幸村はひたすらに無言だった。目が隠れているせいで幸村の表情が分からず、何を考えているのか全く分からない。声を掛けるにも躊躇われ、清正は必要最低限の言葉を彼に告げる程度で、会話らしい会話はなかった。もっとくどくどと文句を言われることを想定していただけに、清正は余計に何を話せばいいのか分からなくなってしまったのだ。その日はそのまま眠りについた。と言っても不測の事態にいつでも対処できるよう、少しうとうとした程度だったが。


 幸村の様子は安定しているように見えた。入り口から差し込む陽で朝が来たことを知り、清正は幸村に声をかけて少し出ることを伝えた。腹を満たせなくとも、体力を落とさない為に何か食べなければならず、食べられる葉や山菜を摘みに行ったのだ。幸村は起きていたのか、清正の声に起きたのか、さっぱり分からなかった。短く、分かりました、とだけ返事をした幸村の声は、硬いようにも聞こえたし、常と変わらないようにも感じられた。目が見えないというのは厄介だな、と今更のことを思った。傷口がどうなっていようと構わないから、その布を取ってくれ、と言ってみようか、とも考えたが、幸村の念の入れようを思えば、拒絶されることは容易に想像がついた。

 時間が経って、幸村の頭も冷えたのだろうか。押し黙るようなことはせず、ぽつぽつと会話が生まれた。ただ、他愛無いことを喋って場を和ますような話術を清正は持っておらず、あくまで、本当に、ぽつぽつと言った程度だ。それでも幸村の様子を知る一つの目安にはなって、清正は少しだけ安心した。
「彼ら、大丈夫でしょうか」
 幸村は会話に困ると、清正が強引に出発させた五人の話題を出した。大丈夫かどうかなどは、ここでこうして同じ時間を過ごす清正には分からないことだし、幸村もそれが分かってはいるのだが、それでも口にせずにはいられないようだった。
「案外、俺がいない方が肩肘張らなくていい分、上手くいってるかもしれねぇぞ」
「彼らに、また恨まれちゃいますね」
 それは、と言い繕おうとして、言葉が見つからず一瞬黙ってしまった。幸村は特に気にした様子もなく、でも、と言葉を続けた。
「正直、清正どのが残ってくださって助かります。ありがとうございました」
 昨日の抵抗はどこへ行ったのか、幸村は聞き分けの良い顔で、ぺこりと頭を下げた。どちらが、本当の彼だろうか。清正はぽつりと浮かんだ疑問に首をかしげながらも、それを押し殺した。多分、彼はそれを暴かれることを望まないだろう。今ではなくとも、いつかは、彼の本音に触れられたらいい、と清正は思った。
「お前は、それでいいのか?」
「?」
「あいつらに恨まれたままってのは」
 ああ、と幸村は笑った。笑う場面ではなかったので、清正が面食らってしまった程だ。よく分からない奴だな、と未だに清正が思うのは、幸村のこういうところだ。清正の持っている感情との温度差が生み出すズレが、高い高い壁のように目の前に横たわっていると感じるのは、決して錯覚ではない。
「恨まれることをしたと思っていますから。……あなたからも」
 幸村は、それでも穏やかな声で言う。それは一見温厚な彼らしさのようにも見えたが、それはただの諦めではないだろうか。清正は、彼のように潔くなれない。諦め良くなれない。仕方がない、しょうがない、わたしの想いが通じなくてもそれはそれで良いのだ、と、清正は思うことができない。多分、幸村はそうやって色々なことを切り捨ててきたのだろう。そうやって切り捨ててもいいと判断される位置に未だに自分がいることに、ただただ悔しく思った。これが三成だったらどうだろう、あの仲良さそうにしていた直江兼続なら?
「…恨まねぇよ。どこにそんな要素があった?言っとくが、俺は結構人の好き嫌いが激しいんだよ。嫌いな奴をここまで構い倒すと思うか?」
「清正どのは優しいですから」
 そこで幸村は口を閉ざす。その先を、清正は聞きたいのだ。一歩踏み込んだ場所にある彼の感情の、一欠片でもいい、それを知りたいのだ。
「言えよ。お前は、俺がそう思うだけの心当たりがあるんだろ?残念ながら、俺にはないんでね。教えてくれないか」
 彼のように柔らかな言葉を発することは難しい。普通に話していても、時に尋問しているような雰囲気になってしまう清正だ。気持ちに少しでも険があると、そのまま声に重なってしまう。けれども幸村の表面は、相変わらず穏やかなままだ。一歩引いたまま、仕方がないんです、と笑いながら諦めて、そうすることしか出来ないと思っている顔のままだ。嫌な仮面だな、と清正は彼に聞こえないように毒づいた。


 幸村は中々口を開かなかった。言葉を探している、というよりは、言ってしまうべきかどうか迷っているようだった。彼の相対している人物が、三成だったら兼続だったら、彼はこうも躊躇うことはなかったかもしれない。そう断言出来てしまう自分の想像に気が滅入った。

「先の戦で、清正どのの隊だけに犠牲を強いりました。戦闘自体は予想出来ていました。苦戦するであろうことも、もちろん」

 幸村の声は淡々としていた。事実だけを告げようと、感情が希薄になっているようだった。いつもの穏やかな柔らかい声を聞き慣れているせいで、痛々しい程だった。極々自然に感情を押し殺す術を身に着けている幸村は、時々どこか必死になって強がっているようにすら見えて、切なく思えるのだ。

「あなた方の役割は囮でした。あえて見つかり、出来るだけ多くの前線の敵の注意を引くことでした。正則どのに隠密行動を求めたのは、囮という自覚をさせない為です。彼らにそれをそのまま告げるには、少し、若過ぎましたから」

 自分よりも年上の男を若いと表現する奇妙さはあったが、軍師という立場から、他の隊との比較をしての経験値の差を言うなら、そこまでおかしいものではなかった。幸村にとって己の年齢など取るに足らないもので、常に軍団の構成を考えているのだろう。彼の得体の知れなさはこういうところにもあるのだ。

「本来なら、あなたにだけは可能性を伝えておく必要がありました。敵軍を一手に引き受けるのはあなたです。そして、それは隊を反転させての槍合わせになるでしょう、と。浮き足立つだろう隊をまとめ、戦えるように備えなければいけないあなたに、それを伝えるべきでした」
「そうしなかったのは、どうしてだ?」

 状況を読み間違えた。予想していなかった。そんな理由でないことは清正にも分かった。安易に考えていた。どうにかなると楽観していた。――そうでも、ないだろう。幸村の軍師としての見は彼の才能に寄るところが大きいが、それを支えているのは彼の経験だ。戦場で敵を軽視し、味方を過剰信頼し、状況に胡坐を掻くことが、どんな危機を招くのか、彼が知らないはずがない。それならば、何だろうか。
 幸村は少し躊躇うように口を開閉させたが、意を決して言葉を告いだ。彼自身、言葉の選択が合っているのか、分かっていないようだった。

「意地になっていた、と言いますか、苛々していた、と言いますか。完璧な私情なんです。わたしがうまく感情を制御出来なかっただけで」

「本当は、わたしはあなたが思うような男ではないのです。兵を大事にしているなんて、本当は嘘なんです。わたしは彼らを気にかけておきながら、いざという時は彼らを数でしか把握することが出来ない。彼らに個があることを忘れ、その数がもたらすことの戦闘力にしか、本当は興味がないのです」

「あなたに策を伝えなかったのも、わたしが未熟なばっかりに私情を捨て切れなかったからです。駄々を捏ねていただけなのです。あなた方をいたずらに危険に巻き込んで、犠牲にならなくて済んだかもしれない兵の命を散らせて、そのせいであなたに恨まれても仕方がない、恨まれる理由がある、恨んでほしい、こんなわたしなどさっさと切り捨ててほしい、」

 そこで幸村は、一旦口を閉ざした。見据えるように、清正へと顔を向ける。今の彼には、その眼で射抜かれているような気迫があった。早口ではなかったが、淡々と語る調子に、彼の偽らざる本音が滲み出ていることを覚った。幸村、と彼の名を呼んでやりたかったが、幸村の見えない眼が清正の動きを封じるように、じっとこちらを眺めているような気がした。曇り一つない黒々とした眼は美しく、ゆえに恐ろしい。見たこともないくせに、清正は確かに今、幸村の眼の美しさを恐れた。


「わたしは、卑怯な男なのです」


 声には、どうしてこんなことを言わせるのですか、と恨み言がましい色が滲んでいた。言いたくはなかったのだ、と。言ってしまったのだから、あなたもさっさとわたしを嫌ってほしい、と。そう訴えて、一人の殻に閉じこもろうとしているように見えた。
 幸村に何を言われても、そうか、という気にはなれなかった。肝心なことをぼかされたな、という思いがあったからだ。それで、その駄々って?お前は何に意固地になってて、何に苛々してたんだ?と。そう訊ねたかったが、結ばれた幸村の口は頑なだった。清正がすぐに言葉を返せないでいると、ごろりと寝転がって、もう寝ますね、と、清正に背を向けたのだった。










  

13/09/01