一番の理由は、」

 幸村が足を止める。清正は幸村の肩越しに外をのぞいた。かろうじて屋根が作られている開けた場所には、既に大量の木材が山と積まれていた。確かに、これだけの量を薪割りするには女性には酷だろう。手元が見えない人間に刃物を持たせるのも危険だ。清正が、やりがいのある時間潰しだな、と皮肉を言えば、幸村は本当に申し訳なさそうに身を縮めながら、すいません、と呟いた。別に気を悪くしたつもりはなかったので、清正は苦笑しつつ彼の髪をくしゃりと一撫でした。全くの無意識の行動だった。清正が静かに動揺したように、幸村も驚いたのか顔を上げた。だが二人がそれ以上その行動に触れることはなかった。

「それで、一番の理由って?」
 誤魔化すように訊ねれば、ああ、と幸村も顔をそらせながら返答した。
「勘です」
 は?と清正が情けない声を上げると、今度は幸村がくすくすと笑い声を上げた。
「ですから、一番の理由、ですよ?ただ、あの場でそう言ってしまうのは少々憚られましたから。きっと三成どののようなお人は、納得なさらないでしょう?」
 だから少しだけ、嘘をつきました。
 あの石田三成を謀るとは、全く以って肝の据わったお坊ちゃんだ。清正は心の中で両手を挙げて、降参の姿勢をとるのだった。










  

改訂:11/04/29