清正たちが秀吉の部屋へと訪ねれば、既に他の面々は集まっており、幸村を待っていたようだった。幸村は恐縮しきりで、せかせかと場の末席に収まった。自分たちは居なくなった方がいいのだろうか、と秀吉の顔を窺っていたが、
「何やっとんじゃ。呆けとらんと、二人も早う座れ」
 とのお許しが出たことにより、清正たちも同席を認められた。もちろん三成は心底嫌そうに顔を歪めていたが、そこは清正の預かり知らぬところである。

 まず三成が進み出て、官兵衛に資料を渡す。巻物三巻の成果に清正たちは思わず顔を顰めた。大量の資料は、見るだけでも骨だろう。秀吉も表情には出さなかったが同様の心持ちだったようで、苦笑を噛み殺していた。官兵衛はその内の一つを広げて、簡単に中を検分する。この手の三成の几帳面な性格を知っているので、少しだけ中を確認してすぐに秀吉へとそれらを回した。
「どうじゃ?」
 秀吉の問いに官兵衛は深く頷くだけだ。官兵衛は物静かな男だが、決して言葉が少ないわけではない。仕事に不備があれば、それはそれは手ひどくねちねちと駄目出しをする。ただ、三成にはあまりその経験がなかった。三成の几帳面な性格は、重箱の隅を突こうにも突けない隙のなさなのだ。官兵衛の様子に満足したのか、秀吉も軽く中を確認しただけだった。秀吉が丁寧とは言えぬ手つきで巻物を元に戻そうとしているのを見兼ねた官兵衛が、横からそれを取り上げ元通りに閉じる。秀吉は、すまんなあ、と笑いながら官兵衛に謝罪して、主の言葉を今か今かと待っている三成に向き直った。
「今回も良い出来じゃ。次も頼むぞ。官兵衛、この資料は幸村に渡しておけ。後のことは幸村、お前に任せる。全部お前たちで決めたらええ。ただし、報告は欠かさずに。幸村から官兵衛への報告義務を申し付けるが、それ以外は自侭にやったらええ。いい結果を待ち望んどるぞ。解散じゃ、仕事に戻れ」
 真っ先に秀吉が腰を上げ、呆ける面々をよそにさっさと退室してしまった。それに続いて官兵衛が、幸村に巻物を渡してすぐにいなくなってしまった。残された四人は、互いの出方を窺ってか、誰一人口を開かなかった。その中で唯一、幸村だけが渡された資料を手の中で遊ばせていた。正確には、巻数と巻物の分厚さを確認していたのだけれど、誰もそこまでは分からなかった。

「三成どの」
 と、場の沈黙を破って幸村が口を開いた。一斉に視線を受けて、幸村は僅かに首を揺らす。
「一日、時間をください。読んだ上で作戦を練った方がいいでしょう」
 幸村は言って立ち上がる。胸には大事そうに三巻の巻物が抱えられていた。止める者はいない。というより、秀吉の言った言葉が未だにうまく咀嚼できず、幸村の言葉も聞き流していたに過ぎないのだ。だから、失礼します、と頭を垂れた幸村に、正則は彼の肩を叩くこともできなかったし、清正は清正で返事をすることが出来なかった。

「俺の耳が確かなら、お前らに全権委任するって仰ってなかったか」
 とりあえず、一番に清正が口火を切った。三成はむすりとした表情のまま、不愉快そうに頷いた。これはただ、清正の意見に同意するのが嫌なせいだ。清正もその辺りに一々突っかかったりはしないので、三成の表情は一環して不機嫌のままだった。
「正確には、幸村に、だけどな」
 正則が口を挟む。けれど三成は無言のままだった。
「お前には荷が重い」
 清正の言だ。そんなこと、清正に言われずとも知っている。左近に諭されてその気になっていたが、これはとても異例なことなのだ。戦の全権と言えば、軍の編成から兵数、兵糧や弾薬、その他もろもろの、戦に関わる全てを二人が決めて良いのだという。そろばんを弾くことは得意でも、兵数の試算の甘い三成だ。正直、どの程度の規模の軍を引き連れて行けばいいのか、資料を作成した張本人でありながら、想像できぬ話だった。
「でもよぅ、幸村は乗り気だったんじゃね?ってことは、幸村には自信があるってことか?」
 正則の言を受けて、三成は何故だか無性に苛々した。さも当然の顔でこの場に同席していた二人に対してだとか、知らぬ間にとても大きな仕事を任されてしまった自分にだとか、無責任に仕事を放っていった官兵衛にだとか。左近の知った風な態度を思い出しては苛々したし、幸村の全く驚かなかった様子にすら苛々した。要は自分のあずかり知らぬところで巻き込まれていることをようやく自覚しただけなのだが、それが分かったところでこの苛々は収まりそうになかった。
 三成がその内心を微塵も隠すことなく、苛々とした様子で立ち上がった。見上げる二人の目に舌打ちをして、さっさと踵を返す。
「おい三成、」
「うるさい。関係ない奴は黙っていろ。負けはせぬと言っただろうが」
 それが虚勢であることなど、清正には筒抜けだろうに。それ以上、三成を引き止める声はなかった。

「だからあいつは友人ができねぇんだよ」
 清正の独り言に、正則が返事をする。彼は本当に、余計なことしか言わない。
「一人だけいるだろ。上杉の直江ってやつ」

 直江兼続とは越後の上杉家の若き宰相である。上杉とは同盟関係にある。その話をまとめたのは三成で、三成の応対をしたのがその兼続だ。彼は唯一の三成の友人と言っても過言ではない。三成は私の友人だと公言している兼続にも、恥ずかしい奴だと諌める程度、特に否定の言葉がない辺り三成も満更ではないのだろう。
 上杉家は長く先代の上杉謙信が治めていたが、武田が設楽原で敗れた頃、謙信も急死した。名君の唐突の死に湧き上がる問題は様々だが、上杉家には突如として跡継ぎ問題が噴出した。二人の養子のどちらかが上杉家の当主となるのか。この問題は戦にまで発展し、多くの犠牲を伴って何とか収束した。上杉家の現当主・景勝がそうして誕生したのだが、お家を二分しての戦に上杉家も疲弊した。その際の混乱に乗じて羽柴は上杉と同盟を結ぶこととなったのだ。現在は景勝の施政も安定しており、最盛期とは行かぬまでも信頼に足る同盟者となっていることは確かだ。その景勝のお気に入りでもあり、上杉の軍師でもあり、戦ばかりでなく政までを一手に引き受けているのが、直江兼続である。清正も数回顔を見かけた程度なのだが、中々の美丈夫で、思わず舌打ちをしたくなってしまった。才能もあって、見目も良くて、聞くところによれば和歌や茶道にも精通しているという。清正は完璧な男、というのが苦手なのだ。何とか見つけ出したその男の唯一の欠点は、三成の友人、という肩書きなのではないかと清正辺りは思うのだけれど、本人はこれ以上の誇りはないとすら思っている節があった。そういう男であるから、清正が兼続のことを、性格に難あり、と評価するのもまた、当然のことなのかもしれない。










  

11/05/30