清正は軋むような身体の痛みに顔を顰めながら、ゆっくりと目を開いた。木々の間から漏れる陽の光りに思わず目を細めて、それからじわじわと先程に起こったことを思い出した。がばりと身を起こす。同じ格好で寝転がっていたせいか身体が強張っていたが、これといった怪我はないようだった。まず目に入ったのは、横に並べられていた幸村の姿だ。土石流に襲われたせいで、いつもは目に痛い程に清潔されている彼の髪も顔ももちろん具足も泥に汚れていた。彼の目を覆っている包帯もそれに漏れず、泥水を啜って茶色に変色していた。慌てて彼の腕を掴み脈を確認する。今は穏やかに寝入っているようで、鼓動は安定していた。ああ生きている、と実感して、清正はその場にへたり込んだ。彼を抱き寄せたまでは記憶にあったが、その後が見事に飛んでいた。幸村の姿を見る限り、彼と同じように己の姿も汚れているだろうことは予想できたが、それを確かめる気にはなれなかった。
「あっ、清正様!目を覚まされましたか!」
声のした方へと顔を向ければ、やはりこちらも泥だらけとなった部下の姿があった。兵太夫という、鉄砲隊長を任せている、清正よりも十程年嵩の男だ。何かと気が回る男でもあり、年下の清正の命令にも嫌な顔一つせずに従う弁えた男でもあり、清正も彼のことをよくよく信頼している。他にも騎馬隊の面々が既に起き出して、各々に動き回っている。隙間だらけとは言え、辛うじて屋根の役割を果たしているこの巨木の下に清正と幸村を運んだのも彼らだろう。
「お前ら無事だったか。怪我をした奴は?」
「不幸中の幸いと言うべきか、皆軽傷で済んでいます。ここに合流出来た者は、ですが」
そうか、と清正は相槌を打って、集まる部下たちを見回した。一番年上なのは兵太夫だ。他にも騎馬隊を担っている四人が流されてしまったようだ。皆若いと言えば若いが、清正と同世代か、少しばかり年上というだけで、それほど大差はない。この場で一番の年下は、まだ目覚めない幸村だ。
「軍師様、中々目を覚ましませんね」
皆が一斉に幸村へと視線を向ける。既に彼の容姿を含めて、羽柴軍では有名になっていた。彼の名を知らぬ者こそあれ、その姿を知らぬ者はいない。ただ、加藤隊の中で幸村の存在は微妙なところにあった。先の戦の唯一の戦闘は加藤隊が大きく被害を受けており、もう少し徳川軍の撤退が遅ければ、壊滅していたと言っても過言ではない。戦は無事終わったものの、加藤隊だけが大きく被害をこうむったこともあり、友好的とは言えないのが現状だ。清正としては、兵の気持ちも分かるが、幸村がぎりぎりのところで耐えていた部分も分かっているだけに、どちらを援護することも出来ない。ただ自分勝手に爆発してくれるなよ、と目を光らせることしか出来ないのだ。
「実は、清正様を庇うように倒れていたので、少し心配なんです。外傷は特にないですし、呼吸も安定してますけど、こんな見た目でしょう?着ているものを剥ぐわけにもいかないですし」
兵太夫は流石にわきまえており、若い連中を刺激するようなことはない。どの程度まで己を押し殺しているのかは分からないが、それを人に覚らせるようなことはしない。彼にまで気を配らなくて良い分、清正の負担が一つ減った。
「ちょっと待て。幸村が俺を庇うように?逆じゃなくてか?」
「あ、はい。折り重なるように、清正様が下敷きになってましたよ。まるで軍師様が清正様を守るように強く抱き付いておられて、引き剥がすのに少し苦労しました」
出来た男なのだが、時折年下の大将をからかう傾向があるのも確かだ。嘘であってくれ、と確認するように他の面々に目を向ければ、神妙な面持ちで全員が頷いた。彼の言った光景を想像してしまい、清正は誤魔化すように幸村に手を伸ばした。いつも綺麗に整えられている、今は泥水で固まってしまっている前髪を払いのける。
その時、僅かに幸村が身じろぎした。目を覚ましたのだろうか。幸村は身体を起こすよりも先に腕を持ち上げて、指先を唇に当てた。丁度指笛を吹くような形だったが、そこから音が出ることはなかった。ふぅ、と息をつき、ゆっくりと身体を起こす。気配に敏い男だが、今の状態が状態だ、清正たちの存在に気付いていないのかもしれない。驚かせまいと、清正は極力自分の中で愛想の良い声を発した。それでも、無愛想を地で行く清正だ、どうしても固いものが残った。
「幸村、」
唐突に呼びかけられて、幸村はびくりと僅かに肩を震わせたものの、すぐに清正の位置を察して、身体ごと清正に振り返った。が、まるで痛みを堪えるように短く息を詰めて、その場で静止した。無意識に痛みが走った箇所に手を伸ばしたのか、幸村の腕は右足首を押さえていた。
「…痛いのか」
「あ、はい。ですがちょっとびっくりしただけで、そう大したことは、」
「見せてみろ。ていうか、見るぞ」
え、あ、待ってください、と幸村が止めるのも構わず、鎧を纏っている身体よりも軽装な足首に触れた。今度は幸村も覚悟があったのか、彼から声は漏れることはなかったが、現れた足首の状態に、清正と、同じく様子を覗き込んでいた兵太夫は思わず息を飲んでしまった。見間違えようもない程に、足首が腫れている。元々陽に焼けていない肌だ、その落差が余計に痛々しい。
「誤魔化すなよ、相当痛いだろ。捻挫か?それとも折れてんのか?」
「…経験則から言いますと、おそらく、骨折、かと」
はぁ、と清正は大袈裟なため息をついた。
「分かってんなら、大したことない、なんて言うなよ。一応診るからな。誰か、添え木になるようなもん拾ってきてくれ」
「あ、そのような手間をおかけするわけには、」
「人庇って怪我してりゃあ世話ねぇよ。大人しく世話になれって。――ああ、それぐらいでいい。手拭いは俺のがある。――ほら幸村、力抜けって。痛いだろうが騒ぐなよ」
部下に指示を出しながら、清正はてきぱきと怪我の具合を確かめる。手当てには慣れていた。幼い頃から、棒切れを振り回しての喧嘩だか訓練だかはいつものことだったし、それを咎めるような大人たちもいなかった。むしろ囃し立てて、立派な武士になるんだよ、と手を叩いていた程だ。擦り傷切り傷は当たり前。注意力散漫なあの腐れ縁のせいで、次第に手当てが上手くなったのは確かだ。よくよく見れば僅かに足首が歪んでおり、骨折は確かだった。しかも、結構な重度だ。内出血もひどいだろう。その内に青紫の痣になると想像するのは容易かった。下手をしたら発熱する可能性もある。目で見ていないのもあるだろうが、これを大したことない、と言った幸村には、清正も同意できなかった。