元和元年(一六一五年)、大坂夏の陣と呼ばれた戦が終焉した。だが、その戦の後、大坂にこもった歴戦の猛者に一歩も引かぬ働きを見せ、ついには豊臣の主である秀頼の首を上げた伊達政宗の軍勢は、大坂で勝ち鬨を上げた直後に反転、三方ヶ原と呼ばれる場所に急ぎ軍を進めていた。今は遠い昔、まだ家康公が天下の主様ではなく、甲斐の虎と呼ばれた武田信玄が存命し、武田が隆盛を極めていた頃、家康公は武田のつわものどもと衝突し、ついには敗れ、命からがら逃げ延びたのが、この三方ヶ原の戦場であった。徳川にとって因縁ある地といえよう。伊達政宗の軍勢は、その地をひたすらに目指していた。







結局、あの男はわしのことなど視線の隅にもとどめてはおらなんだ。
あやつが最後に縋ったのは、わしではない。己の半身ではない。
わしはあやつが欲しゅうて欲しゅうて敵わんかったが、手に入れた瞬間から、
あやつはわしの半身であった男ではなくなることを知っておった。
ゆえに、わしはあやつを手に入れようとはせなんだ。


あやつが最後に縋ったは、己の欲を理解せぬ男であったのう。名をなんと言うたか。


みやもと、ああそうじゃ!宮本武蔵という剣豪じゃ。


あやつらしい、不器用な縋り方をしよって。
何せ、何一つ理解し合えぬ、共有し合えぬ男を、
幸村は最後の友に選んでしまったのだからのう。










りせば めざらましを  ※政宗視点





 胡 の 夢  ※武蔵視点










ゆ め の あ と