戦の日程や編成も発表され、三成と幸村はいよいよ多忙を極めた。残念ながら、その軍列に清正の名前はない。総勢八千の軍団の半数は石田隊、残り半分が竹中隊の人数となっている。ただ、竹中隊といってもそのほとんどは官兵衛預かりとなっており、実質は石田・黒田の混成となっている。大将は下知があった通り三成が務めるが、軍師として名指しされた幸村は、今回は出陣しないとのことだ。その知らせを聞いた時、清正などはほっと胸を撫で下ろした程である。大事な初戦ではあるものの、一万に満たない軍勢同士の戦に軍師までが出張るのは、あまりに臆病に過ぎる。というのは建前で、純粋に幸村の身を案じたからだ。

 さて、初の大将を任された三成だが、人の噂によれば三日と置かず幸村の部屋へ通っているらしい。幸村の手を引いては兵の鍛錬場に顔を出したり、城下に連れて行ったりしている姿が度々目撃されている。あの石田三成とは思えぬ話だが、二人がうまくやっていることを察するに容易い。おそらく、秀吉ですら予想していなかっただろう。あるいは、天才軍師様ならば、全てを見通していたかもしれないが。
 二人の仲が何故だか(と清正に思わせてしまう前科が三成にはたくさんあった)良好なのは良いことなのだが、釈然としないのもまた確かだ。多忙な幸村に遠慮してあまり部屋を訪ねないようにしていた清正だが、やはり少しでも顔を見たいと思い、その足を向けた。途中、官兵衛の小姓の姿を見た清正が声をかければ、官兵衛が幸村を呼んでいる、と言うではないか。それならば、その役目は俺が引き受けよう、という流れになるのは清正にとっては自然なことだった。用事がないよりはあった方が、色々と体裁が良い。何に対しての体裁なのか、清正自身よく分かってはいないけれども。

 清正が幸村の部屋に行けば、丁度三成が茶を点てて、それを幸村が飲んでいるところだった。三成の茶が飲めるのは秀吉とねねぐらいで、清正などは一度とてもてなされたことがない。彼にとって、茶というものが特別であることを知っている清正は、その光景にしばし言葉を失った。清正が何故呆然と二人の様子を見つめているのか、その理由が分かってしまった三成は、いつもの不機嫌そうな声で、
「何用だ」
 と、訊ねる。見てはならないものを見られてしまった、同時に、見たくないものを見てしまった負い目から、清正もまた不機嫌そうな声を発してしまった。
「お前じゃない。幸村、官兵衛様が呼んでらしたぞ。部屋に来てほしいそうだ」
 そうして、先日の教訓から、誘導が必要か訊ねたが、やはりと言おうか、幸村はやんわりとそれを断った。曰く、
「こういうものは慣れですから、大丈夫です。何度も行き来したことがありますし」
 とのことだった。
 官兵衛が呼んでいるとなれば、三成も引き止めることはできない。幸村が申し訳なさそうに席を外すのを無表情で眺めていたが、さて内心はどうなっていることやら。残された茶道具一式を片付けている姿は、清正を無視していることが丸分かりだったが、だからと言って清正も三成の調子に合わせてやるつもりは全くない。
「順調か?」
 いかにも短い言葉だったが、三成にはこれで通じたようだ。いや、あまり言葉を取り繕い過ぎると、途端内容が通じなくなることは、彼に限ってはよくあることだった。察しは良いのだが、人の感情の機微がどことなく疎い。三成は顔を顰めながら、
「誰に訊いている。抜かりがあるはずもない」
 と、いかにも不遜に言ってのけた。数日前、不安を隠そうと不機嫌にしていた男と同一人物とは思えぬ返しだった。そこで清正はようやく三成の顔を見たのだが、その顔色に違和感を覚えた。珍しく、顔色が良いのだ。いつもだったら戦前のこの時期、夜も眠らず仕事をしている方が多く、髪はぼさぼさで目の下には濃い隈が出来ているし、顔色も蒼白だし、何より機嫌が悪いせいで幽鬼とは言わずとも迫力が増していることが常なのだ。それが今の三成にはない。確かにその肌色は健康とは程遠いものではあったが、三成と腐れ縁を育んでいる清正が知る限り、どちらかと言えば調子が良い時の彼の姿ではなかったろうか。
「幸村に負担かけてるんじゃないだろうな」
 清正がその結論に至るのは、至極当然ではないだろうか。訝しむ清正につられて、三成も眉間の皺を深くする。とっくに茶道具は片付け終わっており、二人共幸村がいないこの部屋に居座る理由はどこにもないのだが、それを言い出すことが難しい空気になっていた。あやめは所用で出掛けているのか、顔を出すこともない。
 三成は顔を背けながら、
「あれはよく気が付く。手際が良いし、無駄がない。尻拭いの必要が全くないから、楽だ」
 三成は偏屈な完璧主義者だ。だから、誰かと手分けをして仕事を引き受けても、結局は自分で全てやらなければ納得できない性質なのだ。そのせいで、本人も知らない内に、他人の仕事にまで手を出している。要領の良い者は、面倒な仕事は全て三成に押し付けてしまう。そちらの方が楽だし、三成と無駄な諍いをしなくて済む。それで仕事の出来が落ちてしまうのなら問題だが、三成は間違ってもそんなヘマはしない。
「誰かと協力する作業が、これほど楽とは思わなかった」
 珍しく素直に言葉を語った三成に、清正は思わず僅かに顔を顰めてしまった。おそらくは、三成ですら気付かなかった些細な変化だろう。あの三成に、こんなことを言わせることの出来る幸村をすごいと言うべきか、こんな簡単なことに今まで気付かせることのできなかった自分の落ち度を恥じるべきか。付き合いが長い分、互いの性格というものは嫌と言う程知っている。清正は既に三成のこの厄介な性質を諦めていて、三成の好きなように仕事を押し付けていることもままあった。それが最も丸く収まる方法だと信じていたからだ。

 しばし流れた沈黙に、三成も己が何を言ってしまったのか気付いたようで、わざと不機嫌さを装って、そういえば、と下手な誤魔化し方で話をそらした。清正も、その強引な誤魔化しに流された振りをして、僅かに視線を下げた。ねねからは、相手の目を見て話を聞く!と耳がタコになる程聞かされているが、三成相手ではそれも困難だ。互いが互い、相手の感情に引き摺られるからだ。顔を険しくされれば、こちらも表情を顰めるし、不意を突かれたようなぽかんとした顔をされたら、どう出ていいのか分からずこちらも困惑する。良くも悪くも、似た者同士なのだ。三成はおそらく、それを否定するだろうけれど、清正はちゃんと分かってはいるのだ。だから仲良く出来るかと言えば、それはまた別の問題だけれど。

「幸村は不思議な男だ。共に過ごす時間が増えたが、未だに実態が掴めん。物静かな男だと思えば、俺も驚かせるような不遜を言う。俺が言うものなんだが、あの男が軍師格なのだということを、時々忘れてしまう。それでいて、あの男の戦眼は正しい。迷いがない、躊躇いがない、まるで戦そのものが手中にあるかのように振舞う」
 よく分からん男だ。
 三成はそう言って、懐から取り出した扇子を手の内で転がしている。手持ち無沙汰なのだろう。顔を合わせれば喧嘩ばかりだと思われがちだが、こうして語り合うことは決して珍しくはない。ただ、互いに居心地の悪さを感じることは確かだ。心が据わりきらぬのだ。だから清正は視線をしっかりと上げることができないし、三成も気を紛らわせる為に無意味に扇子で遊んでいる。
「槍の名手って言われてたみてぇだし、本人に多少の自負もあった奴だ。本当は自分が前線に立って指揮したいだろうな」
「修羅か阿修羅のようだったと、」
 三成はそこで言葉を切った。清正と目が合ったせいだ。三成は慌てて視線を扇子に落とし、清正は清正でまた顔を伏せた。なんだって、こんなに気まずいのだろうか。負い目があるわけではない。ただこの空気が、自分たちに相応しくないことを知っているのだ。怒鳴り合うでもなく、罵倒し合うでもない、淡々と会話が進むこの空気は、どうにも自分たちらしくはないのだ。
「左近は武田の、目が見えていた頃の幸村を知っていた。修羅か阿修羅のようだったと、敵ばかりでなく味方からも、鬼の化身だ鬼そのものだと恐れられていたそうだ。だが俺には、とんと見当がつかん。だが、左近が嘘を使う必要があるとも思えん」
 三成はそう言って、ぱちんと殊更大きな音を立てて扇子を閉じた。思わず清正が顔を上げる。三成は清正の方に顔を向けてはいたが、焦点を僅かにぼかしていた。
「お前は、幸村をどう見る?」
 これは、至極珍しいことだ。三成が他人に意見を求めることは極々稀なことであったし、それが清正相手となればその数も更に激減する。それは三成も自覚があることらしく、彼らしくはない様子で落ち着かなさそうに視線をさ迷わせている。彼の空気に引き摺られるとは、こういう意味だ。清正も清正で彼を正面から見ることが出来ず、視線があっちへ行ったりこっちへ行ったりと定まらないままだ。
「…よく分からん、というのは俺も同じだ。ただ、あいつは本当に目が見えていないんだろうか、と思うことがないわけではない。俺はあいつの包帯の下を見たことがねぇし、何ていうか、あいつは器用だろう。まぁ、嘘をついたところで得することもない。これは俺が勝手に思ってるだけなんだろうがな」
 苦笑しようとして、清正は失敗した。相手が三成だからだろうか。年々に表情が頑なになっていくような自覚はあったが、だからと言ってどう治せばいいのかも分からなかった。仲が良いと言われれば全力で否定するが、だからと言って仲が悪いと他人に思われるのも嫌だった。嫌というよりは、違和感だろうか。自分たちは、好きだの嫌いだのといった感情の外にいるのだ。家族とはそういったものではないだろうか。
「お前は、あいつの顔を見たことがあるのか?」
 噂によれば、随分と親しくしているらしい。共に過ごす時間も増えれば、そういった機会ももしかしたらあったのかもしれない。けれども三成は首を振って、それを否定した。
「幸村は、そこだけ徹底している。俺がどんな刻限に訪ねようと文句一つ言わんが、包帯を替えるのはあの女の仕事だと言って、触れさせてももらえなかった」
 清正は静かに、そうか、と短く相槌を打ったが、内心はそう落ち着いてはいなかった。何事にも寛容な幸村が三成を拒んだこともそうだが、他人相手にそう踏み込んだ行動を既に取っていた三成に対しての方が大きい。幸村に対する三成の反応の悉くが、清正の知らぬ三成に思えて、やはり居心地の悪さを感じた。もしくは、こちらの三成の方が自然体なのかもしれない。それはそれで、なにやら嫌なのだ。

 訪れた沈黙に、そろそろ潮時か、と三成が先に腰を上げた。清正は視線を僅かに向けて、三成の行動を眺めている。引き止めはしなかった。今更何を話せばよいのか。そもそも、自分は幸村の何を知っているというのだろうか。
「清正、」
 三成は背を向けたままだ。もう視線のぶつかりようのない体勢に、ようやく清正もその背を睨みつけることができた。
「次の戦は必ず勝つ。結局お前は、それが心配だったんだろう」
「どうだろうな」
「そうなのだよ。お前は誰に対しても世話焼きだが、一人に頓着することはなかったはずだ。珍しいこともあるものだな」
 それが一体誰なのか、訊ねずとも分かっている。だから自分たちは、似た者同士なのかもしれない。清正はそう思ったが、言った途端にこの珍しくも尊い穏やかな空気を壊してしまうような気がして、むすりと口を引き結んだのだった。










  

11/07/17