次の日、清正と正則が連れ立って廊下を歩いていると、丁度三成たちと鉢合わせした。夜更かしをしすぎるきらいのある三成と朝に顔を合わせるのは至極珍しいことだ。まだ寝足りないのか、目をこすっているが、隣りの兼続は起き掛けの人間とは思えない程はきはきしていた。どうやら、彼にたたき起こされたようだ。
「…なにしてんだよ」
「…お前に答える義務はない」
「…ここが誰の家なのか忘れたのか」
そうしていつもの言い合いになるかと思われたのだが、兼続が間に入ってきたことによって、それも中断となった。懐に入れた者にはとことん甘くなる三成は元より、兼続の調子に慣れていない清正が彼に歯向かえるはずもなく、空気の主導権は自然と兼続が握っていた。どこか有無を言わさぬ強引さが、彼の言葉にはあるのだが、それが全くの正論であることが余計に性質が悪いのだ。
「ところで、お二方も幸村を起こしに来たのではないか?」
とは、兼続の言だ。お二方"も"と言っているからには、彼らもそのつもりだったのだろう。昨日の晩、正則にお節介だの世話焼きだのと言われた身だ、それを素直に肯定するのがなんとなく憚られたが、そんな清正の内心など知らない正則が、清正の肩に顎を乗せながら、
「そう!あいつ、いっつも完璧っつぅか、隙がねぇだろ。寝起きのぼんやりした顔見てやろーって清正と話してたんだよなあ!」
正直、そんなことは話していない。幸村を起こしに行くがお前も着いてくるか、程度の短い会話をしただけだ。まったく、馬鹿の頭は恐ろしい。
示し合わせたわけではないのだが、自然と四人の足は幸村が泊まっている部屋に向かっていた。声をかけようと襖に手をかけた清正の遠慮を他所に、正則が
「起きてるか幸村!」
と、屋敷中に響き渡る大音声と共にすぱん!と襖を開けた。馬鹿、外れる、っつぅか壊れる、と注意するべきか、無礼にも程がある!と怒鳴ればよかったのか。逡巡している隙に、間を逃してしまった。
皆が身を乗り出すように部屋の中に目をやったが、渦中の幸村は既に支度を終えていた。部屋の真ん中で、考え事でもしていたのか、ぴんと背筋を伸ばして正座していたのだ。部屋の隅の方には、布団が綺麗に畳まれていた。その様子に、明らかに落胆したのは正則だ。つまんねぇーと声を漏らしている。
気配を感じ取ったのか、幸村の顔がこちらを向く。相変わらず、隙の一縷もない姿だが、彼が、
「おはようございます」
と、言った拍子に揺れた後ろ髪の一房だけが、彼の滑らかそうな髪の流れに逆らって跳ねっ返っていた。鏡を見ない限り、当人では気付かぬ場所だ。常に身だしなみがしっかりしている幸村だけに、なにやら新鮮だ。布団は整えることが出来ても、己の髪が跳ねていることに気付かないところが、幸村らしいと感じられた。
「幸村、後ろを向きなさい」
そう一歩を踏み出したのは兼続だ。幸村も兼続の言に従って、正座のままこちらに背を向ける。兼続は、ふふっと笑いながら、
「寝癖が付いてしまっているよ。お前は良い男振りなのだから、自分の容姿にも気を付けねば勿体ないぞ」
そう言って、丁寧な仕草で幸村の髪に手櫛を入れている。よく手入れされているようで、兼続の長く整った指の間を幸村の艶やかな髪がするすると流れて行く。幸村もようやく兼続の行動の意図を察したようだが、どこか気の乗らぬ調子で、
「はぁ、この通り顔が隠れておりますので、わたしには無縁の話かと」
と、少しばかりの反論をする。確かに、清正を初め、この部屋に居る面々の半分は彼の顔を知らない。けれども兼続は、そんな瑣末なことは関係ない、とでも言いたげに、むしろ呆れた調子を声に滲ませた。
「お前は姿勢が良いからね、お前の立ち居振る舞いははっとする程美しいよ。お前の顔が隠れていようがなかろうか、それは些細なことだ」
幸村の髪を梳いていた兼続が僅かに首をひねって、その視線で刹那、清正と三成を撫でて行った。幸村の出で立ちを美しいという兼続の気持ちは分かったが、それを理解しているのだと、兼続にすら見透かされたような気がして、清正は思わず視線をそらした。どうにも、扱いづらい男だ。軍師というのは往々にしてこういうものなのかもしれない。人の心を読み取る術でも心得ているのだろうか。
「…兼続どのには敵いませんね」
「うん?そうでもないぞ。私もお前も、ついでに言うなら三成も、皆美男子だということだ」
おそらく、幸村の言葉はそういう意味で使ったわけではないだろうに。兼続はあえて勘違いした振りをして、幸村の視線を促した。幸村も、思わず、といった様子で、その包帯で覆われた目を咄嗟に三成に向けている。その視線を受けた三成が肩を震わせて、大袈裟に動揺している。見えていないと分かってはいるが、それでも、何かしらの感情を見透かされそうな気配が幸村にはあるのだ。
「…残念です」
幸村が目に見えて肩を落とすが、兼続はその肩を少々強めに叩きながら、快活に笑う。
「なに、確かに三成の顔は整っているが、そのせいで機嫌が悪い時は中々に迫力があってな。子どもならば泣いて小便の一つでも漏らしているかもしれんな。だからそう、残念でもないと思うぞ」
その評価は確かに清正も同意できるが、まさか三成のことをそう爽やかに言い切る人物がいることに驚いて、便乗できなかった。悪意があるように聞こえないのが、彼のすごいところなのかもしれない。表面上の直江兼続という男を知っていたつもりだったが、彼がこういった人間だったとは、初めて知った清正だった。三成の親友どのは、中々に"良い"性格をしてらっしゃることだ。