全員が具足を脱ぎ、楽な格好になって車座になって座っていた。流石に幸村だけは足首を庇うように足を投げ出していた。
 食料を携帯している者は少なかった。羽柴軍では配布されるのが前提になっている為、干飯や兵糧丸、薬などを常に持っている者の方が希少だ。分厚い鎧に守られていたおかげか、特に汚れもせず残ったが、清正と兵太夫が持っていた分も僅かだった。せいぜい一回分の干飯をそれぞれが持っていた程度、これを七人で分けたところで腹の足しにもならないだろう。反対に、幸村の懐からは色々なものが姿を現した。干飯は清正たちと同じぐらいの量だったが、兵糧丸が数粒、腹下しに効く薬も少し、といった具合だった。特に幸村の持っている兵糧丸は優れもので、腹は脹れはしないが栄養価が高く、一粒で一日分の熱量を補うらしい。一粒を口に含んで、後は水で腹を満たせば数日は過ごせますよ、とは幸村の言だが、まだまだ育ち盛りの面々は、その発言に顔を顰めるしかなかった。残念なことに、痛み止めはなかった。清正はそのことを指摘したが、幸村は大丈夫ですよ、と笑っていた。今は誤魔化せる程度の痛みでも、あの腫れでは後々痛みが強くなるだろう。安静にも出来ない現状、少しでも痛みを和らげるものがあればよかったが、それも期待出来なかった。

「とりあえず、現時点での問題は、食料と水だな。水場を探しながら下山するか」
 幸いなことに、この辺りの山は羽柴家の直轄領だ。下山さえ出来れば付近の村に助けを求めることも出来る。おそらく三成辺りが救助隊を編成してはくれるだろうが、自分たち以外の被害状況が分からない以上、それも強くは望めない。とにかく自分たちの力で現状を打破するしかないのだ。下山するのに大きな怪我人が一人しかいないことも、幸いと言えば幸いだし、体力のある若者だけが流されたというのも、ある意味では有り難いことだった。絶望ばかりもしていられないのだ。
「そうですね。暑いので体力が心配ですが、こまめに休憩を挟みながら行きましょうか。食べられる野草や木の実があるかもしれません」
 じゃあ出発するか、と清正が声を掛ける。手早く広げられた食料を回収して、兵太夫もその後に続く。ばらばらと立ち上がる中、幸村もそれに倣おうとしたが、それよりも早くに清正が幸村の身体を抱き上げた。まさかの不意打ちに幸村も驚いたようで、うわっ、と彼らしからぬ声が漏れて、思わず清正も楽しげな顔になる。
「その足じゃ不便だろ。視界も利かねぇんだ、大人しく運ばれとけって」
「ですが、迷惑をかけるわけには、」
「迷惑じゃねぇって。正則みたいに馬鹿重いとこっちから勘弁してもらうとこだが、負担になる程のもんじゃねぇよ」
 実際、幸村の体重は見た目程のものではない。骨格がしっかりしており、長身も手伝って重量は確かにあるものの、槍を手にしなくなったと言っていただけに鍛えられた筋肉の質量はなかった。ずっと抱え続けるには流石に無理だろうが、六人で代わる代わる担当すれば負担も少ない。けれども、幸村は納得しないようで、安静にしていなければいけない右足も構わずに、清正の腕の中で暴れた。これが三成程度の身長だったら、何だかんだと押さえ込めただろうが、相手は清正とそう変わらぬ長身の持ち主だ。落としそうになって、清正は渋々彼を地面に下ろした。ただし、右足を使わぬように、右腕を清正の肩に回し、清正の手は幸村の左肩を抱え込むように掴んだままだ。
「あの、」
「これが妥協案だからな。これが嫌なら、俺に抱えられとけ」
「ですが、これでは清正どのの負担に、」
「だから、そういうもんは気にすんなって。お前のことだ、その内自分を置いて先に行け、とか言うかもしれないがな、俺を含めて、こいつらにもその気はねぇぞ。だから観念しろ」
 こいつら、と部下たちを示したものの、その顔に浮かんでいるのは困惑だった。例外に一人だけは表情を繕ってはいるものの、その内心は読めない。厄介だな、と舌打ちしたい気持ちを隠して、清正はぐいと幸村の肩を引き寄せて歩を促した。陽が落ちる前に少しでも先に進みたい。幸村もここで押し問答をするよりもするべきことが分かっているようで、この場ではそれ以上食い下がることはなかった。


 連日の行軍の疲労も溜まっていたのだろう。一行は黙々と進んだ。天候は憎らしくなる程の快晴で、日陰もほとんどなく、照り付ける光をそのまま浴びることとなった。汗と泥で汚れた身体は不快だったが、着替えがあるわけもなく、中々水場も見付からずで、場には少し苛立った空気が流れていた。良くない傾向だな、と気付いてはいたが、清正自身、幸村を支えながら足を運ぶ以外に向ける気力がなかった。顎を伝う汗を時折拭いながら、まだまだ見えてこない麓に向かって突き進むしかなく、風が全くないわけではないが、生温い温度で、決して心地良いものではなかった。

 驚いたことに、幸村は野宿に対しての知識も豊富だった。この時期に採れる山菜や木の実、毒があるものとの区別の仕方など、見えないながらも説明が上手かったおかげで間違えることはなかった。書物からではなく、実体験に沿ったもののように伺えて、清正がそれを訊ねれば、幼い頃は一日二日、山の中で過ごすこともあったと言う。今の大人しい外見からは想像出来ないものの、相当活発な子どもだったらしい。初陣を終えた後も、物見に積極的に参加していたらしく、野宿や現地で食料を調達する術を心得ているようだ。頼もしい、と清正が正直に感想を伝えれば、こんなことにしか協力できず申し訳ありません、と頭を垂れる始末だった。責任感があり過ぎるのも問題だな、と苦笑して、励ますように頭を撫でた。


 一日目は、陽が暮れる前に平地を見つけ、そこで野宿となった。敷き布などという上等なものは持っておらず、皆が皆そのまま地面に横になった。近くには浅い川も見つかり、泥に汚れた顔を洗ったり喉を潤したりすることが出来た。幸村は顔は洗わずに控えめに水を啜り、手拭いを水にくぐらせ手早く身体を拭いているだけだった。
 少ない食料を皆で食べて、見張りを残して眠ることになった。陽も落ち、幾分か涼しくなった。季節柄、凍える程冷え込まないのが有り難かったが、日の出から上昇するだろう気温を想像するだけで既に今から憂鬱だった。体力勝負なことは否めない。体力が尽きる前に下山出来るかどうか。あまり大きな山ではなく、かなりの距離を流されたことは分かっていたが、行軍の際に用いたある程度整備された道ではなく、文字通りの獣道を進んでいることもあって、思うように距離が稼げていないのだ。

 月の角度で大体の時間を計りながら、己に割り振った火の番の為に清正は身体を起こした。体力に自信もあったし、部下たちに負担を強いるつもりは端からなかった。火が消えてしまわないように焚き火に木の枝を放り込みながら、何とはなしに空を見上げた。空には雲ひとつなく、星が瞬いて眩しい程だった。こんな状況でなければ楽しみたい景色だったが、残念ながら清正自身、楽観的になりきれない性格をしている。あの馬鹿がここに居たら、はしゃいで大変だったろうな、とまだ余裕が残っていることにほっとして、清正は火を囲むように寝入っている面々を見渡した。やはり疲労が濃いのか、皆ぐっすり眠っている。隣りには幸村が、清正に背を向けた状態で、丸まって眠っていた。足首の骨折は、そろそろ痣が出来ているかもしれない。ここから痛みが強くなるのだ、と経験から見当をつけて、思わず眉を寄せてしまった。本来なら、動かしていい怪我ではないのだ。幸村が身じろぎをする。やはり眠れないのかもしれない。他を起こさないように、幸村、とそっと呼び掛ければ、応えるように幸村が身体を反転させた。
「…悪い。起こしたか」
「いえ、起きていました」
 幸村が上半身を起こす。休める時に休んどけ、と小言を呟いてみたものの、少しだけですから、と押し切られてしまった。大人しい割りに、結構押しが強いのだ。
「痛むか」
「いえ、今のところは。怪我には慣れていますので、この程度、そう大袈裟に捉えておりません」
 幸村の言葉の端々に出る、もののふだった確かな過去に、清正はどう反応したら良いのか分からなくなる。そうは見えないな、と言えば、彼を傷付けやしないだろうか。どんな言葉を紡いだら、その過去に触れることはないのだろう。彼は失明をして、悔しいだとかもどかしいだとか、そういったことを、少なくとも清正に言うことはない。槍も振るえず、何をするにも人に心配される現状を、彼は受け止めているように見える。ただ、彼が本当に受け入れているのか、内心を押し殺して笑顔を保っているのかは、清正には分からないのだ。
 激することない、穏やかな軍師様。
 そういう認識が固定しつつあった。清正だけではない、おそらくは三成もそう思っているだろう。けれども、それが本当に彼の本音かどうかなど、誰にも分からないのだ。

 言葉を続け辛くなって、清正は幸村をちらりと窺った。小さな光源の下で、汚れた包帯に顔の半分を覆われた顔は、既に見慣れたものだ。今更ながら、包帯の汚れが気になって、無意識につ、と腕を伸ばしていた。が、何かを感じ取ったのか、幸村がさっと身を引いた。訊ねることも出来ず、訊ねられることもなかった。全くの偶然だったと思うほかないだろう。
「包帯、替えなくてよかったか?流石に包帯は持ってねぇけど、代わりになるもんならあるだろ」
「…ですが、」
 多少考える素振りを見せたのは、幸村自身も取り替えたいと思っているようだった。言われれば確かにそうで、汚れたままでいいという人間もそういないだろう。気にしない、という人間も、いないことはないが。
「連れてってやるから、そこで顔洗って、手拭いで覆っとけよ。本当は化膿してないか見てやりたいところだけどな」
「傷口はちゃんと塞がっているので、今更化膿することはありませんよ。ですが、その、これ以上面倒をおかけするわけには、」
「俺が言い出したことだろ。それに、面倒だ迷惑だはあんまり言うなよ」
 分からない、と首を傾げる幸村に、そこはあんまり気にしてくれるな、と話題を戻す。幸村は話の受け取り方も受け身なので、強引な話題転換も気にはしても追求する程のことはしない。
「で?行くのか、行かないのか」
「ですが、火を放ってはいけませんし」
「それでしたら、俺が代わりますよ。そろそろ交代の時間でしょう?戻られたら、そのまま寝ちゃってください」
 声を潜めて会話しており、まさか起きている人間がいることに気付いていなかった二人は、びくりと身体をはねさせたものの、それを誤魔化すように、
「なんだ、もう起きたのか」
 と清正は平静を装った。にんまりとした表情と目が合う。清正自慢の鉄砲隊長だ。年長者ということもあり、目端も利き、根性も据わっているので、こういった不測の事態にもどこか余裕すら感じられる。幸村が、え、え、と返事に戸惑っている隙に、行くぞ、と幸村を持ち上げる。自分で歩きます!と幸村が耳元で叫んだが、近いからこっちの方が楽だ、あと暴れると他の奴らが目を覚ますぞ、と半ば脅しのように囁けば、幸村も大人しくなった。


 川べりに幸村を下ろす。本当はそのまま彼の行動を見守っていたいところだが、素顔を、正確に言えば傷口を見られることを拒む幸村に、これ以上無理強いすることも出来ず、その場で背を向けた。何かあれば声をかけてくれ、と告げたが、幸村のことだ、戻ることを伝えてくれる程度で、それ以外のことは自分でどうにかしてしまうだろう。
「気を遣わせてしまいましたね」
 水音と小さく衣擦れの音がする。振り返れば、今なら幸村の顔が見ることが出来るのだと思うと、少しばかり心が揺れたが、芽生え始めた信頼を白紙に戻す度胸もなく、清正は背中で彼の声を聞いた。
「ああ、あいつな。よく気が利くんで重宝してる。ただ、あれはもう趣味みたいなもんだ、お前もあんま気にするなよ。あっちは好きでやってんだ」
「清正どのも?」
「ああ、俺もだ」
 似た者主従ですね、と幸村はくすくす笑っている。彼が笑うだけで、空気がふわっと穏やかになるから不思議だ。彼の作る雰囲気はとても居心地が良い。
「人を甘やかすことに長けていますね。そういうものは、部下にも伝わるんでしょう。良い家風です」
「あんまり持ち上げてくれるなよ。そういうのは慣れてないんだ」
「清正どの相手でしたら、いくらでも褒めるところが出てくるんですが…」
「そういうのは面映いからいい。心に留めといてくれ。その、有り難いことではあるが」
 背後で立ち上がる気配がした。終わったのだろうと見当はついたが、振り返って良いのか判断がつかず、訊ねるより先に幸村が清正の右腕を掴んだ。本当に彼の空間把握能力と勘の良さには感心するばかりだ。
「すっきりしました。ありがとうございます。戻りは、肩を貸してくださいね」
 先制するように言われては、清正もそれ以上言うことが出来ない。まるで先程の仕返しです、とでも言いたげな様子であった。強引に抱きかかえてもよかったが、珍しく幸村からの要求に清正もそれをせず、彼の願い通り、肩を貸しながらゆっくりとちっぽけな野営地へと戻ったのだった。










  

13/08/18