う た か た 。

蛇足ページ。





まず。
全体を通してですが、こういった一括りにはしていますが、私的には短編集だと思ってます。番号も更新しやすい為につけてましたが、今は取っ払ってます。見難い。
あと、これは私の勝手なこだわりなのですが、今回は『!』や『?』を使用せず書いてみました。中学の英語の時間に本来これは英語なんだから、日本語に混じるのはおかしいというようなことを聞いたような気がしたので(曖昧)、少々頑張ってみました、が、無理がありました…。また、明治時代以降に作られたものだったと聞いた単語は、出来るだけ使わないようにしてみました。それと、なんとなくイメージとしてこれは明らかにそうだろうなあと思ったものは、出来るだけ避けてみました。何分自分ルールなので、定義がおかしいところもあるかと思いますが、まあそこは大目に見てくだされば。あ、〜殿がひらがな表記になってますが、色んな戦国小説を読んでいますとひらがな表記のものが案外に多かったので、こちらを使用してみました。これからも気分で使い分けようかなと思ってます。

では、細かな設定やらは↓からどうぞ。蛇足だとは思いますが、書ききれなかった話や、この会話の裏にはこういうことを言いたかったんだ!ということが書いてあります。『!』や『?』は解禁しました(…) ところどころ違う人視点の話も載せてあります。飛んだ先でのタイトルクリックで、本文が読めるようになってます。どんな話だったっけ?と思った方はまた覘いて頂けると幸いです。




ここで生きていて / すべり落ちそうな気がする / とどこおる熱 / 脅迫まがいの愛言葉 / やわらかな絆 / すくわれてしまう / 過去をすこしだけ / 神は居留守がうまい / ぼくはひとりです / とけていく向日葵 / 糸きり鋏 / 彼らの箱庭 / 終わる夏が死んでゆく / 澱みない視線 / まじわることのないすべて / せわしない境界線近く / 涙をおくれ / これから古傷をつくりにいきます / 浅ましい尊さ / ひどいひと / ぶれる愛撫




参考文献、及び影響を受けた小説等
日本の100人 (徳川家康,伊達政宗,石田三成,真田幸村)
 年号を調べる時に重宝しました。左近を召抱えた時期などはこちらを参考にしてます。
真田太平記 池波正太郎著
 真田家の設定はほとんどこちらから頂いてます。私の中の信幸どのや幸村のイメージはまさにこの御本!
真田大戦記 竹中亮著
 新の方ではないです(笑) こちらからは十勇士のイメージがそのままかな、と思いましたので載せてみました。
筆蜜 衣宇様
 うちの武蔵は衣宇さんちの武蔵の影響を受けてます。私的理由でリンクが貼れないので、コピーしてどうぞ(ホント申し訳ない)
 閉鎖されてしまいましたが、一言だけでも残しておきたかったので、書いた当時のままにしてあります。

尚、『うたかた。』のタイトルは全て、お題サイトさんからお借りしたものですが、現在は閉鎖されてしまったのかリンク先がありませんでした。なので、お借りしたということだけをこちらに明記しておきます。






















ここで生きていて

慶次と幸村の会話が一番の言葉遊びだと思ってます。未だ私が慶次のことをよく分かっていないせいで、よく分からない会話になってもいます(…) 幸村は慶次の言葉を理解しようとしてて、分かろうとしてるのですが、慶次はそんなものは必要ないと思ってるんじゃないでしょうか。理解することはとても難しいことだけれど、知ろうとすることは自分の意志云々でどうにかなっちまうもんだ、とか、そんな感じの言葉遊び。幸村は生き方を押し付けられた方が、自分の中の指針がはっきりとするんですが、慶次どのはそんな野暮なことはしないのです。慶次どのが言う、自分らしくの中身が、幸村にとっては空洞なんじゃないかな、と。






















すべり落ちそうな気がする

上杉家に人質に出された時の話です。どういった内容にしようか迷ったところでもありますが、兼続に三成のことを評価してほしくて書きました。文官タイプの三成は足りないところがたくさんあって、文を交わしてると、ところどころそういうものを感じ取っていた兼続なんですが、義に生きる兼続がその親交をやめないのは、つたない言葉ですが、「良い人間」だったからじゃないかなあと思います。具体的にどういうこと?って感じですが。人の基準で、簡単に善悪は違ってしまうと思います。兼続の目に映った三成はどうしようもない人間なのですが、兼続が守りたい善を不思議と共有できていたのではないかな?と私は思いました。
あと、幸村と左近の関係をぼかし気味ですが、これは文章のまま受け取っていただければ、と思います。夢はでっかく。






















とどこおる熱

三成はわがままな人だったと思います。色んなものが見えてなくって、けどとってもきれいだった人。幸村はそういうことを全部分かってて一緒に居たんじゃないかなと思います。でもって、どこか子どものような人でもあったのではないかな、と思います。三成は素直なので思ったことをそのまま口に出して相手を傷つけたりもするんですが、幸村は三成の言葉をそのままの意味として捉えるから傷付きはしなかったんじゃないかな、と。三成は自分が言った言葉をどういう意味で幸村が受け取ったのだろうか、嫌われやしないだろうかと悶々するのですが、幸村は三成の言葉に悪意がないことを知ってるので、忠告は忠告としてしか受け取りません。ここでも温度差がありますね。
ちなみに幸村のことをわがままって書く場合は、『我侭』と書きます。ニュアンスの問題で、私の自己満足な表現ですが。

三成と兼続の小話。






















脅迫まがいの愛言葉

息抜きの話です。書いててホント楽しかったです。うちの稲姫はちゃんと信幸どののことが好きです。信幸どのもちゃんと稲姫のことが好きです。ただ兄弟の仲良し度が好き嫌いを通り越した次元の話なので、誰も間に入れないのです。あと勝手な自己満足ですが、稲姫にお前さまと呼ばせたかったので、成功してます。真田太平記(映像の方)のがあまりに印象的だったものですから。あ、「褥中で待っていなさい」って言わせたかったので思わず書いてしまったのですが、二人はそういう関係を互いに望まなかったと思います。本当に兄弟愛の深い二人で。ですが、成り行きでそういった流れになっても、まあ互いに動揺はなかったかな、と思います。






















やわらかな絆

「男が気色の悪いことを言うな」と言わせることで、さり気なく(?)三成はノーマルだということを主張してみました。三成は男色の美徳を理解していない。
特殊な自分設定ですが、ここで初めて三人が仲良くなる、というわけではなくってですね、少なからず一緒に居た時間があってそこからこの場面に繋がるといいなあと勝手に思ってます。兼続と三成の喧嘩は男子高生みたいだと思うので、取っ組み合いのつかみ合いをしてると思います。互いに本気ではないけれど。じゃれてるみたいな感じで。幸村はそれが微笑ましくって仕方がない。うちの幸村は困ったことに精神年齢が三人の中でトップです。うう一番年少なのにね。






















すくわれてしまう

左近が武田家を去ったのは、お館様がお亡くなりになったからだと思います。武田の柱を失ったけれど、お館様が残してくれた家臣たちがたくさんいたわけで、まさか左近も武田が滅ぶなんて思ってなかったろうなあ、と。幸村もそこんとこの機微は分かってて、左近が武田を去ったのも道理だと思ってます。でも結局は武田は滅んでしまったわけで、左近は自分が武田を捨てたんだと思われても仕方ないと、諦めてるんじゃないかなあ、と妄想。二人は色々と語らなければならないことがあったんだけど、結局何一つ解決しないまま終わった気がします。けど、残念だなあと思うことはあっても、後悔まではしなかったと思います。とても近くに居たけれど、とても遠くで互いを眺めてたようなそんなイメージ。

三成は幸村との会話が好きだと思います。けれど、繕う必要がない分、うっかり思ったままを口にして、その言葉が相手によってどう変化するのか考えるのを忘れて、時々自分の迂闊さに自己嫌悪してるかな、と。幸村は、そんな三成の素直というか素直すぎるところとかが、本当に好きだと思います。
幸村は、三成に何かを訊ねる時に、ああ絶対にこの人は自分が欲しい答えをくれないだろう、と分かってて訊きます。そんなことを言う人ではないと分かってるから、絶望しながらも三成の人の善さに傷付いてもついていくんだろうなあ、とか。三成は幸村がどういった言葉が欲しい、なんて考えたこともないだろうなあと思うと、三成は本当に不器用なんだとしみじみします。

三成と左近の小話。






















過去をすこしだけ

兼続は美形だと思います。いや、幸村もですが。この話は慶次をどうしても出したかったので、こういった形になりました。あと、慶次の羽織をどうしても幸村にプレゼントさせたかったので、ついつい。後々この羽織が出てきますが、初めはそんな予定はありませんでした。
真田太平記でも稲姫が大坂にいる幸村に着物を送るシーンがあったので、ついつい(ついじゃない) 稲姫は兄上に幸村の着物の色で相談してたと思いますが、別に意趣返しではないと思います。単純に信幸どのの言う通り赤が似合うと思ったからです。兼続の台詞で、ちょっとあやしい感じが出てたかは微妙なところですが、兼続は別段男色の対象として見てなくても、何かとあやしい雰囲気を作り出しそうです。そういう不穏なことに関しては天才だといいなあ。
途中、六郎が出てきますが、六郎に頼めば兼続はすぐに見つかったと思います。が、幸村はそれをしなかったわけで、そこはまあ、読んでくださる方の憶測に任せます。兼続と一緒に歩くことが嫌だったわけじゃないし、はぐれたことが残念だと思ってることも事実なのですが。まあそこんとこは、なんとなくこういうことじゃないかな?と軽く考えて頂ければ。
阿国さんを出すことも成功しました。孫市は名前だけですが、まあ成功、かな。幸村関係ばかり書いてるので、登場人物がいつも同じになってしまうので、少しの新鮮味が欲しかったものですから。夢をたっぷり盛り込んでみました。
あ、朝鮮出兵については無双では見事にスルーされてますが、これがなかったら三成があそこまで清正たちに憎まれることもなかったのになあと思うわけで、だからちょっとだけ入れさせてもらいました。簡単に調べただけなので、申し訳ないんですが。三成と兼続は向こうへと渡ってますが、幸村は名護屋で留まって戦には参加しませんでした。

十勇士と幸村の小話。
三成と兼続の小話。






















神は居留守がうまい

おねねさまの章では、見事に関ヶ原を止めてくれるおねねさまですが、史実ではそうではなかったので、私なりに色々と広げてみました(いや、狭めてしまったのかもしれないけれど) おねねさまは、豊臣の母であって、三成の母でもあって。是非ともおねねさまには幸村にお礼を言ってほしかったんです。不器用なあの子を信じてくれてありがとう、って何もかもを見透かしてるおねねさまの言葉が欲しかったんです、私が。
私は激しくおねねさまを美化してるんだと思いますが、やっぱり豊臣を支えた、内助の功のおねねさまは物凄く偉大な人であって欲しいのです。苦労を苦労だと思わなくって、いつもみんなを励ますように笑ってた人。

三成とねねの小話。






















ぼくはひとりです

政宗さまにしようか、政宗どのにしようか迷いましたが、その時の直感で"さま"にしました。ダテサナじゃなくっても、通じてるのがこの二人かな、と思います。幸村と伊達さんは考え方というか、思考の軸になる観念が同じだと思います。幸村は伊達さんの不遜な眸が好きで、伊達さんも幸村の真っ直ぐな眼差しが好きだといいなあと毎回思ってます。むしろ固定観念です。
もし、三成たちと邂逅する前に伊達さんと会ってたら、幸村はそのまま伊達の将になったのかな、と思わなくもないですが、幸村はそのもしもを考える無意味さを知ってるから、そういったもしもはほとんど考えたことないかなと思います。二人ともリアリスト。だから言葉は常に前を向いていて、強いものがあるかな、と。三成や兼続はどこかふわふわ浮いてる気がします。理想と現実の境界が曖昧なのが三成たちかな。
あと、兄上が天下人に相応しいと書きましたが、こちらは真田太平記でもそう幸村が言ってます。幸村が一番に慕ってた人は兄上だったと思うので。
それと、私の言葉遊びなんですが、伊達さんと兼続を表現する場合、伊達さんを義、兼続を不義と表現することがあります。言葉遊びです。






















とけていく向日葵

最初の辺りの"ひ"をひらがな表記にしてるのは、日とも陽とも読んで欲しかったのでそうしてます。ひらがな表記してる時は、読む人に漢字の当て方を委ねてる場合が多いです。
幸村はこの襲撃事件の後も大坂暮らしだと思ったので(曖昧ですいません)、本当は開けっぴろげに援軍出せないとは思いますが、無双であれだけでかでかとやってたんで、まあいいかな、と(開き直り) 十勇士をちまちまと出してますが、一人一人の設定を細かには作ってません。イメージと、その時々の直感で書いてるので、話によっては設定が違うかもしれません。

慶次どのとそういう関係〜と表現しましたが、この時代だからこそ何でもありかな、とも思いますし、慶次どのの性を思えば、そうなっても不思議はないかな、と思ったので、ちょっと触れてみました。文中で、奔放という言葉を使いましたが、慶次どのにぴったりの言葉だと今でも思います。でもって、幸村には最後までなかった言葉、かな。幸村は理由がないとどうにも動けない人種なので、奔放な性には憧れることすらなかったろうなあ、と。

三幸については、ちょっとだけムービーを引用してみたり。どうしようか迷いましたが、やっぱりこの台詞に色んなものが凝縮されてると思いましたので。ゲームをプレイした方は、どんな台詞だったのか、とかそういう先読みみたいなものをしながら、ちょっとだけ掘り下げて読んでいただければ、と思います。

慶次と兼続の小話。
三成と左近の小話。






















糸きり鋏

大谷どのが大好きなので、ついつい出さずにはいられませんでした。結婚や子については後々の話に影響してくるので、ここでは婚約という形のみにさせて頂きました。おそらく自然消滅という形になるかと。ううそれも切ないな…。
真田親子の雰囲気は真田太平記にかなり影響を受けてます。真田太平記では幸村をとりあってますが、こっちではちょっと変えてみました。
ほとんど趣味の『脅迫まがいの〜』と同じように、息抜き感覚で読んで頂ければ、と。






















彼らの箱庭

まず、左近について。文中でもありますが、私は三成の為に討死したと思ってます。三成はその道を左近が選ぶことを知ってた上で、置いていったと思います。三成は自分の死が豊臣の寿命を縮めることを悟っていたなじゃないかな、と夢を見てますが。三成は本当に生きることを精一杯やり遂げた人だと思います。
幸村が色々とひどいことを言ってますが、これが他のサイトさんでは書かれてない所ではないかな、と思ってます。自分の思うままに戦って死ぬことがどれだけ名誉なことなのか、三成は理解しないかもしれない、という危惧は幸村の中には無いと思います。
幸せの中死んでいく、と表現させて頂きましたが、幸村は本当にそうだと思ってます。幸せ、不幸せの境界を知らない幸村ですが、漠然と、そう思ったんじゃないかな、と。
義についても少しだけ。私は未だ兼続が言いたい『義』の精神が理解できません。あまりにも耳に慣れてしまった言葉だからこそ、その言葉こそが意味だと思って、その言葉に込められている真意がどこかへと行ってしまったような、そんな感じ。

左近と三成の小話。
くのいちと三成の小話。






















終わる夏が死んでゆく

前の話と同じような流れになってしまうので、まとめようかな、とも思いましたが、やっぱり分けました。私は清正を美化してるみたいですが、二次のいいとこはそういうことに寛大な所かな、と思ったので、そのままで。あと、どうしても幸村サイドの話になると、くのいちの出番が多くなってしまいます。2ではいない彼女なので、どうしようかという思いもありましたが、幸村を他人の視線で見ることのできる人間が必要だったので、くのいちにあてました。

くのいちと清正の小話。






















澱みない視線

二条城での武蔵と幸村の話は一度書いたことがあるので、その話と重ならないように、と思いながら書いていたんですが、所々やっぱり似通った部分もあります。うう申し訳ない。
武蔵の設定ですが、史実でもそうですが、幸村よりも年下だと思ってます。

あと、清正についてですが、ゲーム中では情けない声を出してますが、台詞は中々に真理だなあと思いながら聞いてました。シナリオ集持ってる方は、ちょっとのぞいてみてはいかがでしょうか。豊臣の寿命を縮める役割を担ってしまった清正らですが、彼らは三成とは違った方法で豊臣の世を安じていたんだと思ってます。史実の二条城での清正の存在感が好きなので、ついつい触れずにはいられませんでした。






















まじわることのないすべて

又兵衛殿は是非とも名前だけでも出したかったので、とりあえず満足してます。武蔵とは何となく気性が合うような気がしたので、そこに居つかせてもらいました。真田丸云々の話も入れたかったので。
あと、この時代、『自由』という言葉がなかった、と聞いたことがあったので、自侭に変えさせてもらいました。ちょっと乱暴な響きにもなりますが、武蔵には丁度いいかなあと思いましたもので。
幸村と武蔵の関係ですが、武蔵は戦のあれこれを聞きたかったわけじゃなくって、幸村の話がききたかったんだと思います。それが自然と戦の話になってしまうのは、幸村が今まで戦しか知らなかったせいなのですが。武蔵はそういう意味では聞き上手。でも空気が暗くなることに敏感で、ちょっとでもそういう触れてはいけないことに突入しそうになったら、遠慮なく待ったをかけて、違う話題に変えようとするんじゃないかな。






















せわしない境界線近く

あくびがうつった、っていうのは、この二人に一度やらせたかったことです。あと、武蔵は結構どこでも寝てそう。安全だと思った場所だと、遠慮なく眠りこけてるのがいいなあ。

あと、慶次殿についてですが、長谷堂の後は上杉家も出奔したと思います。戦がなくなってしまった今、自分は上杉に厄介になってる道理もない、とか思って。兼続は出来ることなら自分のそばにいて支えて欲しかったんだろうなあと思いますが、慶次殿を引き止めるだけの言葉を、兼続も持ってなかった、とか。

↓の小話は本当に蛇足なんですが、兼続をどうにかしたかったので、ついつい。

くのいちと兼続の小話。






















涙をおくれ
これから古傷をつくりにいきます
浅ましい尊さ
ひどいひと
ぶれる愛撫

最後のところは一括りで。まず一番最初にどう大坂の陣を切り出そうかなと思ってたんですが、秀頼様にとって戦というものの一番の衝撃は、やっぱり人が死ぬということなのではないか、と思いましたので、木村殿をあてました。秀頼様とも兄弟のように育った人なので、秀頼様の受けた衝撃は計り知れないかと。秀頼様の口調が最後まで定まらず、なんとも曖昧な感じになってしまったことが悔やまれます。

対伊達さんの話については、文中にあることが全てだと思います。本当に何もかもが似ていた二人だと思うので、ちょっと過剰な表現も多々ありましたが、これからもこんな調子でいくと思います。あ、徳川本陣の場所だとか、左翼だとかは、結構適当です。戦の雰囲気を出したかったので使いましたが、もしかしたら違ってるかもしれないです。そこらへんは勉強不足なので、今回はスルーしてください。

兼続との会話が一番分かりませんでした。幸村はきっといつまでも、兼続のことを仲間だと思ってて同志だと思ってて。でも兼続は憎まれてるし恨まれてるし、どうして徳川に従っているんですか、と訊かれても答えがなくって、とても苦しい立場に居ると思います。あと、三成の名前をいつまでも引きずってる二人ですが、乱世を生きた二人が、一人の死をいつまでも抱え続けたわけではないと思います。ただ、二人にとってこの名前を出すことで、自分がどういった立場でどういった存在で、かつての自分達を思い出すことができる名前じゃないかな、と。

武蔵についても、やっぱり文中にあることが全てなので、ここでは短めで。
文中、武蔵は自分のことを強いと言ってますが、実際あんまりそういう自負はなかったと思います。ただ大坂の陣という特殊な場面で、自分は幸村よりも強くなければならない、という認識を無意識にしてるといいなあと思ったので、そうしました。お前は弱いから、そんな頑張るなよ、みたいな意味合いで。
↓の小話はオンマウスで名前が出ます。特に順番はありませんが、何となく時間軸になってるので、前から読んでいただければ。

真 田 幸 村 、 討 ち 取 っ た り


ここまで読んでくださった方、本当に本当にありがとうございます。
これにて終幕。