石田隊四千、竹中隊四千、計八千の兵は平原に陣を布いた。石田勢は兵をそれぞれ千ずつ四つに分け、三隊を前衛に据え、残った一隊を本隊とした。竹中勢いは兵を三つに分け、本隊の両脇と後衛を固めている。敵方に着陣の知らせが届いているだろう程度の時間は経過していた。間もなく、五千の徳川勢が姿を見せることだろう。この戦で石田三成が攻める敵方の城主は、典型的な三河武士として名高い男だ。この平原を抜け、羽柴軍は一気に徳川領へと雪崩れ込む。その先鋒隊が着陣した、という忍びにばら撒かせた噂を聞けば、すぐに陣容を整えて三成の侵攻を阻もうとするだろう。城攻めをするつもりのない三成は、敵方が城にこもるようなら挑発行動さえ考えていたが、それは徒労に終わった。やはり三河武士、勝手に自領に食い込まれたまま、大人しく城にこもるには、彼らの矜持が邪魔をした。
数日の睨み合い、鉄砲の応酬を経て、石田の一隊が突出する形で戦端は開かれた。相手は鶴翼の
陣を取り、突出した一隊を包み込むように進軍した。槍合わせはすぐに始まったが、中央を食い破ること敵わず、兵数で劣るその一隊がすぐさま壊滅状態に陥った。そうなれば、横に並ぶ二隊が援護に回るのは当然だが、敵は勢いをつけており手当てがどうしても後手後手になってしまった。ついには三隊とも散り散りの様相になってしまう。一隊の突出により本隊との距離も開いていたこともあって、三隊の混乱がすぐさま本隊に影響を及ぼすことはなかったが、正面を固めていた兵が霧散したことによって、本隊は丸裸となった。もちろん鉄砲で応戦するが、敵の大将を討ち取らんとする勢いやすさまじく、やすやすと距離を突破されてしまった。勝負は決まったと、敵の大将がほくそ笑んだまさにその時だ。
四方から鯨波が押し寄せてきた。敵大将が状況を確認しようと忍びを飛ばした時は既に遅し、散り散りとなったはずの三隊が敵の三方をぐるりと取り囲んでおり、まさに袋のねずみだ。これは石田方の戦略であり、負けたように見せかけて敵の脇を抜け、反転及び編成を整えて、側面・背面から押し包むように攻撃を繰り出す。もちろん、正面の本隊・竹中隊も黙ってはいない。どれか一方であったのなら支えられただろうが、四方を敵に囲まれた状態ではどのように防戦しても綻びが生じる。敵兵はじりじりと囲まれている輪を狭められ、間もなく敵大将は捕縛されることとなった。
三成は城を明け渡すことを条件に敵大将を放逐。味方軍の犠牲は五百弱、比べて相手方は、抵抗も激しかったこともあり、二千もの死傷者を出した。城は竹中半兵衛の子息・重門の一時預かりとなった。城は平城であり、場所も交通の要所というわけでもない。徳川勢が意気込んで取り返しに来る可能性は低かった。あくまでこの初戦は宣戦布告の要素が強いものだった。こうして三成は見事初戦を勝利で飾り、華々しく凱旋を果たしたのだった。
「戦自体は一刻ほど、動きさえすれば、すぐに決着はつきます。出陣をして凱旋を終えるまで、一月といったところでしょうか」
幸村はそう言って、言葉を締めくくった。幸村はまるで見てきたかのように語った。三河武士は強いですから、押し包んで攻めたとしても、四半刻は粘るでしょうね、と、さも当然のことのように言うが、三成は簡単に相槌を打つこともできない。幸村のように、戦運びが読めるわけではないのだ。
「それは、本当に想像か?」
「ええ、ただの想像です。こうなるだろうなあ、と思っただけの、わたしの勝手な予想です」
幸村はさらりとそう言ってのけ、少しは落ち着かれましたか?と、やはりいつもの穏やかな調子のまま訊ねる。そう言われてみれば、下っ腹の痛みはどこかへ吹っ飛んでしまったようだ。幸村が突拍子もないことを語ったせいだろう。そううまくいくものか、と思ってはいるものの、あるいはもしかしたら、と三成にしては楽観の想いが沸き上がった。何となく眠れそうな予感がして、三成は夜分の来訪を詫びてその場を退出したのだった。