くのいちに案内されて、幸村は陣の一つ一つを回って歩いた。隊長格ともなれば幸村の姿を伝え聞いていただろうが、ただの一兵卒はそうではなかったようで、忍び装束の女に手を引かれる盲目の軍師を物珍しそうに眺めていた。しまいには、他の陣から一目見ようと顔を出す者すら居た。目が見えぬからと気が大きくなっているようで、彼らに話し声を潜めるという配慮はなかった。中には、あからさまな幸村への誹謗中傷や、軍師への不安を言葉にする者もいた程だ。視力を失った反動か、幸村の聴力が常人より優れていることを知っているくのいちは、ちらりと幸村の様子を伺ったが、彼はやはりいつも通りだった。慣れている、とは思いたくはなかったが、元々からして針のむしろのような環境に置かれることが多かった幸村だ。この辺りの文句は可愛いものだと思っているのかもしれない。戦では兵を率いて戦っていた経験があるせいで、彼が兵一人一人へ向ける慈悲は深い。だからこそ、彼の命令を絶対とし、どんな無茶な作戦にも随行してくれたのだろうけれど。変わってないなあ、とくのいちはぼやいて、せめてもの威嚇になればとその中でも一等声を張り上げている男に、にんまりとした意地の悪い笑みを投げて付けてやった。何か後ろ暗いことを勘違いしたのか、見る見るうちに青白い顔に変わり、あれほど喚いていた不満をやめてしまった。くのいちが満足そうに笑えば、幸村が小声で、
「あまりいじめてやるな」
 と、控えめな叱咤が飛んできた。相変わらず敏感なことで、と思いながら、はいはーい、といい子の返事をすれば、幸村がため息をつく。まあ、幸村さまをお守りするのが、あたしの仕事なんで、と彼にしか届かない忍び独特の音でそう伝えれば、幸村はもう一度、深くため息をつくのだった。


 軍師が現場を見て回ることは、決して珍しいことではない。ただし、盲目の軍師の巡回は、彼らが予想していた以上に物珍しさを刺激してしまったようで、結構な騒ぎになってしまった。喧騒を聞きつけた三成が駆け付け、見世物ではない!さっさと持ち場へ戻れ!と、あの鋭い眼光と共に叱責したおかげで、場は一応の収拾を見せた。
「ご面倒をおかけしました。すいません」
 幸村はそう言って頭を垂れたが、三成は慌てて駆け寄り、それを押し留めた。
「いや、兵の教育不足ですまない。特に今回は若い者が目立つからな、落ち着きがないのだろう。厳しく言っておくから、お前もあまり気にするな」
「いえ、わたしの方こそ、軽率な行動でした。このような格好の者が軍師では不安にもなりましょう。彼らの動揺も当然ですよ」
 その後も、互いに、だが、しかし、と言い募っていたが、決着が付かないだろうことを見越した第三者が介入した。この場にも三成に付き従っていた、島左近である。
「とーの、その辺りにしときましょう。軍師様が困ってますよ。これからはお互い気を付けるってことで、この場は良しとしときましょうよ」
 左近、と三成が名を呼ぶ。幸村の身体が強張ったことに気付いたのは、きっとくのいちだけだったろう。それも、彼の肘を掴んでいなければ分からなかった程度の、本当に些細な動きだった。
「左近どの、ですか?」
「ああ、久しぶりだな、幸村。くのいちは、この間ぶりになるか」
 次の句に戸惑っている幸村の代わりに、この間ぶりっす〜と軽口を叩けば、左近は懐かしそうに笑い、軽い調子が気に入らなかったらしい三成の眉間には皺が寄った。
「ご無沙汰しております、左近どの。この間の戦では大変助かりました。左近どのがいなければ、あのような器用な用兵は不可能だったでしょう」
「買いかぶらんでくださいよ。ま、あんたに過大評価してもらうってのは、気分がいいがね」
 幸村の表情は、まったくいつもの通りだった。僅かに走った動揺も、今ではその名残すら感じ取ることはできない。これが本心なのか、彼が何とか繕ったものなのか、くのいちは分からない。それは左近にしてみてもそうで、どこか再会することに不安を覚えていたことを微塵も見せやしなかった。人の機微に敏い彼は、瞬時に察したのかもしれない。彼は本当にそのまま、何も変わっていないのだと。ただ目が見えなくなってしまっただけで、彼の性根も心も、その真っ直ぐな姿勢も、本当に、こちらが苦しくなるぐらい、何も変わっていないのだ、と。

「左近どのは、ようやくお仕えするお方を決められたようですね」
 ちらりと幸村が、三成の姿を見るように顔を向ける。三成は慌てて顔をそらした。その仕草に気付いているわけはないはずなのに、幸村は小さく笑った。こういうことを自然としてのけるせいで、本当は見えているのでは?と人に思わせてしまうのだ。
「良い主君を見つけられたものです」
 幸村の口振りは決して冗談の類ではなく、穏やかさの中に確信があったが、左近はあえて幸村の調子に合わせることはなく、おどけた調子で、
「そうでしょう、自慢の主ですよ。時々横暴ですけどね」
 と、笑ってみせた。己自身を褒められることに慣れていない三成は、既に顔を赤くしていて、照れ隠しに左近の身体に軽く肘鉄を食らわせて、この話は我慢ならん!と無理矢理に話の方向をそらした。やっぱり幸村さまの趣味ってよくわかんないにゃぁ、と小さくぼやいていたところで、剣呑な、それこそ人を睨み殺そうとでもしているかのような、三成の視線に捕まってしまった。
「その女はお前の忍びか?」
「あ、はい。幼い頃から一緒です。優秀な忍びでして、戦場でもなにかと世話になっています」
 そうか、と相槌を打った三成が、くのいちをまるで品定めでもするかのように、上から下までじろじろと眺める。いっそ睨み返してやろうかとも思ったくのいちだったが、幸村の手前、能天気な振りをして彼の視線を享受した。こういうことを無神経にしてしまうから人間関係の構築が下手なのだ、とくのいちに思われていることなど知らない三成は、満足したのか、うむ、と声を発して、くのいちからようやく視線を外した。
「この忍びは、あやめの縁者か?声の雰囲気が似ている」
 へぇ、とまず声を出したのは左近で、くのいちは思わず、げっ、と決して上品ではない音を発してしまった。その反応の意味が分からなかった三成は、なんだ?とまたしてもくのいちを睨み付ける。多分、これはただ見ているだけなのだろうけれど。顔は良いくせに、目つきが悪いのだ、この男は。
「縁者ではありません。戦場では、あやめの代わりにこの者がわたしの身の回りの世話をしてくれますので、あやめと"同じ"と言えばそうですが」
 あまり興味はなかったようで、幸村の返答で納得した三成は、そうか、と適当な相槌を打っただけだった。左近とくのいちが顔を見合わせて、意味深に笑みを浮かべていたことなど、気付きもしなかった。

 長い間話し込んでいたようで、今日の昼頃には挨拶に行くと伝えていた秀吉から催促の使者がやってきた。幸村はその場で三成達と別れ、歩を再開させる。彼らと会うまでは、どちらかと言えばむすりとしていた幸村が、随分と機嫌が良くなっている。
「なんか、呆気なく再会しちゃいましたね」
「左近どのは相変わらずのご様子で、なんだかほっとしたというか、拍子抜けしてしまったというか」
「いいじゃないですか。あっちも同じようなこと思ってるんじゃないですかぁ?」
 そうだろうか、と幸村は自問して、うんそうだといいな、とすぐに頷いた。本来彼は大雑把な性質なので、己の中で出す回答は素早いし、また、迷わない。決断力があると褒めるべきか、余計なことを考えるのが億劫な物臭、と言うべきか、微妙なところだ。
「あの石田三成って男、」
「面白いお方だろう」
 幸村が本当に嬉しそうに言えば、くのいちは不貞腐れたように唇を尖らせた。幸村は、お前も修業不足だということだ、とさも楽しそうに笑っている。決してくのいちを責めているわけではなく、石田三成という男を誇らしく思っている様子だった。
「似てます?似てないでしょ。だって似ないようにちゃんと"作って"ますから。それが、よりにもよってあの顔だけ男に指摘されるなんてー!」
 うーっ、と唸れば、幸村の笑みが深まった。顔だけ男、と思って侮っていたものだから、余計に納得がいかない。
「左近どのは承知していたようだったが」
「あー、一回だけ、鉢合わせしちゃって。旦那もすぐに見破っちゃってさぁ。ホント、あたし修業不足ッスかぁ?」
 幸村はくしゃりとくのいちの頭を撫でながら、
「お前は昔から、わたしの自慢の優秀な忍びだ。判断は自分でしなさい」
 飴の後に柔らかく諭されてしまっては、くのいちもそれ以上の文句を言うことは出来ないのだった。










  

12/07/16