福島隊を先頭に、加藤隊・上杉軍・石田隊と僅かに順番を変えて帰陣した。実際戦っていたのは加藤隊と上杉軍の一部だけだが、被害は決して少なくはなかった。しかし、不幸中の幸いか、清正自身には大きな怪我はなかった。私語厳禁の命令は既になく、賑やか好きの羽柴軍らしい、喧々とした帰路となった。ただし、上杉軍だけは先代からの規則があるらしく、誰一人として口を開かなかった。あの直江兼続とて例外ではなかった。
 馬を引かれている幸村の隣りに馬をつけ、清正はどうして突然徳川の兵が退き始めたのかを訊ねたが、幸村はただ笑みを浮かべるだけで教えてはくれなかった。その様子を見る限り、その理由を知っているようだったが、本陣に戻りましたら説明します、と言うばかりだった。


 皆が連れ立って本陣へと報告へ向かった頃には、既に日は傾き始めていた。早々とかがり火が焚かれ、清正達の帰還を盛り上げているかのようだった。
 まずは幸村が、
「真田幸村、ただいま戻りました」
 と、本陣前で一礼した。取り次ぎの小姓が先を促し、皆はようやく本陣の土を踏んだ。
「ご苦労じゃったの。戦は無事終わったわ。徳川殿との講和もなった」
 秀吉はいつもの人懐っこい笑みで皆を称えた。本陣内は更に煌々と火がたかれており、昼間のように明るかった。上座に当たる場所には秀吉が、寄り添うように忍び装束を纏ったねねの姿もある。離れた場所には相変わらず不健康そうな官兵衛の姿もあった。いつの間に講和を結んだのか、首を傾げる面々に、官兵衛が進み出る。地を這うような声は疲れているわけではなく、彼の場合は通常運転だ。
「卿のおかげで目的のものを早くに見つけることが出来た。礼を言おう」
 目的のものが何か分からず首を傾げる面々をよそに、幸村は、
「いいえ。お役に立てたのなら幸いです」
 と、進み出る。
「中入り部隊の方々には無理を言いました。特に、清正どのは、よく頑張ってくださいました」
 流石じゃない、清正っ、とねねから声が飛ぶ。三成は丸きり無視をして、正則はねねの声真似をしてからかっている。うるさい馬鹿ッ、気色の悪い声を出すなッ、と怒鳴ってはみたものの、正則が指摘するまでもなく、照れている清正が言うのでは迫力が欠けていた。
 どうにも締りのない子飼い達の様子を楽しげに眺めていた兼続が、一頻り場が和んだところで口を開いた。三成と親しいという理由で、勝手にそろばん勘定だけが得意の宰相だと見られがちだが、彼の戦眼も中々大したものだ。
「目的のもの、というのは、織田信雄殿のことですかな?」
 ほう、と秀吉が息を吐く。官兵衛の眼が鋭く光り、兼続を見据えている。けれども兼続は、いつもの飄々とした明るさで、
「それは重畳」
 と、頷いただけだった。この戦のそもそもは、織田家次男の信雄が原因だ。織田家を出奔し、徳川を頼っていた信雄を連れ戻すことが本来の目的であり、徳川と正面から対立したかったわけではない。それはあちらも同様だろう。ただ、徳川家康の律儀さのせいで、戦にまでこじれてしまったわけではあるのだけれど。一兵卒ならいざ知らず、この場に集まっている皆はその背景も知っていたのだが、対徳川というだけでいきり立っていたようだ。こちらとしては、織田信雄を確保すれば徳川と対立する理由はなく、また徳川としても信雄を奪われた以上、羽柴と事を構える必要はない。
 三成と清正は、じわじわと今回の戦の流れを理解し始めた。残念ながら、正則は一人取り残されているが。
「流石は、あの半兵衛が推すだけのことはある。織田信雄の警備が薄くなった頃合など、まるで半兵衛の軍略を見ているかのようだった」
 へぇ!とまず正則が声を上げた。あの根暗な軍師な他人を手放しで褒めているのを、初めて見たからだ。清正と三成も、正則ほど大袈裟ではないものの、驚いている様子を隠そうとはしていなかった。同じ軍の中に身を置いていながら、彼からの賛辞を受けたことは無いに等しい。けれども幸村は、別段喜んでいるわけでもなく、普段通りの調子で、
「偶然ですよ。半兵衛様のようには、中々いきません」
 と、むしろ苦笑していた程だった。官兵衛がこれほど褒める成果を上げたのだ、さぞかし秀吉は喜んでいるだろう、と清正はちらりと上座へと視線を映した。ねねはいつも通りのにこやかな笑顔を湛えているが、その横に並ぶ秀吉は、そうとは言い切れなかった。どこか、歯切れの悪い、居心地の悪そうな引き攣った笑顔だった。
「皆の頑張りで戦も終わったわ。明日から順次引き上げるが、今日はとりあえず無礼講じゃ。兼続、上杉の助力感謝しとるで。上杉軍の行軍は見事なもんじゃ、きれいに隊列が揃っとる。皆のいい手本となったわ。ますます部下に欲しゅうなった」
 ありがたきお言葉、と兼続が頭を下げる。うむ、と満足そうに頷いて、清正達へと視線を向けた。そこには清正のよく知る、あたたかくて優しくて、懐の深い、子どものような大きな笑顔を浮かべた秀吉がいた。
「三成、清正、正則。おみゃーさんらもよぅ頑張った!よぅ無事帰還してくれた!これからも、おみゃーさんらの活躍、期待しとるで!」
 秀吉は人を煽るのがうまい。底なしの期待を掛けられていることを嫌でも痛感して、三人は三様に礼を取った。この人が心から喜んでくれるから、清正達はただ前を向いて突き進むことを恐れないのだ。自分達の成長を誰よりも祝福してくれているのが、言葉にせずとも分かった。
 そして最後に、秀吉の眼がゆっくりと幸村に向けられた。じわり、と先程までの賑やかで暖かな空気に、何か違うものが染み出した。それともそれは、清正だけが気付いた錯覚なのか。常に相手に向き合っている幸村の顔が、僅かに俯いていた。
「わしを差し置いて、官兵衛が褒めてしもうたからな。わしの言葉より、官兵衛の方が貴重じゃろうが。よぅやってくれた、幸村」
 幸村は深々と頭を垂れて、滅相もありません、と呟いた。その言葉全てを繕っているような気がして、清正の胸の中にもやもやとしたものが広がる。一体、何を隠しているのだろうか。正体の分からぬ不安に、ただただ、何事も起きませぬように、と祈ることしか出来ない清正だった。










  

12/07/26