清正の了承も出、結局清正の屋敷に寝泊りすることになった四人。しかし、まだまだ小身だ、部屋数も人数分があるわけではなし、三つに分かれることになった。部屋割りで一悶着あったが、どこから取り出したものか、兼続がくじ引きを提案したこともあって決着した。清正と正則、三成と兼続、幸村は一人部屋という割り当てになった。無難な結果とも言えよう。
簡単に湯を貰った三成と兼続は、すぐさま敷かれている布団に寝転がった。上杉からの使者が兼続だとは分かっていた三成だが、もてなしの為に色々と身体に無理を言っていたのだ。その疲労が一気に身体に圧し掛かってきたようだった。
清正宅に泊まることに最後まで反対していたのは実は三成で、布団に潜り込みながら、今もなお、
「何故こんなことに…」
と、ぶつくさ文句を言っている。兼続はそれを眺めるだけで、宥めることも同意もしなかった。身体は疲れているが、先の言い合いの興奮が続いているのか、頭は冴えていた。三成は兼続に背を向けたまま、ぼそりと呟いた。その声音が不機嫌さを装ったものだとは、兼続も気付いていて、少しだけ彼に隠れて笑った。
「幸村と、随分と親しいのだな」
「先程話したとおりだ。直接槍を交えたことはないが、敵としてぶつかったこともあれば、共に戦場を駆けたこともある。私とあの子は義の同志だよ。なに、三成、お前もまた、義の同志だ」
「…俺はそういった言葉遊びは好かん。言葉になった途端、言葉の重みに翻弄され、本質を見誤る。兼続、俺にとってお前は言霊使いのようなものだ」
「これはしたり」
座っている体勢であったのなら、膝の一つでも打っていただろう。兼続は布団の中で、くつくつと楽しげに笑っている。
「言葉には力があり、約定には縛りがあり、破れば当然、それ相応の罰がある。約束なんてものは、私に言わせえればあれと同じだ」
「あれ、とは?」
「呪いだよ、のろい。あの子もなんとまあ、厄介な呪いにかかってしまったものか」
「おい兼続、どういう意味だ!」
「三成」
兼続が唐突に、真剣な声で三成の名を呼んだ。兼続の言葉に浮かされた頭も、自然と冷えた。夜分に相応しくない声量だったが、兼続はそういう意図で呼び止めたようではなかったようだ。
「お前は本当に、幸村のことを大事に思っているのだな。うむ、思ったとおりだ」
「…兼続、茶化すな」
「私は嬉しいのだよ。私が見込んだ二人の男が、互いを大事に思っていることが。私の目に狂いはなかった。私は何度も、お前たちが友人同士であったのなら、どれだけ良いだろうと思っていたからな、それが叶って、私は嬉しいのだ」
兼続が寝返りを打つ。三成は相変わらず兼続に背中を向けている。この手の話が苦手な三成は、極力自分の感情を相手に見られぬように取り繕っているようだった。愛想が良いとは決して言えぬ男だが、擦れたところがないのが兼続は特に気に入っていた。
兼続は目を細めて、少しだけ顔を伏せる。声の調子に、僅かに影が落ちた。
「けれど、何故だろう。あの子と再会して、ほっとしている部分もあるのだが、どこか釈然としないのもまた確かだ。あの子はね、本当に何も変わっていなかったのだから。もののふの鑑のような男だった。あの子の高潔な魂は、もののふとして磨きぬかれた魂は、既に完成していたから。あの子が、"それ"以外のなにかに甘んじていることが、私を落ち着かなくさせる、不安にさせる。あの頃と同じように笑っていることは、とても喜ばしいことだ。私は、あの子がいつ死んでしまうのか、とてもとても心配だったからね。まるで戦の神に召し上げられるかのように、戦場で華々しく、これぞ真田幸村、これぞ真のもののふの死ぬ様だと、皆から愛されたまま討ち死にしてしまうのではないか、と」
兼続は、そこで一旦言葉を切った。三成からの返答はなかった。相変わらず、こちらに背を向けたまま、微動だにしない。あるいは、それが答えか。
「最早杞憂だな。それはきっと、とても喜ばしいことだ。だが、故に思うのだ。あの子から"それ"を取り上げてしまって、あの子は一体何になるのだろう、と」
「……」
「そう言えば、時に三成。お前はあの子の傷口を見たことがあるか?」
「…いや、ないが。側に仕えている女にしか任せられぬと言っていた」
「そうか…」
兼続の語尾が、ゆっくりと萎んで行く。何か続きを発しなければ、と思った三成は、苦し紛れに彼の名前を呼んでみたが、その先に続く言葉はなかった。きっと自分は、彼に訊きたいことが山ほどあるに違いない。それなのに、どれもがあまりに漠然としていて、言葉にならなかった。
兼続は、三成の呼びかけに、
「うん?」
と、耳を傾けてくれたものの、その先の台詞が見つからなかったことを察したのか、停滞しているどこか重苦しい空気を払うように、彼らしく快活に笑った。
「さあ、もう寝よう。寝物語はこれで仕舞いだ。お前も疲れているだろう。私も少々、疲れているようだ」
暗に、それ故の失言だと滲ませて、兼続は口を閉ざした。二度三度、三成は控えめに彼の名を呼んだが、兼続は眠った振りを押し通して、一度とて返事をしてはくれなかった。三成も諦めて目を閉じる。兼続との語らいは為になることもあれば、彼の言霊に翻弄されて、余計に混乱することも間々あった。
(人は生まれながらにして人だ。何になるかではない、どんな生き方を選び、進むかだ。なあ、そうではないか、兼続。俺は間違っているのか)
その声に乗せられなかった独白は三成の中に消え、兼続に届くことはなかった。
***
三成同様、清正も今の状況は不満だった。但し、勝手に家に押しかけられた上に寝泊りをさせている家主なだけに、その不満は正しいはずだ。それなのに、正則はそんな清正の内心を知ってか知らずか、
「機嫌悪いな、清正」
と、いつもの調子のまま、こちらはいかにも楽しげに布団に入り込んだ。度胸があるのか、馬鹿なのか。といった問答は最早無意味だ。これは筋金入りの馬鹿だから、言っても理解しない。むしろ清正の不機嫌を何で何でと言うばかりだ。
「お前らが寄ってたかって人んちにやってくるからだろ」
ただ、この状況に流されるままなのも面白くはなくて、当然の指摘をしてやったのだが、正則は布団から顔を出しながら、きょとんとした顔で、
「なんだ、幸村と同じ部屋じゃなくって拗ねてんのかと思った」
と、的外れなことを言う。清正も咄嗟のことに、何を言われたのか理解できず、反論が遅れた。
「馬鹿、なんでそうなる」
「だって、幸村は三成のお気に入りだろ。んなら、当然、お前も幸村のこと好きじゃん。お前らってさぁ、妙なとこ似てるだろ?好き嫌いとか、趣味とか、そういうやつが」
この馬鹿は、馬鹿の癖して、良く二人のことを見ている。確かにそうなのだけれど、全くの図星なのだけれど、正則相手にそれを認めるのは、なんとなく悔しい。馬鹿を体現したような男に見透かされているのが気に食わなくて、清正は不機嫌さを装って、
「誰が、誰を好きだって?」
と、すごんでみたものの、正則も慣れたものだ、効果はなかった。
「清正が、幸村を。俺も幸村は好きだぜ。良い奴だし、肝据わってっし。ちょーっと喋り方は軟弱だけどよ。頭良い奴はなに考えてんのか分かんなくて苦手だけどよぅ、幸村の良く分かんねぇ加減は面白くて好きだ」
「…お前は、単純でいいな」
「俺からしたら、お前も結構単純じゃん。幸村のことが気がかりで、理由つけては様子見に行ってるし。世話焼きたくて仕方ねぇって言ってるみたいだぞ」
「…別に、そういうんじゃない」
一応清正も、幸村を構いすぎている自覚はあるのだ。三成が良い例で、自分で何でも出来てしまう人間の後について回って、お節介をするのは、清正の性質ではないはずなのだ。幸村は見た目はああだが、正則よりも余程色々なことをうまくこなしてしまうから、清正が構う必要はない。ないのだけれど、そうはいかぬのが面倒なところだ。
「あいつは、人に頼らんだろう。何でも一人でできますって顔して、本当にそうしちまう。見てて落ち着かねぇよ。別に、自分の障害を克服すんのは悪いことじゃない。それを理由に駄目になってく奴らは大勢いるし、大勢見てきた。だから、あいつは立派だと思う。でも、そうじゃないだろう。何の為に周りの奴らがいるんだ。そう思うと、悔しい、つぅか、物足りないっつぅか」
「頼りにされないのが寂しくて、それを誤魔化すために怒ってたってわけか」
「……」
清正は、不機嫌そうに口を引き結んだ。多分、大雑把に言ってしまえば、正則の言葉は正しいのだろう。けれども、どこかが違うような気もする。それを言葉にするのは中々に難しい。相手が正則ならば尚更だ。結局清正は、反論する言葉探しが面倒になって、それ以上の会話を止めた。
「…もういい、寝ろよ」
「一緒の布団で寝るか?それともくっ付ける?」
数人で布団も引かずに雑魚寝、という体験はよくあったが、こうして布団を並べて眠るのは、幼い頃振りだ。それが正則の機嫌の良い理由だったようだ。単純で羨ましい、とは少しだけ思った。
「お前は寝汚いから嫌だ。ほら、もっと離せよ。お前に蹴っ飛ばされるなんて御免だ」
しっしと犬猫を追い払うように手を振れば、正則も分かっていたようで、
「つまんねぇの!」
と、頬を膨らませた。だが、その不満も一瞬のことだったようで、すぐさま隣りから寝息が聞こえてきた。清正は彼が寝付いたのを確認して、ようやく目蓋を下ろした。
(寂しい、ってのは、案外当たってるのかもな。頼るんなら俺にしろよ、頼りにしたいことが出来たら、真っ先に俺んとこ来い。そう言ったとしても、あいつはそうしてはくれんだろうが。そういうのが当然な関係に、なりたいのかもしれない)
そうは思っていても、口に出せないのが清正であり、よしんば彼に伝えられたとしても、彼がその通りになるとは限らないのが、難しいところなのだ。